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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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「さにあらん。しかし、改めて見れば、そなたは菫の花に似ている。恐らくは、そなたにふさわしき花だということではないか」
 真顔で言われ、千草は頬が熱くなった。
「ご冗談は大概になさって下さいませね。私が菫だなどと。足許にも及びません」
 しかし、頼嗣はいつになく後に引かない。
「凛然としているのに、可憐で可愛い。そなたにぴったりだと思うが」
「いいえ、違います」
 頼嗣が呆れたように首を振った。
「頑固な女だな。褒めてやっているのだ、素直に認めた方が可愛いぞ」
「知りません!」
 千草はプイとそっぽを向く。こうなると、もう意地の張り合いである。千草にしてみれば、頼嗣から菫の花にたとえられたのはむろん嬉しいに相違なかった。その反面、面と向かってあからさまに褒められ、恥ずかしすぎて照れくさくて、どうにも平静でいられなくなってしまった。だから、わざと認めないふりをしたのだ。
 そういうところは千草も素直ではない―というよりは、まだ子どもなのかもしれない。
 こういうときは、やはり同年代でも男の方が大人になれるのか、頼嗣は話題を変えた方が良いと判断したようである。
「ところで、そなた、先刻、あの花売りの老婆に何と言ったのだ?」
「え?」
 千草が訳が判らず、きょとんと見つめると、頼嗣が破顔した。
「花売りがそなたを生き仏のごとく崇めて拝んでいたではないか」
 あのときも恥ずかしかった。自分ではさほどのことをしたようにも思えないのに、老婆は確かに仏に対するかのように両手を合わせて涙さえ浮かべていた。
 千草が困ったような表情で頼嗣を見た。
「どうでも申し上げねばなりませんか?」
 頼嗣が当然というように頷く。
「知りたい」
 千草は困ったように眉根を寄せたまま白状した。
「今度からお花が売れ残ったら、河越の屋敷に来れば残らず買い上げると言いました」
 頼嗣が何ともいえない顔で千草を見た。
「そなたは八百屋同士が喧嘩しているのを見ても、同じようなことを言ってやった。どうやら、貧しい民や困っている者たちを思う気持ちは将軍である私より、そなたの方が厚いようだ。私も良いことを教えて貰った」
「とんでもございません。出過ぎたことを致しましたのなら、申し訳ありません」
 千草が狼狽えるのに、頼嗣は小声で囁いた。
「それにしても、先ほどのそなたの困った顔。何を花売りに申したのか教えてくれと申したら、物凄く可愛い表情をしていた。あのような表情が見られるのなら、そなたには無理難題を申すというのも良いのかもしれぬ」
「何ですって。頼嗣さま!」
 本気で怒る千草を見て、頼嗣は腹を抱えて笑う。だが、ひとしきり笑った後、彼は切なげな顔で千草を見た。
「そなたなら、御台所としても申し分のない器だ。その辺りを執権や父上が理解してくれれば良いのだが」
 憤りのあまり、一人で先を歩いていく千草には届かなかったけれど―。
「おいおい、千草、待ってくれ。私をこんなところに置き去りするつもりなのか」
 頼嗣は今度は大声で叫び、慌てて千草の後を追った。

 切なる願い〜父と息子〜

 翌日、頼嗣は父の隠居所を訪ねた。
 父は客人と対談中らしく、通された父の居間でしばらく待つことになった。頼嗣はぼんやりと見るとはなしに居室を見渡す。
 品の良い落ち着いた設(しつら)えは、部屋の主の人柄を物語るかのようである。幼いときから、頼嗣は父が声を荒げたところを見たことがない。理不尽にも時の執権経時に将軍職を追われた時、頼経はまだ二十六歳の若さだった。しかし、そのときですら、父は執権からの要求に従容として従い、微塵の動揺も見せなかった。
 そんな父の人柄を慕い、御家人たちが集まってくるのも当然のことだと思っている。父頼経は頼嗣にとって常に政治家としても男としても尊敬するべき人であった。
 居室には文机が置いてあり、書物が載っている。?貞観政要?と表紙に記されているその書物をどうやら父は読んでいたところで来客があったらしい。?貞観政要?は唐代に呉兢が編纂したとされる太宗の言行録である。題名の貞観は太宗の在位の年号で。「政要」は「政治の要諦」をいう。日本には唐代に伝わった。
 背後には紫檀の小さな卓があり、その上に青磁の壺に活けられた春の花が見えた。白い水仙、艶やかな紅い山茶花、ネコヤナギ、宝玉のような深紅の実が連なる南天の枝。どれもが早春を告げる花ばかりである。
 これは母が活けたのかもしれない。父と母は頼嗣が知る限り、仲睦まじい夫婦であった。父は側室も置かず母一人を守り、母もまた父によく尽くしている。愛し愛される理想的な夫婦の姿がまさに我が両親だという幸せな環境に育った頼嗣であった。
 四半刻ほど経った頃、廊下に脚音が響き、父が姿を見せた。
「済まぬ、待たせたであろう」
 相手が年端のゆかぬ子どもでも、己れの非は認めてきちんと謝罪する。そんな父の謙虚さも好きだ。
 頼嗣は端座した背に力をこめ、背筋を心もち伸ばした。一日も早く父のような大きな男になりたい。
「いえ、さほどの時間ではありません。私の方こそ、先触れもなく突然、お伺いして申し訳ございませぬ」
 父頼経は鷹揚に笑った。
「父と子の間で、そのような窮屈な作法は無用じゃ。さりとて、そなたがこのように前触れもなく訪ねてくるとは珍しい。何かあったのか?」
 父の表情には子を案じる父親の情が浮かんでいる。頼嗣は膝に乗せた両の拳にまた力をこめた。
「いえ、厄介事などではございません。ただ、少し父上にお願いしたきことがございまして」
 頼経は現在、三十四歳。隠居してはいるが、まだまだ壮年の働き盛りの歳だ。こうして十三歳の頼嗣と並んでいると、歳こそ経ているが、本当によく似ている。
 若い頃と違っているのは、その端正な風貌に鼻下の髭が加わって重みを増したことだろうか。幼いときから将軍という重職に座ってきた彼は何事にも動じない不動の忍耐と冷静さを身に付けた。或るときは、その歳に似合わぬ老成された態度は人をよせつけない冷淡さだとも言われた。しかし、ある時は彼を守る鎧ともなったのだ。
 実際、頼経は息子に対してさえ、滅多と本心を晒すことはない。頼経が唯一人、心を許すのは妻である大宮どのだけだ。幼くして親許から引き離され都から鎌倉に下った頼経は、自らの心をひた隠すことで、ある意味では我が身を守ってきた。だからこそ、権謀術数の渦巻く環境にあって、北条得宗家とも付かず離れずの距離を保ち、その立場を維持することができたのだ。 
 頼経と頼嗣が並んでいると、頼嗣が年を経れば必ず、このような姿になるであろうと容易に想像できる。それほどよく似た父子であった。
「やはり、何かあると思えば、そのとおりであったな」
 頼経は軽やかな笑い声を立てた。
「して、その願いとやらを聞こう」
 頼経に促され、頼嗣は小さく息を吸い込んだ。息子の緊張の漲った様子を頼経は興味深げに眺めている。
 なおもしばらく躊躇いを見せた挙げ句、頼嗣はうつむいた。
「父上は私の結婚について、どのように思し召しておいででしょうか?」
「結婚、か」
 これは頼経にも意外な話題であったらしい。息子によく似た切れ長の眼(まなこ)をまたたかせた。