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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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 二人の背後にある桜は樹齢も定かではない大樹である。満開になった桜が満月の光を浴び、濡れたように輝いている。満ちた月と満開の桜はさながら当代一流の細工師が丹精込めて作り上げた螺鈿細工のようでもある。
 根元には既に風に散らされた桜貝のような花びらが無数に散り敷き、桜色の絨毯を形作っていた。
「―っ」
 いきなりその場に押し倒され、瑶子は言葉もなかった。瑶子の丈なす黒髪が桜色の褥にひろがり、淡い月光を浴びて濡れたように輝く。
「惟章、止めて」
 だが、弱々しい抵抗は男を煽るだけだと瑶子は知らない。惟章は荒い息を吐きながら、瑶子の両脚を自分の身体で押さえつけ、のしかかってきた。覆い被さってきた惟章が見知らぬ男にしか思えず、瑶子は涙の滲んだ瞳で訴えた。
「惟章、お願いだから」
 続きの言葉は熱い口づけに呑み込まれた。深く唇を結び合わせながら、惟章の手が瑶子の帯にかかる。深夜のことゆえ、袿(うちぎ)は脱いで、小袖だけだった。帯を解く音が夜陰に妖しく響いた。
 瑶子を抱くことしか頭にない惟章は、彼女が泣いているのさえ眼に入ってはいない。帯がすべて解かれた。性急に小袖と下の肌着の前が開かれ、夜目にも眩しい白い膚が現れた。
 惟章の息が更に上がった。慎ましい薄紅色の突起がふくよかな乳房の頂で震えている。荒々しい息を吐きながら大きな乳房を鷲掴みにした惟章は緩急をつけて、ゆっくりと揉みしだいた。
「いや―、誰か、助けて」
 唇が離れた隙に、瑶子は泣きながら叫んだ。
「こんなこところではいや」
 たとえ惟章をどれほど愛しているからといって、初めて結ばれるのに、野外で無理強いされるのだなんて絶対にいやだった。
「瑶子、判ってくれ。俺は瑶子のことがどうしても忘れられない。瑶子だって、ずっとそうだったんじゃないのか? 俺を想い続けてくれたからこそ、頼経公に抱かれずに清い身体でいてくれたんだろう?」
 熱い唇に胸の頂がすっぽりと飲み込まれる。
「あ―」
 瑶子は厭々をするように烈しく首を振った。助けを求めて無意識の中に手を差しのべる。信じられなかった、悪い夢を見ているようだ。物心ついたときから、ずっと側にいて、いつも優しく見守ってくれた男がこんな風に欲望だけで自分を犯そうとするとは考えたこともなかった。
 大粒の涙が次々と溢れて散る。そのときだった。
「貴様、何をしておる!」
 鋭い誰何の声が春の宵に響き渡った。惟章の動きが止まる。愕きも露わに声のした方を見やると、そこには月明かりを浴びた頼経その人が立っていた。
「鎌倉どのであらせられるか」
 流石に惟章も将軍が出てくるとは想像していなかったのだろう。欲情に翳っていた瞳はいつもの惟章らしく落ち着きを取り戻している。
 頼経は白い夜着姿であった。その懐にスと手をやり取り出したのは短剣だ。
「貴様がどこの誰かは訊かぬ、私の妻と何を話していたのかも知らぬことにしよう。だが、それは貴様を庇ってのことではない。妻を守るためだ」
 頼経は静かな声音であったが、その端正すぎる面は凪のように静まり返っている。かえって、その怒りのほどが伝わってきて、瑶子は固唾を呑んでなりゆきを見守った。
「今後、二度と妻に近づくでない。もし再度、瑶子に今宵のような狼藉を働いたなら、その場で」
 そこで短刀の鞘を払い、射貫くような瞳で惟章を見据えた。
「そのときは有無を言わさず貴様を斬る」
