華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~
更に丹念に舌を使い、頼経の剛直を扱いてゆく。そのせいで、彼自身はますます猛り狂い、瑶子がかつて見たこともないほど大きく固くそそり立った。
「ツ」
ふいに頼経が小さいうめき声を洩らし、瑶子を褥に押し倒した。視界が反転し、いつしか逞しい彼に覆い被さられていた。猛り狂った彼自身がひと突きで入ってくる。その衝撃に伴う大きな充溢感と痛みに、瑶子はかすかに眉根を寄せた。
頼経はこんなときでも彼らしい労りを忘れなかった。
「痛むか?」
「いいえ」
にっこりと微笑みかけると、それが合図のように頼経が動き始めた。ほどなく最奥で熱い飛沫(しぶき)が迸った。瑶子は愛する男のすべてをそのたおやかな身体で受け止めた。
―その瞬間、彼女は花が解(ほど)けるように微笑んだ。その笑顔に思わず引きこまれそうになり、頼経はハッとした。
―私はこの少女が気に入っているだけではなく、心から愛しいと、大切な存在だと思ってるのだな。
この笑顔を見ると、心を鷲掴みにされたような気になる。この笑顔を守ってやりたいという強い衝動が湧き上がってくる。
彼のすべてを今夜、彼女はその身体で受け止めた。この行為が招くであろう事態を頼経は漠然と予測していた。
だが、彼女の笑顔は私が守って見せる―。
頼経は感情の窺えない瞳で天井を見つめている。両手を枕にして仰向になっている彼の横顔は静謐そのものだ。
瑶子は頼経の傍らに寄り添うように横たわっている。もちろん二人とも何も身に付けてはいない。頼経が瑶子の胎内で達してからも、二人は更に濃密な刻を過ごした後のことだ。
彼は一度だけでなく、既に二度瑶子を最後まで抱いた。瑶子はそっと上半身を起こし、頼経に剥ぎ取られた夜着を纏った。
「後悔なさっているのですか?」
短い沈黙の後、頼経が小さな声で応えた。
「いや」
しかし、その表情は言葉とは裏腹に冴えない。頼経の心が判らず、失望と落胆がひろがった。瑶子は更に物問いたげな視線を彼に向けた。
「私とこうなったのをやはり悔いておられるのではないかと」
「違う!」
頼経は瑶子が気圧されるほどの大声で反論し、押し黙った。両手で顔を覆ったかと思うと、ひしと彼女を見据えた。その整った面にはぬぐいがたい翳りが落ちていた。
瑶子はそのまなざしの底に揺れる不安に胸をつかれた。
「私はもう大切な女を失いたくない。もし今夜、そなたが身籠もっていたとしたら、私はどうすれば良い?」
瑶子はすかさず言った。
「私は嬉しうございます」
頼経がさも怖ろしげに言った。
「そなたは死ぬかもしれない」
「私は死にませぬ」
瑶子は頼経の眼を真っすぐに見つめ返した。
「そのようなことは判るものか、鞠子は―」
頼経がハッとした表情で?済まぬ?とうつむいた。
「良いのです」
瑶子は微笑み、頼経の顔を覗き込み、その大きな手のひらを自分の小さな掌(たなごころ)に包み込んだ。
「私はこう見えても丈夫なだけが取り柄なのです。子を産んでも、死んだりは致しませぬ。第一、御所さまは私が素直に死に神についてゆくとお思いですか? 私なら死に神など薙刀を振り回して追い返してやりまする。ですから、ご案じ召されますな」
大真面目に胸を張って言うのに、頼経が吹き出した。
「やはり、そなたは並のおなごではない。確かに、そなたであれば、死に神も追い返してしまうかもしれぬな」
愉快そうに声を上げて笑った後、頼経はいつものように瑶子の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「前から申し上げようと思っていたのですが、御所さまは私を子ども扱いされてばかりではありませんか? 私は御所さまの妻であって、妹ではないのですよ?」
