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魔物は人間の夢を見ない

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 わたしはもう返事もしなかった。ただ無言で自分の姿を変えていた魔術を解く。
 アグリィはわたしの姿に目を細めたが、そこにどんな感情が宿っていたのかはわからない。しかもそれは一瞬のことで、すぐに焼き切れた魔術符を捨て新たな符を取り出し二度目の魔術の起動に取り掛かる。だからわたしも下らないことを考えるのはやめて、仕事に戻ることにした。ものの数秒で完全にシアンという女の面影は失せ、本性の形を取り戻す。

「さて、続きをやろうか」

 久々にこの姿での戦闘だ。うっとうしかった長い髪の毛もなくなり、久々に四本の足で大地に降り立つ感触は悪くはなかった。尻尾を二、三度軽く振り、それから大きく伸びをする。
 わたしの本当の姿はこちらの世界の黒豹に似ている。違うのは背中にある黒い翼と額から生えた白い角くらいのものだ。ビークスはアグリィに自分の術を中和されたことに唖然としていたが、わたしのその姿を見て更に驚愕の色を深くした。

「お、お前、人間じゃなかったのか……!?」
「あの姿は仮初に過ぎない。本性は主人に仕えるただの魔物だ」

 わたしが言い終わるより早く化け物が動いた。アグリィのほうに狙いを定め火球を投げる。わたしはすぐさま反応してアグリィと火球の間に障壁を作って弾き返す。アグリィはそちらを見ようともせず起動に集中している。詠唱は歌うようにホールに反響した。まるで廃墟に響く賛美歌だ。

「哀れだな」

 空中から化け物に飛び掛り、太い首に牙を立てる。力の差は歴然であるというのに、それを理解する自我がないのか。それとも己を作った主人への忠誠か。少なくとも姉の弟への愛情ではないだろう。

「ぐるあぁっ……」
「無駄だ。主人には指一本触れさせん」

 空中に大きなツララを生み出し化け物の肩を貫く。赤い血しぶきがわたしの漆黒の毛並みを濡らす。しかし血はすぐに冷え、傷口から化け物は凍りはじめた。このまま氷漬けにしてやる。


「化け物め、姉さんから離れろ!」

 少し離れたところからビークスが攻撃を仕掛けてきたがそちらはちらりともせずに無言で尻尾で叩き落した。この姿でならこの程度の魔術は無傷で弾くことも容易だ。アグリィに後で怒られる心配もない。
 化け物はわたしの下でどうにか起き上がろうと暴れていたが、わたしがビークスの魔術を叩き落した頃にはもうピクリとも動けなくなっていた。床もろとも完璧に氷漬けにされ、醜いオブジェとなって床に張り付いている。

 わたしはひらりと化け物の上から飛び降り、呆然として氷漬けにされた化け物を見つめるビークスのほうを向く。

「お前にはこれが本当に姉に見えるか? 姉の魂は確かにここに存在するのかもしれないが、お前のことどころか自分が何者であるかすらもわかってはいないぞ」
「う、嘘だ。だって姉さんは僕の言うことを何でも聞いてくれる。姉さんは今も昔のように僕に優しくしてくれる!」
「それは人間のいう愛という感情ではない。ただの本能的な忠誠によるものだ」
「そんな、そんなこと……ない!」

 しかしその声は動揺を押し隠すことはできず、肩は小刻みに震えている。そこにいるのはただの孤独な少年で、恐ろしい化け物を従えた魔術師などではなかった。さっきアグリィが哀れむような目でこいつを見ていた理由がなんとなくわかった気がする。

「そう思うのは勝手だが、お前のしていることはただのエゴでしかない。死者が望むのは不自然な生ではなく、生者に死を受け入れてもらうことだ。違うか?」
「うるさい。貴様なんかに何がわかる!」
「それは逆だろう。魔物にもわかることをわからない人間がおかしいんだ」

 わたしは人間以外の動物の言葉も少しわかる。だからこそ、この世界で最も愚かな生き物は人間であることを知っている。人間だけが他の全ての生き物が理解し受け入れられることを容易に認めることができないのだ。受け入れてしまえば全て楽になるのに。とても弱い、可哀相な生き物。

「そうだね。でも、だからこそ人間は理想のために醜く足掻くんだよ」

 声はわたしの背後からした。アグリィだ。
 気がつけば一度は消滅した魔力の流れが再び部屋に充満している。何をやらかすつもりかは知らないがアグリィがこんな大技を使うのは久しぶりに見る。

「思ったより早かったな」
「さっき使って余った魔力をそのまま召喚したからね。おかげで一からやり直すより早く済んだよ」

 それはまた無茶苦茶なことをしてくれる。普通一度手放した魔力の流れをもう一度呼び戻すなんてことが人間にできるはずがないのだ。わたしも大抵の人間より魔術に優れているつもりだが、技術だけならアグリィは本来の姿のわたしすら凌ぐかもしれない。

「な、なにをするんだよっ……?」

 ビークスの不安に上ずった声にアグリィは微笑で答えた。

「さっき言ったじゃないか。分解させてもらうって」
「やめてよ! そんなことをしたら姉さんが生きていられなくなっちゃう」
「うん。そうだね。でも今のままでも君のお姉さんは生きていないよ。君ももう気がついているはずだ」

 アグリィの視線を受けて、わたしはビークスの首根っこを咥え嫌がって暴れるのを無視して部屋の壁際まで引きずっていった。

「やめろ、離せ!」
「やめないよ。でも、君のお姉さんはそんなに愛されていて幸せだね」

 そしてアグリィはこの大がかりな魔術の最後の起動スイッチを入れる。詠唱が終わればそれはとても簡単なことで、ただ氷漬けになった化け物の体に符を貼り付けるだけでいい。

 その光景をわたしはまるでガラス細工を床に落としたようだと思った。化け物の体が眩いばかりの光に包まれ、わたしの作った氷はみるみるうちに溶かされる。そして次の瞬間には化け物は完全に分解されて小さな光の欠片となって広間の四方に飛び散った。この光の一つ一つが合成獣の体を繋ぎ合わせた魔力の断片だったり、あるいは何かの魂だったりするのだ。その様は喚いていたビークスでさえ一瞬言葉を失うほどに美しかった。

「こちらのほうがきれいだ。そう思わない?」

 幻想的な光景の中に佇むアグリィが、ゆっくりと天井へ昇っていく光たちを見守りながら呟いた。やがて光は天井をすり抜けて、二階や屋根を越えて更に上へ上へ天を目指して昇っていく。全ての魂は天へと還るのだ。

「姉さん。俺を置いていかないで。ねえ、嫌だよ。それなら俺も連れていって。一人は……嫌だよぉっ」

 姉を求めて叫ぶビークスの頬を幾筋もの涙が伝う。光を反射した涙は淡い光を放ちながらも天へと登ることはできず、冷たい埃まみれの床に落ちるだけだった。捕まえていた首根っこを離してやると、よろめきながら光のほうへ手を伸ばし天井の向こうへ消えていく光に両手を差し伸べてもう還らない姉を呼びつづけた。いつまでも。

 これでよかったのかと思いアグリィに目をやると、さっきの猫の人形を腕に抱いて満面の笑みを浮かべている。そういえばどうしてこんなものを持ち出したのかと思い、何気なく人形に目をやり、

「なっ……おい、待て。なんだそれは」

 わたしは露骨に表情を引きつらせるのだった。アグリィの満面の笑みの意味を悟り尻尾の先まで硬直する。信じられない。