連載小説「六連星(むつらぼし)」第46話~50話
連載小説「六連星(むつらぼし)」第48話
「三種の神器と口紅」
「緊急時避難準備区域内にあった広野町は、昨年の9月に、
指定を解除されています。
しかしその時点で帰ろうという機運は、まったくうまれていません。
いまでも町民約5300人のうち、4100人がいわき市などに
避難をしたままです。
町に戻ったのは、今年の2月29日現在で、わずか250人です」
パタンと、ノートパソコンを閉めた川崎亜希子が、
響へ「それでは、その広野町についてお話をしましょう」と顔を向けてきた。
「福島駅から私が降りる那須塩原駅までは、1時間足らずです。
残された時間はあまりありません。お互い有効に時間を使いましょう」と
優しくほほ笑む。
響も、それにはまったく異存がない。
「最近の報道です。職員70人を前に山田基星町長が、
『役場の復帰は本格的な再生復興の始まりであり、町民たちの帰還に向けた
環境整備でもある』と、話したそうです。
町立の幼稚園と小中の各1校は、新年度の2学期から、
広野町で授業を再開するという予定をたてました。
地震や津波で自宅を失った町民向けの仮設住宅を、
町内の2カ所に建設します。
46戸が、3月中までに完成させるなど受け入れ準備も
それなりには進んでいます。
ここまでは、報道されている内容です。
しかし、現実は、それほど甘くありません。
昨年の9月に広野町へ戻ってきた、農家のある女性は、
こうした町の計画を、かなり冷ややかな目で見つめています。
私たちが避難区域の潜入調査を終えて、帰り際に立ち寄った広野町の
ある商店の女性から聞いた話も、辛辣です。
『空間放射線量は、役場の周辺で毎時0.18マイクロシーベルトと
かなり低くなってきています。
町民が帰るきっかけになってほしいと、役場の復帰は歓迎しています。
しかし、震災まで同居していた若い息子夫婦と2人の孫は、
学校や保育園が再開されても、町にはもう、戻って来ないと断言しています。
『2歳の娘が入る保育園は既に決まっている。
いくら除染しても、やはり将来的に不安なので広野には帰らない」と、
いわき市での生活再建をすでに決めています。
たとえ戻ってきたとしても、広野町に、息子夫婦の仕事の場はありません。
このことも、帰って来ない大きな理由になっています。
役場の機能が戻ってきても、職員たちはいわき市から通勤します。
『単なる行政側の、アピールに過ぎないだろう』と言う皮肉な声が、
たくさん聞かれています。
『町内の仕事は少ない。いまのままでは農業もできない。
何もできない町なのに、多くの町民が帰ってくるとはとても思えない』
と、悔しそうに語っていました」
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第46話~50話 作家名:落合順平