 満月の光を浴び、短刀の刃が光った。その瞬間、瑶子は泣きながら頼経に取り縋った。
「御所さま、どうか惟章を殺さないで下さいませ。惟章は悪くないのです。私が惟章に逢いたいのだと遣いを出しました。それゆえに、この男は私のために御所に忍び込むという大それた罪を犯したのです」
 泣きじゃくる瑶子を見た惟章がニヤリと口の端を引き上げた。
「と、まあ、こういうところです、鎌倉どの。頼経公が俺から瑶子を奪うずっと前から、こいつは俺の女だったんだ。良人を裏切って他の男と密会するような女房を庇うとは流石に武士の棟梁、男の鏡だな。だが、今夜を限りに瑶子は俺に返して頂く」
 口調にどこか嘲るような響きがこもっている。惟章が素早く動き、瑶子の手首を掴んだのは咄嗟のことだった。糸を手繰り寄せられるように引っ張られ、瑶子は呆気なく惟章の腕の中に抱き込まれた。
 瑶子は渾身の力でもがき、惟章の腕から逃れた。助けを求めて差し出された手を頼経が掴んだ。
「返せ、この女は元々は俺のものだ」
 惟章が叫ぶと、今度は頼経が瑶子の手を強く引く。両側から逞しい男二人に手を引っ張られ、瑶子は手のちぎられそうな痛みに余計に泣いた。
「手が痛い、痛い―」
 苦痛に顔を歪める瑶子を頼経が見た。白い頬に幾筋もの涙の跡がある。怯え痛みを訴えて泣いている少女は到底見ていられなかった。
 先に手を放したのは頼経の方だった。その隙に惟章がすかさず瑶子を抱き上げた。
「いやあ、降ろして」
 瑶子は懸命に抗った。惟章の瞳にはまた先刻の欲情が閃いていた。燃えるようなまなざしが怖い。このまま連れていかれたら、また強引に身体を奪われることになるのは判りきっていた。
「最早、我慢ならぬ」
 頼経が短剣を勢いをつけて振り掲げた。それから先の一連の光景はあたかも刻が止まったかのようであった。頼経の投げた短剣が弧を描いて夜闇を飛んでゆくのをこの時、瑶子は確かに見た。
 頼経が投げた短剣の切っ先はまさに惟章の左上腕部に突き刺さった。
「ツっ」
 惟章が呻き声を上げ、その場に膝をつく。もちろん、痛みのあまり瑶子から手を放さずにはいられず、瑶子の身体はその場に投げ出され地面を転がった。
「瑶子!」
 頼経は急ぎ瑶子の側に行き、彼女を抱きかかえた。
「惟章―」
 瑶子は頼経の腕の中で恐怖に震えながらも、恋人を涙ぐんで見つめた。惟章が血の滴る左腕を右手で押さえ、辛うじて立ち上がる。短剣は自分で抜いたのか、既に地面に転がっていた。
「姫、俺は諦めない。必ず姫を攫いにくる。だから、俺が次に迎えにくるときまで、待っていてくれ」
 二人はしばし見つめ合った。瑶子は惟章の瞳の中に真実を束の間、見た。恐らく、彼もまた苦しかったのだ。瑶子が鎌倉で都にいる彼を想い続けていたように、彼もまた彼なりに苦しんだに違いない。そして、久しぶりに再会して恋心に火がつき、激情に走った。
―瑶子、判って欲しい。
 傷ついたのは腕だけではない、彼の心も腕と同じように傷つき血を流しているはずだ。何故なら、惟章が咄嗟に差し出した手を瑶子は取らなかった。結局、瑶子は惟章と共にゆくよりは鎌倉に残ることを自ら選んだのだ。そして、それは即ち頼経の妻として生きることでもあった、
 惟章は怪我をした左腕を庇うように去ってゆく。かなりの深手なのではないだろうか。走ることもできないのだ。頼経は追いかけて惟章を捕らえることもできたし、自身でしなくても家臣を呼べば済むことであった。にも拘わらず、彼は最後まで惟章を黙って見逃した。
 瑶子が身を捩ると、頼経はすぐに降ろしてくれた。
「御所さま。惟章を見逃して頂いて、ありがとうございます。あの者が悪くないというのは真のことなのです。鎌倉を発つ前、私があの者に逢いにきて欲しいと申したのは真実なのですから」