魔物は人間の夢を見ない
疲れたので屋敷の庭でうとうとしていたら、いつの間にかすぐ側にアグリィの馬鹿が立っていた。どうやら話は終わったらしい。
「シアン、機嫌直った?」
相変わらずのにこにこ笑いでここの庭で摘んだらしい一輪の白い花を差し出すが、別にほしくなかったのでそっちは無視した。
「ミケラスカだ。それより研究資料は見せてもらえたのか?」
「まぁね。収穫はゼロだったけど」
「じゃあそろそろ行くんだな。挨拶も済んだんだろう」
わたしは身を起こすのと同時にアグリィの婚約者の姿に戻り、長い髪を乱暴に後ろへ払いのける。やはり魔物の姿の方が落ち着くな。二本足で立つと変な感じがするし、第一この髪と胸が邪魔だ。
「で、次はどこへ行くんだ? あそこの町に戻るわけにはいくまい」
あの町はわたしが屋根を破壊したから戻ると弁償させられるのだ。だから戻れない。今にして思えばアグリィがわざわざ屋敷の中での戦闘にこだわったのも町の人々に騒ぎを気取られないためだったのだろう。
「東のキャラサの町に行こう。あそこはブドウがおいしいし魔術師の名家がいくつかある」
「やれやれ、少し遠いな」
「じゃあやめて南のラクレーンに行こうか。今なら梨狩り大会に参加できる」
「……お前、やる気ないだろう」
これでは魔術の研究の旅なのか食の旅なのかわからない。わたしはこいつがそもそも何の魔術の研究をしているのかさえ知らないが、そんなにどうでもいいことならわざわざわたしを召喚して連れまわさないでもらいたい。趣味道楽の旅なら一人ですればいい。わたしを里に帰してくれ。
「旅の理由は僕の夢のためでもあるけど、何よりシアンが楽しんでくれることが旅をする第一の理由だからね」
「ミケラスカだ。優先してくれなくていいから名前くらい覚えろ」
しかしもちろんアグリィがその要望を聞き入れるわけもなく、持て余していた白い花をなぜかとても楽しそうにわたしの赤銅の髪に飾る。
「だっていつかミケラスカって呼んで口説いたらすっごく怒ったじゃないか」
「当たり前だ」
人間のように扱われたってうれしくもなんともない。わたしは魔物であることに誇りを持っているし、もちろん使い魔の契約には主のセクハラに付き合う義務まで含まれてはいないのだから。
「やれやれ。僕の恋は前途多難だなあ」
アグリィが小声で何か呟いたが、怒ってすたすた先に歩き出したわたしの耳にそれは届かず、置いていかれたことに気づいたその馬鹿は小走りで追いかけてきた。
とりあえず嫌がらせに空を飛んで逃げてやろうか。大地を蹴ると髪に飾られた白い花が風にさらわれ飛んでいった。
作品名:魔物は人間の夢を見ない 作家名:烏水まほ