むくれて言うと、頼経はまた笑い、瑶子の髪を撫で回した。
「やはり子ども扱いなさるのですね」
言い終わらない中に、瑶子は再び布団に押し倒され、逞しい男の身体に組み敷かれていた。
「そなたが子どもだと真に思うのなら、こんなことはしない」
漆黒の瞳に欲情の焔が点る。
「兄が妹にこのような不埒な真似をしては天下の規律も乱れよう」
後は唇を奪われ、濃厚に舌を絡められる口づけが延々と続き、やがて二人はまたひととき烈しく求め合った。
―御台所ご懐妊。
待望のその朗報が御所中はおろか鎌倉中を駆け巡ったのは更にそれから五ヶ月後、その年の秋のことだった。
年の変わった五月のある日、瑶子は頼経と由比ヶ浜まで散策に出かけた。懐妊判明から今まで瑶子の妊娠経過は至って良好で、侍医も
―ご安産は間違いございませぬ。
と太鼓判を押していた。今ではもうお腹もせり出して、歩くのも難儀なほど胎児は何の問題もなく育っている。
侍女頭の菊乃は前年の暮れに三人めの子を出産していたが、現在は乳呑み児を屋敷に残し御所勤めに復帰している。河越家の新しい娘は?千草?と名付けられた。
康英から是非とも名付け親にと懇願された頼経が与えた名前だった。この名は字こそ違えども、菊乃の若くして亡くなった異母姉と同じものだ。菊乃の良人康英は妻との間に儲けた初めての姫にもう相好を崩しっ放しであるという。
瑶子の出産予定は五月下旬である。既に臨月に入っているため、外出となるとむろん菊乃は良い顔はしなかった。だが、かえって屋敷内に閉じこもっているばかりも身体に障ると重箱に入った豪華な弁当まで整えて送り出してくれた。
瑶子に甘いのは頼経だけでなく菊乃も同じだ。
二人はそれとは判らぬように質素ななりに身をやつし、鎌倉の町を少し歩いた後、由比ヶ浜にやってきた。弁当の包みは頼経が持ち、瑶子は頼経の傍らを並んで歩いた。ここに来ればいつものこととて、瑶子は草履を脱ぎ捨て、海水に脚を浸して無邪気に歓ぶ。そんな妻を頼経は優しい眼で見守る。
「もう予定日も近いのに、脚を冷やしては良くないのではないか?」
流石に心配になった頼経が声をかけると、瑶子は弾けるような笑顔を向けた。
「大丈夫でございますよ。もう、いつ生まれても大丈夫と薬師も申しておりますゆえ」
その後、波打ち際に並んで座り、菊乃の持たせてくれた豪華な弁当に舌鼓を打った。昼飯も済んで片付けようという頃になり、瑶子が下腹を押さえた。
頼経が気遣わしげに問う。
「もしや痛むのか?」
瑶子がかすかに頷いた。
「だから、あまりはしゃぎすぎるなと申したではないか。すぐに戻るぞ」
が、次の瞬間、立ち上がろうとした瑶子の身体がくずおれた。
「おいっ」
頼経が駆け寄ったが、瑶子は腹を押さえて、うずくまったままだ。その顔から血の気が失せていた。
これはただ事ではない。何か異変が起こったのだ。頼経は瑶子を背負って御所まで戻ろうとした。が、頬に冷たいものを感じ、空を見て愕然とした。通り雨が来る。
案の定、雨はまたたくまに豪雨と化し、立ってもいられない状態となった。腕に抱いた瑶子がしきりに何か呟いている。頼経が口許に耳を寄せると、
「ここから少しいったところに小屋があります。ひとまずそこへ連れていって下さい」
切れ切れに言うので、瑶子を抱きかかえて小屋へと急いだ。
作品名:華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~ 作家名:東 めぐみ