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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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 しかし、たまたま一緒に夜を過ごした時、瑶子がその悪夢を見て、うなされたり泣いたりしたのを見て、
―今宵からは毎夜、そなたと眠ろう。
 と、言ってくれたのだ。
 正直、その申し出は嬉しいし心強い限りだった。
 その悪夢というのは、怖ろしいというよりは、むしろ哀しいものだ。瑶子は毎日、夜が来るのが怖かった。また、あの夢を見るのかと考えただけで、もう叫びだしたいくらい怖くなってしまう。
 そんな時、頼経が逞しい腕に抱いて、ずっと髪を優しく撫でてくれながら?大丈夫だ、私がここにいるから?と言ってくれるだけで、恐怖が薄らいでいく。
 ここ数日、夢は見ていない。その夜も頼経は夜四ツ(午後十時)前には御台所の寝所に入った。
 眠りにつくまでには、大抵は他愛ない話をして過ごすことが多い。月の美しい夜には頼経が得意な笛、瑶子は琴を合奏することもあった。ただし、瑶子は自分でけして我が身の琴が頼経に釣り合うようなものではないことは知っている。
 けれど、優しい頼経は手合わせする度に
―また腕を上げたな。
 と褒めてくれる。そんな風に褒められると嬉しくて、つい頼経に褒めて貰いたくて練習に励むのだった。
 月が輝く宵、若い将軍夫妻が奏でる調べが流れ始めると、御所内の人々は心淋しく過ごしてきた頼経が漸く明るい日々を取り戻したことを歓ぶのだった。実際、新しい御台所を迎えてからというものも、頼経は再び笑顔を見せることが多くなったと御家人たちの間では噂になっていた。
 その夜は常と変わらず、互いにその日あったことを少しずつ報告し合い、二人はそれぞれ床に入った。頼経は眠りに落ちるのも早く、そのときも瑶子よりは早く寝入ったようである。瑶子も四半刻後くらいには浅い微睡みにいざなわれていった。
 けれど、その夜もまた悪夢は訪れた。
 一面の霧の中を瑶子は歩いている。ああ、また、いつものあの夢だと理解はできているのに、夢の中では逃れるすべはない。
 夢はいつも同じだ。乳白色の霧か靄のようなものが周囲に垂れ込め、視界はきかない。すべて白の世界に閉じ込められ、瑶子はたった一人で歩いている。ここからどこに行けば良いのか、何が先に待ち受けているのかも最初の夢では判らなかった。
 だが、幾度も同じ夢を見た今、結末は判っている。この白い霧が空けた向こう、その先には―。
 ふいに視界が鮮明になり、瑶子は眼を見開いた。ここからの展開は毎度ながら決まっている。彼女の凄まじい絶叫が辺りにこだまする。眼前に立っているのは左腕から鮮血を流し、恨めしげに瑶子を見ている惟章に相違ない。
 惟章の眼(まなこ)はカッと見開き、怖ろしげな形相に瑶子は悲鳴を上げて後ずさる。いつもそこで夢は途切れた。
 ところが、その夜は少し違った。
 夢の中の惟章は左腕から血を流しているものの、いつものように憤怒の形相ではなく、哀しげにこちらを見つめていた。
―惟章、そんなに血を流して痛いでしょ。待ってて、今、手当をしてあげる。
 だから、瑶子も惟章に駆け寄ろうとしたが、どうしても近づけない。両脚が縫い止められたかのように微動だにしない。惟章は哀しげに首を振り、自分から近づいてきた。瑶子に向かって両手を差しのべる。おずおずとその手に身を委ねると、惟章は瑶子を力一杯抱きしめた。
 夢の中のはずなのに、抱きしめられたその腕の感触は確かに感じられる。
