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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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 鎌倉時代は私にとっては、そういうわけでごく身近なものなのですが、実は
意外に一般的には知られていないというか、なじみのない時代なんですね。―
ということを今回、私、初めて知りました。
 江戸時代や戦国はドラマなどで割と広く知られていて親しみがあるらしいけ
れど、鎌倉時代って? という感じらしいということをを知り、驚いていま
す。
 今回、そういった、あまり馴染みのない時代を取り上げたことでの苦労もあ
りましたが、逆にこの作品をきっかけに鎌倉時代やその時代に生きた人々のこ
とについて少しでもお伝えできれば、興味を持つきっかけの端にでもなればと
また、そういう想いもあります。
 いよいよ、このシリーズも残すところ一作となりました。良かったら、この
物語の行き着くところまで一緒に鎌倉時代を旅していただけましたら、作者と
しては幸せです。
 ありがとうございました。
    東 めぐみ拝

二〇一五年一月十日 
 
  
 
 ☆ 第六話『一夜草(ひとよくさ)〜華鏡〜』


 睡蓮の庭

 無邪気な声が響き渡る。
「千手(せんじゆ)丸さま、ほら、こっち」
 鈴を震わせるような声音に、千手丸はついと顔をそちらに向ける。二人は今、小御所の庭で遊んでいる。御所とは、将軍の住居(すまい)であり、将軍は?鎌倉どの?と呼ばれ、あまたの御家人からの尊崇を受ける幕府の象徴であり、武家の棟梁であるが、将軍世子である千手丸は御所には住んでいない。
 千手丸は鎌倉幕府第四代将軍藤原頼経の嫡男として生まれ育った。父頼経は三代まで続いた源氏ではなく、れきとした摂関家の生まれ育ちである。しかし、三代実朝が子のないまま没したため、頼経が後嗣として鎌倉に迎えられた。もう、二十六年も前のことだ。
 頼経の曾祖母は幕府を開いた初代将軍頼朝の同母妹に当たり、頼経が頼朝の血筋を引いていることもその大きな理由の一つであった。とはいえ、幕府は当初、後鳥羽上皇には皇室の皇子、つまり親王を将軍として頂きたいと申し出ていたのだが、幕府嫌いで有名な上皇はついにこれを認めず、やむなく次善の策として、皇室に最も近い血筋といわれる摂関家から頼経を迎えたのだ。
 千手丸は父とは異なり、この鎌倉で生まれ育った。母は大宮どの、藤原瑶子である。瑶子もまた鎌倉武士とは関わりない都育ちの公卿の姫であった。生まれながらの将軍、その世継として、千手丸の立場は微妙だ。
 代々、将軍を補佐する執権が事実上の幕府の頂点に立つ者であり、実質的な権限は将軍ではなく、北条得宗家の当主たる執権が握っている。武家の棟梁といわれながら、将軍は実のところ、北条得宗家の傀儡、つまりは飾りものにすぎなかった。
 時の執権経時は、摂関家出身の将軍頼経には隔てを置き、鎌倉で生まれた千手丸の養育に力を注いでいた。どうやら、経時は幼い千手丸に帝王学をしっかりと学ばせ、?未来の鎌倉どの?として理想的な武家の棟梁に育て上げるという理想を抱いているらしい。飾り物の将軍ではあっても、何事にも形式を重んじる経時にとっては
―武家の棟梁とは、かくあるべき。
 という理想があるらしい。
 つまり、父頼経と執権経時の間は上手くいっていない。父は温厚な人だから、表立って経時と敵対することはないけれど、将軍と執権の間に常によそよそしく緊迫した空気が流れているのは誰もが感じ取っていた。
