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連載小説「六連星(むつらぼし)」第51話~55話

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 駅舎内部の壁に、童謡「とんぼのめがね」の歌詞パネルが飾られている。
作詞者の医師が、往診で出かけた際に見たときの情景がモデルに
なったといわれている。
駅の窓口に、年配の駅員が1人だけ居る。
だがそれ以外に人影はない。
本来の時刻表が、白い紙で隠されている。
その代わり、臨時の時刻表が、無造作な手書きで小さく、窓口に掲示してある。

 (帰ってくるんだろうか本当に。
 もとの町の住民たちはこんな寂しい町へ・・・・)

 帽子の水滴を振り払い、木製のベンチへ響が腰を下ろそうとした時のことだ。
突然。木造の駅舎がきしみはじめた。
窓ガラスが、ガタガタと激しく鳴りはじめる。
ベンチへ置いた手を通して、響の身体にも地震の揺れが鮮明に伝わってくる。
窓口にいる駅員に「今、揺れましたか」と思わず響が、声をかける。


 駅員がガラス越しに
「うん。確かに、少しばかり揺れたみたいだねぇ・・・・」
と笑いながら、小さな声で答えてくる。
「こんなのしょっちゅうだよ」と、さらに小さな声で続ける。
アナログ放送中のテレビの画面に、速報で、茨城県沖を震源とする
「震度2」という知さな表示が出てきた。


 「見かけない顔だねぇ。どこから来たの、お嬢さんは?」

 暇を持て余していた駅員が、声をかける。
所在を失っていた響が、ベンチからよろこんで立ちあがる。
待っていましたとばかりに、窓口に向かって歩き出す。


 「わたし。午前中までは、石巻にいました。
 帰りの途中で水戸線に乗り、常磐線を使って、ここまでやってきました。
 原発の最前線の町で、役場の機能が戻ってきたという広野の姿が見たくて
 はるばると、やってきたんです」


 「学生さんでは、なさそうだが・・・・物好きな人だね、あんたも。
 ここは、日が暮れると物騒な街になる。
 見るものなんかは一切ないし、何処を見たって荒れ果てたままの
 殺風景な町だ。
 海沿いは、津波に流されちまって何にも残っていない。
 人が住んでいないから日が暮れたら、そこらじゅうが、真っ暗だ。
 避難した連中も、昼間は様子を見にやって来るが、
 日が暮れるといわきへ帰る。
 あんたももう、帰ったほうがいい。
 可愛いお嬢さんが夜を過ごす街じゃないよ。いまの広野は」


 駅員が鼻にずり落ちたメガネを押し上げながら、皮肉っぽくを笑う。


 「もともとの住民だって、若いものなら、こんな街には帰ってこない。
 年寄りなら、先が無いから我慢して住めるだろうが、やっぱり放射能は怖い。
 子供たちは安全な処で育てたいと考えるのが、若い親たちの本音だ。
 お嬢さんも、こんな処に長居してはいけないよ。
 次の列車がいわきへ戻る、最終便だ。
 是非、また遊びにおいでと言いたいが、そんなに簡単な街じゃない。
 ここだけの話だが、原発の処分は、まだ20年から30年かかるという。
 だいいち、処理するための技術を、今から開発をするというんだから、
 まったくもってのん気過ぎる話だ。呆れ果てて、ものが言えん。
 ははは、・・・・これは、ここだけの内緒の話だよ。
 ここでは、うっかり本音も言えない。
 年寄りの戯言だと思って、聞き流してくださいよ」


 「それほどまでに、実は深刻なのですか、この広野という街は」


 響が窓口から、駅員の顔をのぞき込む。
年配の駅員が、ゆっくりとメガネを外す。
丁寧にくもりをふいてから、ふたたび顔にかけ直す。


 「広野の海岸には、コンクリートで作られた巨大な防波堤があった。
 三陸海岸に有ると言う『万里の長城』ほどではないが、
 それでもその堤防は、そこそこの大きさと高さを誇る、
 おらが町の自慢だった。
 それがあの津波で一瞬にして、簡単に壊れちまった。
 海岸に有った家は土台だけを残して、みんな、がれきになった。
 避難区域に指定されたために、いやおうなしにみんな避難をしていった。
 だがそれも、一年も経つと、ごく当たり前の暮らしとして受け止めはじめる。
 みんなが、いまの避難生活の中に落ち着く。
 もう、こんな危ない街に、いまさら帰ってなんかくるもんか。
 おおくの人たちが、このあたりに蔓延している放射能を恐れているからね。
 未来のある若い者たちなら、なおさらのことさ」

 時計を確認した駅員が、響を手招きする。


 「次の電車までは、30分以上も有る。
 お茶を入れるから、改札口を回って、こっちへ入っておいで」
 
 ホームに面した入口の扉を、指でさし示す。

 「せっかく遠くまで来たというのに、手ぶらで帰すのは気の毒だ。
 旅の土産話が壊れた原発と、津波で壊滅した町の様子と、
 火力発電所だけでは、味気無さ過ぎるじゃろう。
 ほんらいの広野は、景色に恵まれた、童謡の里として有名なところだ。
 時間つぶしに、わしの話でも聞いていくかい?」


 「そういえば、プラットホームに、童謡『汽車』の碑が有りました。
 ここの壁にも、『とんぼのめがね』のパネルが飾ってあります。
 へぇ~。広野はそう言う町だったのですか」


 「広野は風光明媚な街だ。
 美しい海岸の景色と、日本の原風景みたいな里山の景色を併せ持った、
 とってもいい町だ。
 もっともそれは、今から一年前までの話だが、ね・・・・」


 言われた通りに、響が改札口から回り込む。
事務室の中に入り込んだ響が、駅員がすすめてくれた椅子へ、
軽く会釈してからチョコンと座る。
「はいどうぞ』と駅員が響きの前へ、湯気の上がる茶碗を差し出す。
そういえば忙しく列車の移動を繰り返し、随分と長いあいだ水分を
摂っていないことに、響がようやくのことで気がつく。

 「ああ・・・・あったかくてホッとします。おじさん、美味しいです!」

 お茶をすする響の様子を見て、招き入れた駅員も、嬉しそうにほほ笑む。
それにしても暖かすぎると、響が足元を見ると小さな電気ストーブが
すでに赤々と点けられている。
『うふっ。どうりで、あたたかいはずです・・・』響の身体のどこかで、
張りつめていた今までの気持ちが、ストーブの温かさとともに、
少しずつ緩みはじめてきた。