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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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「ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした。私は御所さまのお側で妻としてお支えしなければならないのに、裏腹に心配ばかりかけてしまって」
 頼経が笑った。
「良いのだ、夫婦とは互いに労り合い助け合うものであろう? 私は物心つく前に両親とは離れたが、そなたの父上や母上はそうではないのか?」
 瑶子は頷いた。
「そうですね。私の父は何というか不器用な人で、世渡りがあまり上手くはありません。出世もあまりしていないし、他の公卿の方々は皆さま、外に大勢の女君をお持ちになるのに、私の父はいつも母一人でした。父と母がさほど仲の良い夫婦だと思ったことはありませんが、私には兄や姉がたくさんおります。特別仲睦まじいというわではないけれど、さりとて喧嘩をしたところも見たことがないのです。似た者夫婦といいますか、よく似た二人ですわ」
 よその屋敷には母違いの兄姉弟妹がたくさんいて、名前も顔も知らないというけれど、瑶子の両親に限り、それはなかった。大勢いる兄や姉は皆、両親から生まれている。そのことが実はとても幸せなのだと瑶子は今、知っている。
 頼経が笑いながら頷いた。
「それは良きことだ。我らもいつの日か、義父上や義母上のような夫婦になれれば良いな」
 頼経は小さな息を吐いて眼前の海を眺めた。
「私はいつもここに来ると思うのだ。愛しい者は死んだのではない。生きている者が憶えている限り、死者もまた生きている者の記憶で生き続けることができる」
「―」
 瑶子は黙って頼経の話に耳を傾けた。しばらく静寂が二人の間を漂った。その合間を縫うように絶え間ない海鳴りが聞こえてくる。
 頼経がまた口を開いた。
「惟章もしかり。惟章の肉体は確かにこの世からは失われた。だが、その存在はいつもそなたの心の中で生き続け、傍にいるはずだ」
 頼経が遠い眼で水平線を見ている。空も海も真っ青で、どこからが海でどこまでが空なのか境目は区別もつかないほどだ。
 彼の視線は丁度、その辺りをさまよっていた。
「そなたにこのような話をするべきではないかもしれないが」
 前置きしてからもなお、彼は躊躇っているようだった。瑶子は微笑んで話の続きを促した。
「私なら構いません。どうかお話になって下さいませ」
 これから頼経が何を話そうとするのか。その躊躇いから、ある程度の予測はついていた。
 頼経は幾度も頷いた。
「惟章が亡くなったと聞いたそなたが正気を手放した時、私はまるでかつての自分を見たような気がしたよ。私もそうだったからね。何故、自分だけが生き残ったのか、大切な人が自分を置いて先立ってしまったのか、あまりの運命の残酷さに神も仏もないとさえ思い、宿命を憎んだこともあった」
 頼経のまなざしが更に遠くなった。
「彼のひとは死に際に言ったんだよ。自分が死んだら、亡骸をこの海に流して欲しいと。だが、到底そんなことはできず、最後の願いは聞き届けてやれなかった」
 瑶子は頼経を見た。
「竹御所さまですか?」
 頼経が熱愛したといわれる年上の臈長けた美貌の妻、竹御所。竹御所は生きていれば、三十六歳になる。十七歳の瑶子からすれば、母親ともいえる年代の女性だ。そんな頼経よりはるかに年上の女性が若い彼の心をここまで捉えたとのいうのは、竹御所が今に語り継がれる数々の伝説のように並外れた女人であったことを物語っている。
「悪かった。そなたにこんな話をするべきではなかった」
 頼経が言うのに、瑶子は首を振った。
「良いのです。私も色々とお話は伺っております。お美しいだけでなく、お心優しく気高い御台所であられたと誰もが口を揃えて申します。御所さま、竹御所さまは今もきっとお幸せだと思います」
「―」
 頼経が意外そうな顔で瑶子を見つめる。瑶子は微笑んだ。
「こんなにも愛して下さる旦那さまにめぐり逢われた、そのこと自体がとても素敵ですもの。女なら何をいちばんに選ぶかといえば、愛であり、愛する方です。私などが申し上げるのは僭越かもしれませんが、竹御所さまはきっと幸せな想いを抱かれて旅立たれたと存じます」
 瑶子は大真面目な顔で溜息をついた。
「私が亡くなっても、そこまで哀しんで下さる方はおりませんから」
 そこで耳許で?愚か者っ?と大喝され、瑶子は飛び上がった。
「何かいけないことを申し上げましたか? やはり、差し出たことを言ったのがお気に障ったのでしょうか?」
 頼経の寵愛が厚く、彼の初子を産んだために亡くなった竹御所。その類い希な女人といわれる先妻の話を竹御所よりはるかに劣った後妻の自分が訳知り顔でしたのが良くなったのだろうか?
 瑶子は涙の滲んだ眼で頼経を見た。
「竹御所さまのお話を私がしたのがお怒りを買ったのなら、申し訳ございませんでした」
 すると、今度は頼経が慌てている。
「違う! そうではない。先御台の話をしたのは私の方ではないか。何故、そなたを怒る必要があるというのだ。私が怒ったは別のことだ」
 すると、いきなり瑶子の身体は頼経の逞しい腕に抱き込まれた。
「私が怒ったのは、そなたが亡くなるなどと不吉なことを申すからだ。死という言葉を容易く口にするな。竹御所は既に亡くなっている。今の私の妻はそなたなのだぞ、瑶子。私のためにも、そなたは死んではなぬ」
 瑶子はにっこりと笑った。 
「それならば、大丈夫です。こう見えても、私は健康だけが取り柄なのです。もしかしたら、何度殺しても死なないかもしれませんよ?」
 幼い頃、一年中風邪一つ引かない末妹を見て、すぐ上の兄がからかい半分に言ったのだと頼経に話す。
―葵は殺しても死なないヤツだ。何で、あいつだけ風邪を引かないんだ?
 その話をすると、頼経は眼を丸くしていた。が、やがて吹き出し、腹を抱えて笑い出した。
 瑶子は真面目に話したので、何故、頼経がそんなに笑い転げるのか理解に苦しむところだ。なので、瑶子は生真面目に続けた。
「私は自分で言うのも何ですが、良人よりは長生きするつもりです」
 右拳を固めて力説すると、頼経は堪りかねたように声を上げて笑った。
「―私、そんなにおかしいことを申し上げましたか?」
 まだ笑い続けている頼経がふっと笑いをおさめ、瑶子を見た。そのまなざしの優しさ、優しさの中に含まれる熱に鼓動が撥ねる。
「もしかしたら、私はまた得難き妻を与えられたかのもしれないな」
 ふわりと身体が浮き、瑶子は逞しい腕に抱き上げられていた。
「そなたは私の宝だ、瑶子」
 頼経は瑶子をそっと砂浜に降ろすと、その髪をくしゃくしゃと撫でた。その後、話は小手毬からまた竹御所の話に戻った。瑶子は笑顔で言った。
「このお花がそれほどにお好きだったのであれば、これは竹御所さまに差し上げましょう」
 瑶子は頼経から小手毬が竹御所の愛した花だと聞き、心から言った。穢れなき雪を彷彿とさせる清らかな花は神々しいほど美しかったという竹御所にふさわしい。この花を愛した女性は小手毬のようなひとだったのだろうと瑶子は想いを馳せながら、ひと抱えもある小手毬を自ら海に流した。