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魔物は人間の夢を見ない

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 そんなわけで全く収穫も得られないまま酒場で飲み直し、宿を取った。ワインで少し酔ったのかアグリィはすぐ眠ってしまったが、それでも入り口と窓のところに誰も入れないよう呪いをかけることは忘れなかった。

 わたしは魔物なので眠りを必要としない。することがなければ眠ることもあるが、基本的には月明かりを頼りに本を読んでいることが多い。もちろん本はアグリィが買ったものだ。自分が眠っている間にわたしが退屈しないようにというアグリィの気遣いらしい。
 アグリィはわたしが本を読み終わる頃を見計らって最寄りの本屋で別の本を買ってくる。しかもなぜか大抵買ってくるのは冒険小説だ。なので一度アグリィの趣味なのかと尋ねたことがあるのだが、どうやらそういうわけでもないらしい。たしかに言われてみればアグリィがわたしに買い与えた本を自分で読んでいる姿を見たことはない。別に冒険小説がつまらないとは思わないが、とにかく謎だ。

 魔物のわたしから見てもアグリィは謎だらけである。それともわたしが魔物だから謎に映るのだろうか。
 この旅の目的は何なのか。なぜわたしを死んだ婚約者として扱いたがるのか。わたしを一体どうしたいのか。人間が不可解なのか、こいつ自身が不可解なのか、わたしにはわからない。本を読みながらそんなことを考え、朝日が昇るのを待つ。それがわたしの夜の日常。

 しかし今夜はいつもと少し違った。ぼんやりページを繰る手を止めて顔を上げる。窓の外の景色に変化はない。しかしわたしの魔物としての感覚は確かに異質な気配を捉えていた。アグリィが部屋に施した魔術が共鳴して鳴いているので間違いない。魔力を持った何かが近づいている。

 ああ面倒くさい。まだ今夜はほとんど本も読めていないというのに。伝説の剣は果たして見つかるのか、本当に存在するのか、今日はそれが明らかになる予定だったのに。次の夜に持越しではないか。こんなことでは生き別れの兄と勇者が再会するのは何日先になることやら。
 とはいえ主人に危険の可能性がある以上、読書を続けるわけにもいかない。わたしは読み始めたばかりの本に栞を挟み右手を窓にかざしてアグリィの術を解除した。

 呪いの窓からただの窓に戻ったそれを押し開き、わたしは窓から飛び出した。ちなみにここは二階だ。しかしわたしの体は落ちることなく、空中にまるで見えない床があるように静止した。今は人間に化けているが、本来の姿はは翼を持った魔物なのだ。だから人間に化けたまま空を飛べばそんな風に見える。スカートでこれをやるとアグリィがいい顔をしないので普段はきちんと大地の上を歩いているが、今宵は鬱陶しい主人の目もないので無礼講だ。どこまで足が見えようがわたしは全く気にしない。

 外の空気は生暖かくぬるりとしていた。まだ夏と呼べる季節だからだ。早くしんと空気の冷えた冬がくればいいのにと思う。
 地上ではこちらを指差して腰をぬかしている酔っ払いが見える。しかしわたしはそんなものは無視して正面に視線を据えた。向かいの建物の屋根の上へ。さっきまでは何もいなかったはずのそこに、いつからかそれはいた。

 人間の大人の男よりふたまわりくらい大きいだろうか。全身毛むくじゃらでどちらかといえば猿に似ているが細部が本来のそれとは異なっている。狐か猫の類のような尖った耳が二つ、長い尻尾が三つ。灰色に濁った目玉と涎を滴らせる白い牙が月明かりを反射して輝いている。もちろんそれは人間ではない。しかし魔物の気配でもない。どちらでもあり、どちらでもない。では何なのかと問われれば、それに当てはめるべき正しい言葉をわたしは知らなかった。
 それなのになぜだろう。この気配を、わたしは知っている気がする。奇妙な感覚がわたしを襲う。

「お前は何だ?」
「ぐる、ぐががるる」

 困った。言葉がわからない。言語文化が完全に違うらしい。わたしは紙一重で馬鹿な主人と違い、あまり言語に詳しくはない。
 アグリィを起こそうか。いや、やはりやめておこう。あいつがいて事態が好転したことなどこれまでただの一度もない。それにあいつの軽口を聞いているとひどくやる気が失せる。今夜は早く終わらせて本の続きが読みたいのだ。

 そんなことを考えているうちに、化け物は何を思ったのか太い大きな腕を三日月に向けて掲げた。それを見てわたしはぎょっとする。化け物の体の半分くらいの大きさの、つまりとんでもなくでかい火の球が一瞬にして化け物の手のひらの上に出現したからだ。こんな短い間にこれだけの炎を精製できるとは、おもしろい。

 火球は低い唸りを上げながら真っ直ぐにわたしへと向かってくる。何かを毒づく暇もない。わたしは無言で冷気の塊を火の球に向かって投げつける。大きさは相手ほどないが威力は十分にこめてある。

 二つの相反する属性の魔術がぶつかり合い、夜の闇に光と爆発音を生んだ。その激しいぶつかり合いの結末を見ることなく、目が眩んだであろう化け物に向かってわたしは跳躍した。薄い障壁を周りにめぐらせていたので、二つの力の余波を浴びることなくその真横をすり抜けて一直線に化け物へ突進する。これくらいの光ならわたしの眼は何の問題もないのだ。

 まだ見えてはいないはずだが、魔力の気配に気付いたのか化け物も屋根を蹴り跳躍する。
 てっきりそのまま真正面から突っ込んでくるものと思った。しかしわたしの思惑は外れ、わたしの横を猛スピードですり抜けて宿屋の窓に張り付いた。アグリィの眠る、先ほどわたしが出てきて開いたままの窓に。

「しまった!」

 あんな馬鹿とはいえ主人なので、危険に晒すわけにはいかない。そんなことわかっていたはずなのに、ああ、なんたる失態だろう。わたしは己の浅はかさに舌打ちし、屋根に手をつき勢いを殺して方向転換しようとするが、遅すぎる。間に合わない。
 ここから魔術を撃つか? いや、それだと下手をすればアグリィや他の人間を巻き込みかねない。アグリィの馬鹿はともかく他の人間を巻き込むことをアグリィは望んでいないはずだ。それでは全力で飛行して追いつくか試してみるか? 否、この距離ではわたしの翼が如何に有能とはいえ難しいだろう。原型にでも戻らない限り無理だがそれには主人の許可を必要とする。本末転倒だ。

 わたしは滅多にない失態に柄にもなく動揺していた。だから失念していたのだ。わたしの主人が馬鹿で性悪で変態で、使役している魔物よりも力ある、おかしな魔術師だということを。

「ぐがああぁぁっ」

 刹那、化け物の醜い叫びが静かな夜の街に木霊した。化け物の体はずたずたに切り裂かれ緑色の体液をぬるついた空気の中にぶちまける。
 まさに一瞬の出来事だったに違いない。化け物も自分がどうして痛みを感じているのかわかっていないはずだ。化け物は痛みにもがき苦しみながら大地に墜落し、悲鳴を残してそのまま夜の闇に溶けるように消えてしまう。後には化け物の落ちてきた衝撃でひびの入った地面と、腰をぬかして動けないでいる酔っ払いがいるだけだ。

 どこへ行ったのかはわからないが今はどうでもいい。そんなことより腹が立つのはうちの馬鹿主人だ。

「どうしたんだいシアン。かわいい顔が台無しだよ?」