連載小説「六連星(むつらぼし)」第51話~55話
いいから朝ご飯にしましょうと、おばさんが明るく笑う。
そう言えば今になってから、おばさんの名前を聞き忘れていたことに、
はじめて響が気がつく。
いそいで箸をテーブルに戻した響が、両手を膝に置き、
簡単な自己紹介をはじめた。
「すみません。
自己紹介がくなってしまいました。正田 響と申します。
昨日から、ずっと、お世話になりっぱなしだというのに、ごめんなさい。
うっかりしたまま、ご挨拶が遅れてしまいました」
その先の言葉を、おばさんに制止されてしまう。
「良いよ、いまさら挨拶なんか。とにかく食べよう。
被災地では、食べられるときに食べておかないと、後で
大変なことになるからね。
いつ何どき避難がはじまるか、油断が出来ないもの。
ふふふ。冗談だよ、そんなに真面目な顔をして聞かないで」
と、またまた大きな声で笑いはじめる。
「食べることは、人間の元気の源(みなもと)だ。
ガソリンが無ければ車も走らないけど、人間だって食べなければ走れない。
あたしは、かえで、という、ひらがなで書く名前だ。
ちょっと洒落ているだろう。俳句好きの爺さんがつけてくれたのさ。
広野のかえでといえば、若いころは、ちょっとした有名人だった。
美人で有名なわけじゃないよ。
男勝りのおてんばだったのさ、あたしは。あははは。
じゃあ、そろそろ出かけるかい。
あんたを、あちこちに案内をしてあげないと、いけないからね」
「・・・・え、?」
「せっかく広野町まで来たんだ。あちこちを見たいだろう、響ちゃん
ここは津波と放射能に潰されてしまった、被災地の見本の町だ。
おまけに、東電の火力発電所まで抱え込んでいる。
東日本大震災の『天災』と『人災』を、象徴しているような町さ。
それが知りたくて、わざわざこんなところまで足を運んでくれたんだろう。
あんたは、素直で澄んだ良い目をしている。
真っすぐに見つめるその目が、とっても素敵だ。
あたしは、そういう目で未来を見つめる若い子が大好きだ。
いくつも難題を抱え込んでいる、広野町の本当の姿を見せてあげるから、
あんたも、歴史の生き証人の一人になっておくれ」
(歴史の生き証人!・・・・これ以上、何があるというのだろうこの町に)
思わず響の背筋に、また新しい衝撃が走る。
「まず最初に、東電の火力発電所を見に行こう」と、かえでが、
表に停めてある軽自動車のハンドルを握る。
「火力発電所というのは、首都圏用のものなのですか?」
「このあたりは、東北電力が管轄しているからね。
関東地方を管轄する東電が、わざわざ他所まで出向いてきて首都圏用に、
大型の発電所を次々に作るんだから、世の中は分からないものだ。
広野発電所は、380万kWを誇る、超大型の火力発電所だ。
そこから北に9キロほど行けば、福島第2原発が有る。
さらに北へ20キロ行った先に、津波で破壊されて放射能をまき散らした、
福島第一原発の建屋が有る。
3つの東電の発電所で、首都圏に大きな貢献をしているんだよ福島県は。
広野の火力発電所は、海に大きく張りだして建てられている。
そのために、津波で大きな被害を受けた。
5基あった発電炉のすべてが、大きな損傷を受けたのさ。
そのせいで首都圏の電力が、大幅に不足することになったんだよ。
計画停電の原因を生んだ、いわくつきの発電所だよ」
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第51話~55話 作家名:落合順平