リコーダーが吹けない(零的随想録1)
趣味の話をダラダラと。
(注意:この文章は過去に自分の所属する文芸部の部誌に寄せたものです。現在の僕の考えとは異なるものとしてお読みください)
銅鑼焼が好きで仕方ないドラえもんのように、ホットケーキが好きで仕方がないのび太のように、好きなものがあるのは仕方ないことだと思うわけですよ。だってそれはどうしても否定できない事情でありまして、しかもこの広い世界に興味を一切持つことがないわけがないわけで、もしそうならあなたは人間じゃなくて神ですよ(もしくは超人か)。
でも、少なくとも僕が思っているのは、他人に自分の趣味から見た常識を押し付けてるんじゃねえよ、みたいなことです。
はっきりいって、釣りが好きな人に、金で買ったほうが安いとか、野球ファンにボールを棒で打つ競技がそんなに楽しいかだの、その人に対しては、何よりもムカつくことですよ(それでムカつかないなら、趣味じゃない)。たとい表では笑っていて、「そうっすよね〜、アハハハハ」とか言ってても、心の中では何やら苦しくも黒いものが巣食うはずですよ。
たとえば、アートも一緒ですよ。ある人にとっては、彫像というものは何処か一部でもペイントなんかあったらまずいし、大体キリスト教的に卑しいとされている場所は適当にしておくのが普通なのですよ(ある人にとっては、また、仏教のように、その神のイメージによって、彫り方を変えるとかね)。でも、たとえば、京浜東北線なんかに乗って(昼[11:00〜16:00]なんか上野駅から快速一駅で行ける)、秋葉原に行って見てごらんなさい。眼なんかペイントですよ(キリスト教的に顔は最も重要)。また、キリスト教的に卑しいとされている場所はほとんど凝ってるし。でも、キリスト教が嫌な人にとって、それは当り前だし、キリスト教がどうでもいいって人でも、それを好きな人はいるわけで。で、そういう人に対して、「エロい」「変態」「マジキモイ」だなんていったって、仕方ないでしょう?たとえばあなたが軟化のスポーツにはまっていたら、そのスポーツを馬鹿にされてうれしいですか?「ボールを追いまわって蹴りあってどうするんだ」とか、「かごにボールを入れても出てくるんじゃあ何のかいもない」だとか。
はっきりいって、僕を含め、個人がはまっているものなんて、他人から見て、「馬鹿じゃん」としか思えないものの方が多いですよ(もちろん、共通趣味を持つ人はいるけれど)。じゃなかったら、ゲームが嫌いな人にとっては、任天堂信者と呼ばれている人たちがなんでソニーのゲームを買う人を「GK乙」と呼ぶのか分からない。
詩が好きな人がいれば、嫌いな人がいる。伊坂幸太郎を読んで感動する人がいれば、活字の時点で拒絶反応を起こしてしまう人だっている。あたりまえじゃあないですか。みんなおんなじだったらむしろ厭ですよ。
最近人権問題が取りざたされてきて、差別問題が次々に解決されそうになっていますけれど、趣味についても、他人の趣味を馬鹿にするものじゃあないですって。
だって、それも差別でしょう。違いますか?
世界の戦争もそうして起きてるんですよ。自分の信仰する宗教にとらわれて、他人の宗教を認められないとか、そういうのが多いですよ(侵略戦争もないわけじゃあないけどさ)。
趣味の理解は大切だということを多くの人に理解してもらうことを期待して、この辺でだるくなりそうなので終わりますね。
P.S.
因みに、ここに書いてあることに対して、反発意見も多いことだと思います。大体、差別しちゃあいけないなんて誰が決めたわけではないっていうこともありますからね。でも、みんなが仲良く過ごすほうが、地球規模の問題を解決する方法としては近道だと思うので、それを実行するためなら、こういう小さいところからやっていったほうがいいと思います。…っていう話です。反対意見をおもちのかたは、まず地球がどうあってもいいのかどうか、考えてみてください。僕らが生きている間に地球の問題がいきなりひどくならないとも限りませんからね…。
(以上、引用終了)
作品名:リコーダーが吹けない(零的随想録1) 作家名:フレンドボーイ42