華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~
今日も鎌倉の目抜き通りは大勢の人が行き交っている。鎌倉は京の都に似せて碁盤の目状に町がひろがっている。今、二人が歩いているのはその中でもとりわけ賑やかなことで知られる大路だ。道の両端には様々な露店が軒を連ねて、商人たちが声高に客を集めている。
「取り立ての野菜は要らんかね〜」
「うちの方がずっと安くて新鮮だよ!」
「何言ってるんだい、うちの方が美味いよ」
「何だって、商売の邪魔をする気かえ」
「元はと言やァ、そちらが先に邪魔したんだろ」
中年の男と女が隣り合って店を出している。どうやら野菜を売っているらしいのだが、二人が喧嘩しているのを見かね、頼嗣がそちらへ行こうとする。
「頼嗣さま、どうなさるおつもりなのですか?」
「あの野菜を買い上げてやれば良いのだろう。私があの二人の店の品を全部買おう。さすれば、隣り合う二人が仲違いする必要はない」
意気揚々と言うのに、千草は慌てて頼嗣の直垂(ひたたれ)の端を握った。
「頼嗣さまっ。駄目です」
「何ゆえ?」
不思議そうな面持ちの彼に、千草は小声で耳打ちした。
「確かに頼嗣さまの仰せは道理です。されど、あのように山のような野菜を持ち帰って、何となされます。大体、今日もお忍びで御所をお出になっているのに」
「うぅ」
頼嗣は黙り込んだ。痛いところを突かれたらしい。そこで千草は笑った。こんな風に拗ねた幼子みたいにふるまわれると、つい姉のように構ってあげたくなってしまう自分も相当の困りものだろうけれど。
「少しお待ち下さいませ」
千草は言い置いて、二人の野菜売りに近づいた。
「もし、そこのお二方、その野菜をすべて頂きましょう」
まだ子どもにしか見えぬ美しい少女がきっぱりと言うのに、二人の良い歳をした大人は眼を丸くして顔を見合わせた。
しばらく後、千草は頼嗣の許に戻った。
「あの二人の店の野菜はすべて河越の屋敷に運ぶように申しつけました。代金もそちらで貰うようにと言ってあります。いきなり大量の野菜が届いて母は愕くでしょうが、確かに、あの者たちが申すように、扱う品はどれも新鮮で良いものばかりです。きっと台所方は歓ぶはずですわ」
頼嗣が感心したように頷いた。
「そなたは機転が利くな」
千草は笑った。
「ない智恵を絞らねば、頼嗣さまがたくさんの野菜を抱えて御所にお戻りになる羽目でしたもの」
「違いない」
頼嗣は愉快そうに笑った。まったく、笑い事ではないのだが、そういう邪気のないところはやはり苦労知らずのお坊ちゃんだからかもしれない。そして、千草は頼嗣の屈託ないところも好きなのだ。
頼嗣がありのままの千草を好きになってくれたように。
そのときだった。誰かが呼ぶ声がする。
「もし、もし」
頼嗣が小首を傾げる。
「あの者がどうやら我らを呼んでいるようだ」
彼が指し示す先には小間物売りらしい男が店を出していた。五十年配の小柄な男だ。早くも髪の毛は薄くなり、少なくなった頭髪で無理に髷を結っているのが少し滑稽ではあるが、人好きのする雰囲気を漂わせている。
千草は頼嗣と顔を見合わせて、小間物屋に近づいた。
「私たちに何かご用でしょうか」
千草が問いかけると、男は幾度も頷いた。
「失礼ですが、私はあなた方に以前、お逢いしたことがございます」
千草はそっと頼嗣を窺い見た。
―この男はまともそうに見えますが、頭がおかしいのでしょうか?
