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魔物は人間の夢を見ない

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 化け物と一緒に正面玄関から入ってきたビークスは怒りの形相をしていた。

「よくも姉さんの部屋を荒らしたな」
「その件に関しては素直に謝罪しよう。でも先に手を出したのはそちらだ」

 ビークスはもちろん、化け物もいつでもアグリィに飛びかかれるよう身構えている。しかしアグリィは懐の魔術符に触れようともしなかった。

「それとこれは親切心で言わせてもらうだけだけど、君のご両親の研究はおそらく合成獣の発展型であって死者蘇生の術ではない。たとえ魔術師を混ぜたところで凶暴性が増すだけだよ」

 魔術師を混ぜる? 奇妙な単語に首を傾げる。しかしビークスのほうにはなにやら心当たりがあるらしく、怒りの形相が一瞬硬直したことを見逃さなかった。
 話は見えないが、ただの使い魔には関係のないことだ。教える気があれば後で教えてくれるだろう。
 だからわたしは自分の仕事をすることにした。わたしはわたしに与えられた?お願い?をこなすだけだ。たとえどんなに気に食わなくても主の命に背くわけにはいかない。それにまだアグリィに死なれては困るのだ。きちんとわたしをミケラスカとして認識させるまで。これは、ただの魔物のプライドでありそれ以外の何物でももちろんないのだけれど。

「本当は君ももう気づいているんだろう? 君の最愛の人はこの方法では取り戻せないということに」
「うるさい。うるさいうるさいうるさい! お前なんかに何がわかる。一人取り残された僕の気持ちが……!」
「わかるよ。きっと」

 アグリィは口許の微笑を消し、悲しみの色を浮かべる。

「でもそれとこれとは話は別だ。その化け物は分解させてもらう。君の姉君のためにもね」
「……っ! そんなこと絶対させない!」

 その言葉を合図に化け物がアグリィに向かって飛び掛った。アグリィは構わずに普段は使わない大型魔術専用の魔術符を取り出し詠唱に入る。そしてわたしは、アグリィと化け物の間に割って入った。

「悪いが主人の?お願い?なんでな。その攻撃は妨害させてもらう」
「たかが女一人に止められると思うな!」

 もちろん答えたのは眼前に迫る化け物ではなくビークスの方だ。化け物は宿屋のときと同じ大きな火の球を出現させ正面に投げつける。やれやれ、馬鹿の一つ覚えだ。

「どいつもこいつも、わたしを人間扱いするな」

 わたしも宿屋のときと同じように火の球を相殺できるだけの量の冷気を収束させて火球にぶつける。そして再び両者がぶつかりあう横をすり抜け、今度はかわされる前に化け物の腹に蹴りを叩き込んだ。

「ぐがぁっ」

 化け物は大きく後ろに吹き飛び、壁に激突するかと思いきやくるりと体を反転させて体勢を持ち直す。さすがにこの程度の体術でやられてくれる相手ではなさそうだ。

 しかしその頃にはわたしはもう地上にいない。

「上だ」

 わたしの声にハッと化け物とビークスが同時に天井を仰ぐ。彼らの目には蜘蛛の巣の張った天井に、もう一つシャンデリアが増えたように見えたことだろう。空中の天井近くに浮かぶわたしの周囲には、窓から差し込む月明かりを受けて朧な光をまとう、無数のツララが発生していた。

 わたしが手を振り下ろすのと同時にツララが化け物めがけて降り注ぐ。化け物はその場から逃げようとするが、その広い攻撃範囲から逃げ切ることはできない。丈夫そうな皮膚はぐさぐさと肉を裂く音を立てて貫かれた。

「ぐがあぁぁっ!」
「姉さん!」

 化け物の叫びとビークスの悲鳴が重なる。しかしビークスのそれは化け物を呼ぶものとしてふさわしさを欠いていて、わたしはつい、らしくない人間じみた頓狂な声を上げてしまった。

「え?」

 姉だって? こいつの姉は死んだだろうに、いったい何を言っているんだ。しかもその言葉は明らかに化け物に向けられている。

「アグリィ、どういうことだ」

 わたしは部屋の真ん中から一歩も動いていないアグリィのほうに視線をやるが、アグリィは眉を下げて首を振って見せるだけだ。ここで魔術の詠唱が途切れるとまた最初からやり直さなくてはならないから答えられないのだ。

 しかし先程のアグリィの言葉と今の態度だけで答えは十分だった。
 アグリィとビークスの会話から察するに、この化け物の正体は合成獣だ。見たところ肉体のベースにはその辺の獣を利用しているようだが、おそらくその中に姉自身を融合させたのだろう。もしかしたらあの白骨死体と化け物は同じ存在であったのかもしれない。

 まったくよくやるよ。人間ってやつは。こんなことをしてこいつの姉とやらが喜ぶとも思えない。ただの自己満足じゃないか。わたしには、理解不能だ。

「ミケラスカ!」

 静かに詠唱していたはずのアグリィが不意にわたしの名を呼んだ。それと同時に部屋を包み込むように展開していた魔力の流れがぷつりと途絶えた。大きな魔力の流れが消滅し、ある種の静寂に近いものを肌で感じる。そのとき初めてわたしは背後に微かな魔力の流れがあることを察知した。

 振り向けば、蝋燭に灯されたような小さな炎。しかしそこにはかなりの魔力が圧縮されているのがわかる。このわたしとて直撃すれば相当のダメージを被るだろう。知識がないだけでどうやら才能は相当なものだったようだと頭の片隅で考えた。

 気づくのが遅すぎた。それはもうわたしのすぐ目の前まで来ていて、避けるのも障壁をつくるのも間に合わない。仕方がないのでダメージを最小限に抑えるべく片手をそちらへ差し出す。腕一本くらいなくたって平気だ。馬鹿な主人は婚約者の外見が損なわれて悲しむかもしれないけれど。だって、仕方ない。

 風が吹いた。

 そう思ったときにはもう既に小さな炎は掻き消されていて。
 本当の意味で室内を静寂が満たした。誰も口を開かない。ある者は状況が理解できず、ある者は他者の言葉を待ち、ある者は口にする言葉を探して。

「……何をやっているんだ、この馬鹿が」

 最初に口をついて出たのはやはり悪態だった。探しても他に言うべき言葉は見つからなかったから。

「この程度の魔術ならわたしは死なない。放っておけばいいんだ」

 他人の放った魔術を弾き飛ばすのでも受け止めるのでもなく、完全に中和して消滅させるなんてことができるのも、そんな無駄なことをする馬鹿も、今この場ではただ一人しかいない。

「ごめんね。怒るのはわかってたんだけど、君が傷つくのは嫌だから」

 アグリィは苦笑じみた微笑を浮かべて言った。しかしこいつが容易くやって見せたその芸当がどれだけのリスクを負うのか知っている。普通の魔術師ならあれだけの大きな魔術をキャンセルするだけでも中途半端に解放された魔力の反動で命を落とすこともあるのだ。それどころかその場に満ちている魔力を別のことに利用するなど考えられない。

「お前、やっぱり馬鹿だろう」
「うん。そうだね」

 そんなこと笑顔で肯定されても困る。わたしはこいつのこういうところが嫌いなんだ。

「……もういい。そんなにこの姿に傷をつけたくないのなら元の姿で戦わせろ」
「そうだね。別にそういうつもりでやったんじゃないんだけど、そちらの方が戦いやすければかまわないよ。君が一番戦いやすいように戦えばいい」