 瑶子は惟章の胸に頬を押し当てた。
―もう、二度と離れない。
 心から、そう思った。あの夜、満開の桜の下では惟章に付いてゆかなかったけれど、今なら彼に付いてゆくと言える。あんな哀しい最後を遂げさせるくらいなら、自分も惟章と一緒に死んでしまえば良い。
 できることなら優しい頼経の側でこれからもずっと生きていきたいけれど、惟章を一人で逝かせることはできない。今度、機会を与えられたら、自分は間違いなく惟章を選ぶだろう。
 けれど、それが純粋な恋心や愛ではないことを当人の瑶子が誰よりよく知っている。そんなことを言えば、惟章は馬鹿にするなと怒るだろうが、瑶子は最早、惟章を愛してはいない。むろん、都を発つそのときはまだ彼を好きだった。
 が、鎌倉に来て頼経と出逢い、彼の妻として日々を過ごす間に、いつしか瑶子の心には惟章ではなく頼経が棲まうようになったのだ。もしからしたら、惟章に対する?好き?と頼経に対する?好き?は似ているようで、微妙に違っていたのかもしれない。
 何もかも灼き尽くす焔のような烈しさで愛そうとする惟章と、包み込んで雪や氷をも解かす穏やかさで愛してくれる頼経。二人の男はまさに対照的だった。そして、ともすれば独占し束縛しようとする惟章の愛には応えきれないと瑶子が感じてしまったのも事実だった。
 瑶子が鎌倉に嫁ぐ日が近づくにつれ、惟章は時に烈しい恋情を垣間見せることがあった。それは瑶子の意思とは関係なく強引に口づけたり抱きしめてきたりという形で現れた。その頃から、瑶子は惟章の所有欲・独占欲の強さを感じてはいた。
 とはいえ、好きな男に求められるのは女として嬉しいものだ。それに惟章も瑶子がいやだと言えば、すぐに止めてくれた。
 それが離れている間に、彼は変わってしまっていた。惟章が約束を守ってはるばる鎌倉まで逢いにきてくれた―そのことを知ったときは嬉しさで一杯だったけれど、それは直に消えた。
 彼は瑶子が幾らいやだと訴えても、無理に抱こうとした。陵辱さえ、しようとしたのだ。その時、瑶子の彼に対する想いは今までとは違ってしまった。彼のあまりにも烈しすぎる愛に戸惑い傷ついてしまった。それでも、瑶子はいまだに惟章を嫌いになってはいない。
 最後に桜樹の下で見た彼のあの哀しげな瞳は今、まさに夢の中で見る惟章のものと同じなのだ。
―抱いて。
 瑶子は惟章を見上げて言った。
―あの時、あなたが私に逢いにきてくれた夜、私はあなたを一人で行かせてしまった。そのことをどれだけ後悔してるか知れない。今度、逢えたなら二度と手を放さないと決めたの。だから、私も連れていって。
 惟章の手がおずおずと瑶子の髪を撫でた。
―良い子だから、お眠り。
 瑶子は烈しく首を振った。
―いやよ、私はもう二度とあなたの手を放さない。あなたはあんな風に―。
 既にこの世の人ではないと知りながら、瑶子はどうしても本人の前で?死んで良い人ではなかった?とは言えなかった。
―私を連れていけないのなら、抱いて。あなた、あのときはそう言ったでしょう。あなたと一緒に行けないのなら、せめて俺のものになってくれって。だから、今すぐに私を抱いてちょうだい。
――っ。
 惟章が息を呑んだ。手を差しのべかけ、何かに耐えるように眼を瞑った。小さくかぶりを振り、手を力なく落とす。
―そんな卑怯な真似はできない。
 瑶子は泣きながら惟章に取り縋った。
―お願いだから、抱いて。私、これでも恥ずかしいのよ、初めてだから。これ以上、言わせないで、ね?
 甘えるように言って顔を覗き込むと、心なしか惟章の頬が染まった。ゴクリと唾を飲み下す音まで聞こえた。夢にしては、やけに現実感がある。