どう見ても、千草は記憶にない人物だ。頼嗣の表情も怪訝である。
「いや、あれはもう二十年近くも前のことだ、あのお二人が今も変わらぬままのはずがない」
などと、ますます意味不明の謎めいた言葉をぶつぶつと独りごちている。
―あまり関わり合いにならぬ方が良さそうだ。
頼嗣もまた頷いたその時、小間物屋がポンと膝を打った。
「おおっ、もしや、あなた方はあのときのお二人のご子息とご息女では?」
「―」
「―」
また視線を交わし合った二人に、男は柔和な笑みを見せた。
「どうも、あなた方は私を頭のイカレたヤツだと思われいるようですな。ですが、まだ流石にこの歳でぼけたりは致しませんよ。私が以前にお逢いしたことがあるというのは、恐らくはあなた方のご両親さまでしょう」
小間物屋は淡々と語った。今から十八年前、やはりこの同じ場所で行商をしていたある日、頼嗣と千草にとてもよく似た若い男女を見かけた。
「若さまの方は私が悪辣な掏摸に遭うたところを助けて下さいましてな。盗まれた財布を取り返して下されたのですよ。そのときにお連れのお美しい方が許嫁だと若さまよりお伺いしました。しばらくして、お二人が連れ添うて歩いておられるところを再び見かけました。まあ、ようお似合いの恋人同士でしたな。こうして、あなた方を見ていると、私までもが若返って昔に戻った心もちが致します。あなた方がここにこうしていらっしゃるということは、あのお二人はやはりご夫婦になられたのですね。若さまと姫さまはあのときのお二人に生き写しでいらっしゃる。兄者と妹御、それぞれ美しき父君と母君にお似ましになったのでございましょう」
男は懐かしそうに眼を細めて語った。この男こそ小間物屋の喜知次であった。十八年前、彼が出逢ったのは四代将軍夫妻であった。ただし、妻の方は頼嗣の生母大宮どのではなく、最初の正室である。頼経とその妻千種、頼経は頼嗣の父だし、千種は千草には伯母に当たる。頼嗣と千草が若い頃の将軍夫妻に似ていたとしても不思議はない。
が、流石に頼嗣も千草も喜知次が若き日に出逢ったのが自分の父と伯母だとは知る由もなく、ただ、この喜知次の真剣な瞳から、彼が出たらめを口にしているのでないことだけは判った。
喜知次は人の好さそうな丸顔の中、細い眼をまたたかせた。そうやると、眼尻に刻まれた皺が深くなる。
「こうして、あのときのお二人のお子方にお逢いしたのも何かの縁、よろしければ、何でもお好きなものをお持ち下さいませ」
喜知次は上機嫌で眼の前にひろげた品々を指した。
先に声を発したのは頼嗣の方だった。
「この中から好きなものを選んでも良いのか?」
「ええ、若さまの良いお方にでも、そちらのお妹御さまにでも」
頼嗣がその指摘には心外そうに返す。
「これは妹ではない。私の―妻だ」
「ええっ!?」
流石に喜知次は度肝を抜かれたようである。彼の細い眼が精一杯に見開かれ、忙しなく視線が二人の上を幾度か素通りした。
「失礼ながら、お二人ともまだ子どもでいらっしゃる。もちろん、お武家さまは早くにご結婚なされますゆえ、そのお歳でご夫婦というのもおかしくはございませぬが、私はてっきり、ご兄妹とばかり」
だが、長らく商人をして世間や人を見てきた喜知次の割り切りは早かった。彼は頷き、また人の良い笑みを浮かべた。
「さようですか、それは失礼致しましたな。世の中にはよう似た人が三人はいると申しますから。私にとっては、あなた方が彼(か)のお二人の縁者であろうとなかろうと、そのようなことはどうでもよろしいのですよ。大切なのは、あのお二人によく似たお若い方にまた出逢えたというそのこと。さ、どうぞお可愛らしい奥方さま、何でもお好きなものをどうぞ」
千草は頼嗣を見上げた。頼嗣が優しい表情で頷く。
作品名:華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~ 作家名:東 めぐみ