 だが、幼い千手丸にとっては大人たちの思惑も遠い出来事の話にすぎなかった。
 そこで、また無邪気な声が千手丸の物想いを破る。
「千手の君、何をぼんやりとしておいでなのですか?」
 千手丸はハッとして、黒い瞳をまたたかせた。
「いや、少し考え事をしていたものだから」
「うかとなさっていては、雨が直に降って、この池もまた元どおりに水が一杯になって遊べなくなりますよ?」
「うん、そうだな」
 千手丸は少し先にいる少女を心もち眼を細めて見つめた。少女というよりはまだ童女といった方が良い娘は袙(あこめ)姿だ。紅梅色に菱形模様が散った着物を白小袖に重ね、緋色の袴を穿いていた。扇を持って、池の中で嬉しげにくるくると回っている。
 広大な池の周囲には濃紫(こむらさき)や純白の菖蒲(あやめ)が群れ咲き、薄桃色の睡蓮が水面に浮かんでいた。少女の名は千草。千手丸の乳母菊乃の娘だから、彼とは乳姉弟の間柄だ。菊乃の良人河越康英(やすひで)は初代頼朝が伊豆の流人時代からお側去らずで仕えた重臣河越恒正の末裔であった。
 将軍世嗣を養い君に持つということで、一時は衰退していた河越家はまた勢いを取り返し、現在は北条得宗家と張り合えるほどの力を持っている。当然ながら、幕府内での発言権も大きい。
 康英と菊乃の間には三男一女がおり、千草は三番目に生まれた。名付け親は将軍頼経であると聞いている。千草の方が半年先に生まれたものの、千手丸と彼女は同年だ。
 ここは?小御所?と呼ばれる将軍世嗣の住まいに当たる。対して将軍の居所は?御所?だ。御所の庭にもそれは見事な蓮池があるが、小御所の庭にも劣らぬ美しい池があった。初夏の今時には菖蒲や睡蓮がそれは華やかに池面を彩る。
 ところが、今年の梅雨は雨が少なかった。そのせいで、普段は池に入って遊ぶことなどできないのに、今年はこうして幼い二人が池の中で遊ぶことができるほどに水量が少ない。御所の池は到底人が入ることはできないほど深いけれど、こちらは元々が浅いのだ。
 それでも花たちは頑張って美しい花を咲かせている姿は健気ともいえる。しかし、このまま雨が降らない日が続けば、やがてそのわずかに残った水も干上がってしまうだろう。
 千手丸の口から無意識の中に呟きが洩れた。
「雨が降らずば、父上が余計に困ったことになられる。執権はそうでなくとも、父上の弱みを握ろうと必死なのだから」
 千草がにっこりと笑った。
「大丈夫です。我が父河越康英はどのようなことがあっても、御所さまのお味方です」
「ああ」
 千手丸は笑顔で頷いた。と、千草が最良の策を思いついたとでも言いたげに叫んだ。
「それでは、この千草が雨乞いをして差し上げます」
 言いながら扇をかざし、舞うようにくるくると回る。銀地に紅白の梅の花を描き出した扇は千手丸の母、つまり将軍家御台所瑶子から千草に下賜されたものだ。将軍夫妻には姫君もいるが、御台所は千草を娘のように可愛がっている。
 千手丸はずっと千草の舞い踊る姿を見ていた。初夏の眩しい陽光が少女の姿を包み込み、千草はまるで光の輪の中にいるようだ。
 ―眩しい。千手丸は思わず、また眼を細めるようにして千草を見た。雪のようなすべらかな膚、黒曜石のようにきらきらとした大きな瞳、唇は熟れた果実のようにみずみずしく紅い。菊乃がかなりの美人だから、菊乃に似ている娘の千草が美少女だったとしても不思議はない。
 千手丸はずっと千草を眺めていた。時折、千草が微笑んで千手丸の方を見ると、彼もまた微笑みかける。
 穏やかな刻が流れている初夏の昼下がりだった。この時、寛元二年(一二四四)、千手丸と千草、共に五歳、この先に自分たちを待ち受ける運命がどのようなものか、まだ想像したこともなかったのだ。