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魔物は人間の夢を見ない

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 読み終えた研究資料をテーブルの上に置き、ふかふかのソファの背凭れに体を沈める。本当に姉の部屋以外は管理が行き届いていないのでとても埃っぽかったが、それでも魔力を消費しすぎた体には心地いい。いくらなんでも流石に今回のはちょっと疲れた。おまけに徹夜だったので目蓋が重い。昔から夜更かしは苦手だ。

「もういいんですか?」

 ビークスが片手でティーカップの載った盆を持って部屋に入ってくる。もちろんもう片方の手には猫のぬいぐるみを抱いて。

「合成獣に関するこれだけ詳細な研究は帝都でも見られないだろう。君のご両親はとても素晴らしい魔術師だ」
「ありがとうございます」

 これはお世辞ではなく本当のことである。でなければ熟練の研究者でもないビークスがあれだけ完成度の高い合成獣を作り出すことは不可能だったはずだ。

「アグリィさんも合成獣の研究をしているんですか?」
「いいや、ちょっと違うかな」

 目の前に置かれたカップに口をつける。この香と味は何の葉だったろうか。確かシアンが好きだったはずだと思い出し目を細める。これは婚約者のシアンの方で、ミケラスカはどちらかといえば酒が好きだ。つまらなそうな顔をして、果てしなく飲む。

 ビークスはL字型のソファの逆側に座り、その隣にぬいぐるみをそうっと座らせた。しかしぬいぐるみが膝の上に乗りたがって短い腕を伸ばすので抱き上げて膝に乗せてやる。さっきまでの険しい色はもうどこにもない。しかしこの時が永遠に続くのではないことだけはきちんと教えておかなくてはならなかった。少年がまた狂気に捕らわれぬよう。

「それは合成獣の中の魂の一部を一時的に留まらせているだけだ。いずれはただのぬいぐるみに戻るよ」
「……やっぱり、そうなんですね」

 ビークスが悲しそうに笑うのでぬいぐるみが心配そうに彼を見上げる。ビークスはいとおしそうにその頭を撫でた。猫の尻尾が幸せそうに揺れる。

「人間に完全な永遠は作れない。やろうとすればあの化け物のように自我を失ったり、ありは別の何かに変質してしまう」

 アグリィはカップを置き窓の外に目をやった。もうとっくに夜は明けていて、清らかな朝日に照らされミケラスカが寝そべっている。先の戦闘がどうも気に入らなかったらしくすっかりご機嫌斜めで今は不貞寝中だ。寝る必要なんかないのに、寝たふりをしている姿は可愛らしいと正直思う。でも言うとまた機嫌を損ねるから言わない。

「それでいいんです。たとえ僅かな時間でも姉さんと一緒にいられることにとても感謝していますから。だから、あなたが何者であっても構わない」

 部屋に沈黙が落ちる。ミケラスカが自分の周りを飛び回る蝶を鬱陶しそうに尻尾で追い払う。
 さてどう答えたものだろう。ミケラスカの微笑ましい姿を眺めながら考えた。これがただの通りすがりの人間の言葉なら簡単に煙に巻いて終わりにしたのだが、あそこまで奔放な暴れ方をしておいて今更誤魔化すのも無理のある気がした。それに自分と同じ過ちを犯したこの子供には、降りかかったかもしれない末路の一つを話してやるべきなのかもしれなかった。

「僕という存在の定義をするのはとても難しい話だよ。むしろ僕自身が教えてほしいくらいだ」

 アグリィも自分の力の在り方が普通の人間と違っていることは自覚している。それどころかこの体は
もう8年間も時を止めたままだ。いつまでたってもミケラスカの身長に追いつくどころか近づく気配はない。

 ただ一つ確かなのは、その原因をもたらしたのは自分自身なのだということである。

「今もおそらく人間のはずなんだけどね、8年前にちょっとした事故があって以来、とある魔物の魔力が混ざってしまったんだよ」

 その時まではアグリィはただの二流の魔術師で、魔力も大したことはなかった。それでも魔術の研究をするのが楽しくて、好きで、3つも年上の婚約者との接し方がわからず遠ざけていた馬鹿な15のガキだった。
 だから彼女がどうしてその時そこにいたのかは今でもわからない。寂しいなどという情を沸かされていたのか、愛想を尽かしてお別れを言いに来たのか。しかしどういう理由であれ彼女は確かにその場に居合わせてしまい、召喚魔術の失敗に巻き込まれた。

 気がつけば彼女も召喚しようとした魔物もどこにもおらず、アグリィだけが一人取り残されていた。しばらく何も考えることができなくて、夢でも見ていたのかと疑い、彼女がこの世界から永遠に消えてしまったことを理解できたのは数日経ってからだった。

 彼女を愛していたのかは今でも答えを出すことはできない。ただ彼女がいないということがどうしても受け入れられなくて(それはもしかしたら愛ではなく下らないプライドだったのかもしれない)、死に物狂いで彼女を探した。この世界にいないのなら偶然手に入れた莫大な魔力を利用して別の世界を探そうと考えた。

 そうして5年の月日を費やし、やっと彼女を見つけたのだ。

「でも僕が魔物の魔力と混ざったように、彼女は魔物自身と混ざってしまっていた。シアンであった記憶をなくし、自分のことを純粋な魔物だと思っている」
「なっ……ちょっと、ちょっと待ってください。それってもしかして」
「うん、そうなんだ」

 苦笑して、窓の外の景色に目を細める。そこにいるのは一匹の魔物だ。とても気高く美しい、漆黒の化け物。我が最愛の。

「それではもしかして、あなたは婚約者を元の人間に戻すために……?」

 その問にアグリィは穏やかな笑みを浮かべて首を振った。たぶん普通の人間なら皆そう望むのだろう。アグリィだって彼女を見つけ出し、出会い直すまではそうだった。

「僕はね、思ったんだよ。ミケラスカはミケラスカだ。シアンのかわりにはなれないし、ならなくていい。僕は彼女を愛しているんだよ。ミケラスカとしてね」

 ミケラスカは自分が魔物であることのプライドを持っている。人間になることなどこれっぽちも望んでいない。魔物の目で世界を見て、魔物の心で考える。文句を言う。ふて寝する。時に、アグリィを殴り飛ばす。それでいいのだ。

「この旅はね、彼女との長いデートなんだ」

 それともこの愛情は歪んでいるのだろうか。自分も少し魔物と混ざってしまっているので、よくわからない。