連載小説「六連星(むつらぼし)」第51話~55話
「え。いいんですか。私は大助かりになりますが、ご迷惑になりませんか?」
「迷惑なんぞあるもんか。誰も居ないんだもの。
そのかわり、きわめて古ぼけたあばら家だよ。
亭主はとっくの昔に死んじまったし、息子夫婦はいばらきへ避難中だ。
なんなら明日、福島へ行く用事が有るから、あっちの駅まで送ってやるよ。
常磐線では遠回りになる。東北本線なら一直線に小山駅まで行く。
そうしよう、それがいい。あんた。それで決まりだ。
じゃ、あたしの後をついておいで。
あんたも、いつまでもぼんやりとしていないで、
温かいうちに早く食べちまいな。
もう少しで最終列車が来るんだからね、さっさとするんだよ」
嫌も応も無い。
響が駅員へお礼を言っている間に、もう婦人の姿は闇の中に消えていく。
はるか先を歩いて行く婦人の後を追い、響も慌てて広野の駅舎を飛び出した。
外はもう、すっかりと日暮れている。
夜の闇が舞い降りてくると、明かりを持たない無人の商店街は、
まったくの闇の底へ沈んでいく。街灯は、ひとつも点いていない。
足元を照らしてくれるものといえば、かすかに降りてくる月明かりだけだ。
「足元に気をつけな。
そこの露地を、少し入った奥だからね、あたしの家は」
言われた先のその一角だけに、ポツンと街灯がついている。
ほのかな明かりがかろうじて、婦人の家の玄関を浮かび上がらせている。
「この辺りには、夜になると人っ子ひとり居ないのさ。
日中はそこそこ人が居るが、暗くなると、このあたりに残っているのは、
駅舎にいるあの爺さんと、私くらいなもんだ。
昔は、5000人以上も居た町だよ。
それが今じゃ、夜も住んでいるのはせいぜい200人そこそこだ。
さぁ。入っておくれ。
何もないが一緒にご飯を食べよう。あんた、夕食はまだだろう?」
たしかに、見るからに古い民家だ。
柱の太さが、今時の住宅の倍ほども有る造りになっている。
材料の太さと頑丈さが、震度7の激震に耐えたのかもしれない・・・
玄関へ足を踏み入れた瞬間、響が思わず、そんな風に直感した。
「田舎町なんてものは、道を一本裏へ入れば昔ながらの、
古い建物ばっかりが並んでいるんだ。見た通り、この家は私以上の年寄りだ。
丈夫だけが取り柄だから、地震からは助かった。
避難する前は、息子夫婦と孫が居た。
賑やかに大家族で暮らしていたんだが、いまはみんな散り散りだ。
ひとりでご飯を食べるのは、やっぱり味気なくてね」
「息子さん夫婦や、お孫さんはもう、ここへは帰ってこないのですか?」
「二度と帰ってこないだろう・・・・たぶんね。
役場は、必ず街を復興させると宣言しているけど、無理だろうね。、
線路はここで行き止まりだし、国道や県道だってここから先は
立ち入り禁止だ。
早い話がここは、行き止まりの場所なんだ。
道は繋がっていると言うのに、原発がなんとかならないうちは最果ての地だ。
たぶん・・・・そう多くは帰ってこないだろうね。
もう、そういう運命を背負っちまったんだ、広野というこの町は」
「おばさんは、なぜ避難をなさらないのですか?」
「あたしゃ、ここで生まれて育った。
亭主もずいぶん前から此処で眠っているし、大家族で長年
暮らしてきた場所だ。
あたしが避難しちまったら、家族の帰ってくる場所がなくなっちまう。
年寄りは放射能を浴びたところで、いまさら、どうこうないさ。
あんたのような若いこれからの人や、子供を産んで育てる世代には、
きわめて心配で、住みにくい土地だけどね」
「やっぱり、放射能による風評の影響は、いまでもあるのでしょうか?」
「さあてね、あたしには放射能が、どれほどのものであるのかは解らない。
それでもさ。未来のある子供たちを、安全な処で育てたいと考えるのは、
子を持つ親の本音だよ。
安全だと言っていた原発が、津波で、あっさりと壊れちまったんだ。
そのうえ、取り壊すのに30年から40年もかかると言う話だ。
政府の偉いさんや東電のやっている事は、わたしたち一般人には
よくわからないよ。
今更病んでもはじまらないよ、この先の事なんか。
そんなことよりも、ご飯が冷めちまうよ。さあさあ、早く食べよう」
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第51話~55話 作家名:落合順平