リコーダーが吹けない(零的随想録1)
とげぬき地蔵尊と染井霊園
(注意:以下の文章は、過去に文芸部の合宿があった時の報告レポートとして書いたものに、一部修正を加えたものです。)
今回執筆を担当するうちの一つ、とげぬき地蔵尊に行ったのは今回の合宿で何回目だろうか、もうわからないですが、雰囲気がずっと変わらず、ずっと活気があるなあと思います。
まず手を洗ってから振り返ってみるとお線香をたいているところで自分の悪い所に煙をあてる(様に手を動かすだけでいいんですよ)人が絶えません。そして、洗い観音様のところも列がいつも通りできていました。(その横でペタップという商品を売っているのも変わらずでした。)そして本堂でも参詣に来た人が多くいます。はじめてきた人はちょっとびっくりするかなあと、思ったりします。
別に仏閣ですから、仏教の信者じゃない人は「大げさだなあ」とか思う人もいるのかもしれませんが、実際別に信者じゃあない人も参詣している人って多いんですよ。というのも、ほんとうに困ったときって、結構そういう救いを求めたくなるから。
でも、大事なのは感謝の気持ちですね。お願いしたことがお願い通りにかなった時、人々はついお祈りをしたこと(というか、お願いをしたことですね)を忘れてしまうんですよ。
でもそれって失礼でしょう?頼むだけ頼んでおいて、うまくいったら知らん顔、だなんて相手が実際に生きている人だったらできないでしょうに。そういうことを考えながらお参りすることが大切ですよ。別に心の中で「ありがとうございました」って唱えればいいんだから。
そういうようなことを考えつつ、ここを参詣させていただきました。
そうそう、ここでは御影が手に入るんですけど、困ったときにはって使うようです。…え?
それでも効かないようならどうするって?その時は飲んでください。実際に伝わっている話でも、女中さんが針を間違って飲んだ時、御影を飲んだら針を吐き出せたそうです。
さて、とげぬき地蔵について書きすぎちゃったかなあと思いますんで、染井霊園の話をはしょることになりそうですが。
染井霊園には高村光太郎とか、二葉亭四迷(有名な「くたばってしまえ」の人ですよ)のお墓があります。お墓があると、その人が本当にいたんだなあって思います(実際はお墓があるからってその人が実在したかわかんなかったりするんですけれども。すごく昔の人とか。そんな気持ちになるっていうことですよ)。
お墓に眠る人の一覧なんかを見ると、あれっ、と注目してしまう人もいるもんです。宮武外骨さんがその人。名前にガイコツってすごい人ですよね。調べてみたら、この方はジャーナリストの方だったそうです。個人雑誌の始まりを作ったとされています。…個人雑誌って何だ?と調べてみると、今日同人と呼ばれるものの原型のようですね。ウィキペディアいわく、「活字を並べて絵に見せたり、他愛ない小説に見せかけて(縦組みのページを)横に読むと本願寺への皮肉が隠れていたりと今日各種ウェブサイトで一般化した技法(アスキーアートや縦読みなど)の原形も見られる。」とも書いてますし。
結構長々と書いてみましたけれど、これ以上書くと読む気もなくなるかな、と思いますので、これ以上はやめておきます。他のことが知りたい方は、まず行ってみましょう。それからいろいろと調べてみると楽しいこと請け合いです。最後に、すごく馴れ馴れしい文体であること、もしかしたら不快に思う方もいるかもしれませんのでここにお詫びの意を示し、この文章を締めさせていただきます。
(以上、引用終了)
作品名:リコーダーが吹けない(零的随想録1) 作家名:フレンドボーイ42