華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~
「そのようなことはございませんよ、御台さま。私は竹御所さまを存じ上げております。確かに天与の美貌だけでなく才知にも優れ、また思いやりもある素晴らしいお方にございました。されど、新しき御台さまもまた素晴らしい方であると私は心から思うておりまする。四年前、先の御台さまとお子さまと御所さまは大切な方を一度に失われました。ですが、御台さまであれば、御所さまのお淋しき心をきっと支えて差し上げて下さるものと信じております。御所さまはきっと御台さまを生涯慈しまれることでしょう」
「さあ、それはどうかしら」
首を傾げ曖昧に笑った瑶子に、菊乃は更に思いがけないことを告げた。
「それに、御台さまは先の御台さまによく似ておられます」
「え? 私は天女が舞い降りたような美貌じゃないわ」
今に語り継がれる竹御所の美貌を形容する言葉を思い出しながら反論を試みる。と、菊乃の美しい面に笑みがひろがった。こうして見ると、菊乃の方がよほど美しい。十六歳も年上でありながら、頼経の心を捉えて離さなかった竹御所ももしかしたら、菊乃のような臈長けた美の持ち主だったのかもしれない。
―雪は嫌いだ。大切なひとが亡くなった日、その年初めての雪が降った。
初夜の床で頼経が呟くともなしに呟いた科白が今更ながらに思い出される。頼経は竹御所が亡くなって四年経った今も、最初の眉目麗しい妻を忘れられず、恋い慕っている。
何故なのか、自分は惟章が好きなはずなのに、頼経がいまだに先妻を想い続けていると考えたたけで、ざらざらとした嫌な気持ちになってしまう。
菊乃は依然としてやわらかな微笑を湛えたまま、優しい手つきで瑶子の髪を再び梳き始める。
「私が申し上げる?似ている?というのは容色とか単なる見た目ではございません。そうですね。何と申し上げれば良いのか」
菊乃は思案げに眉を寄せた後、こんなことを言った。
「竹御所さまと御台さまは雰囲気がとてもよく似ておいでなのです。竹御所さまもご年齢を感じさせない―無邪気さとそれと相反するような大人びた面をお持ちでした。言うなれば、幼い少女の無邪気さと臈長けた女性の世慣れた部分をお持ちの不思議な魅力をお持ちだったのです。単にお美しいだけではなく、お心映えも滅多とないほど優れたおん方にございました。あれほどの女人はなかなかおられませぬ」
瑶子は少しだけ淋しげに笑った。
「私は到底、そんな風にはなれないわ。確かに竹御所さまのお人柄については誰もが同じようなことを言うわね。きっとそれは間違いないのでしょうけれど、私では逆立ちしたって叶いっこないわよね」
菊乃がプッと吹き出した。
「逆立ち―でございますか?」
「そうよ、私、何かおかしいことを言ったかしら」
鏡の中の少女は大真面目な表情である。
菊乃は、いえいえと首を振った。
「御台さまは今のままの御台さまでいらっしゃれば、それで十分でございますよ。御台さまのその大らかなご気性が必ずや御所さまのお眼に止まる―、いえ、恐らく英明なるお方なれば、既にお気づきになっていることでしょう」
ただ、と菊乃は話の終わりにこんなことも言った。
「正室にしろ側室にしろ、御所さまをお待ちするのがお仕えする女の宿命なのです。ですが、これはお若い御所さまの御事ではございません。私個人の感想にて」
そのしまいの言葉に引っかかるものがあり、瑶子は突っ込んで訊ねてみた。
「訊きにくいことを訊くけれど、まさか菊乃の旦那さまも?」
儚い笑みが菊乃の美しい貌をよぎった。
「御台さまに畏れ多くもこんな下世話な私どもの話を申し上げて良いものかどうかは判りませんが、お若い御台さまのご参考になればと思いまして」
菊乃が語ったのは、あろうことか、菊乃の良人河越康英が外に側妾を置いているという内輪話だった。
「身内の恥を承知で申し上げますが、実はそちらにも子が産まれております。私との間には娘がおりませんので、良人もその外腹の娘が可愛いようです。もっとも私自身、父と側室との間に生まれた庶子ゆえ、さほど申すことはできないのですけれど」
瑶子は半ば憤慨めいて嘆息した。
「菊乃のように美人で働き者の妻を持っても、殿方というのは満足できないのね」
菊乃は笑った。
「お褒め頂けたのは嬉しうございますれど、それは御台さまの買い被りにございましょう。私のように几帳面すぎる女は殿御にはいささか気詰まりなのやもしれませぬ」
更に菊乃はいつだったか、良人が
―そなたと共にいるとあまりに厳しすぎて、窮屈すぎる。
と洩らしたことまで話した。
確かに菊乃は自分にも他人にも厳しい面はある。しかし、その厳しさは優しさに裏打ちされたものであり、けして無理難題を押しつけるものではない。
「失礼な物言いかもしれないけど、菊乃の旦那さまはあなたの良さもありがたさも理解してないのよ」
「まあ、それは嬉しいお言葉」
菊乃は嬉しげに笑った。
「私に竹御所さまや御台さまの大らかさが少しでもあれば、良人も他所の女に眼を向けることはなかったかもしれませぬ。御台さまはまだお若くてご存じないかもしれませんが、男という生きものは手綱を締めてばかりでは窮屈がるものにございます。手綱を離してはなりませんが、時には緩めて、手のひらで遊ばせてやらねば」
瑶子は大きな瞳を瞠った。
「手のひらで遊ばせる?」
菊乃が悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「さようにございますよ、下世話な言い方をすれば、自分こそが主人であると男に思わせておく一方で、女は男を立てていると見せかけて、思い通りに動かす。夫婦の間はそれでこそ上手くいくのです。私はそのコツが判っていても、生まれながらのこの性分で、できないのです。ですが、御台さまであれば、私などがお教えしなくても、十分ご自分でそのようになさってゆかれるでしょう」
「判ったような、判らないような話ね」
小首を傾げた瑶子に、菊乃は母のような慈愛に満ちた笑みを向けた。菊乃とは数日前に対面したばかりなのに、もう長年仕えてくれていたような信頼感が芽生えている。
「今はまだお判りにならなくて良いのです。御台さまは御台さまらしく、伸びやかでいらせられませ。それがいちばんです」
「判ったわ」
菊乃が一旦下がり、一人になった。瑶子は相も変わらず鏡の中の自分を見つめ続けた。
菊乃のように才色兼備の妻を持った男ですら、側妾を持つという。その話はいささか衝撃的だった。ならば、自分のように美しくもなく取り立てて何の才もない女なぞ、頼経はすぐに飽きてしまうだろう。―というより、最初から眼中にもないのではないか。
菊乃はこんな自分が竹御所に似ているなどと途方もない嘘をついまで慰めてくれるが、どう考えても、そんなことがあるはずもない。
―正室にしろ側室にしろ、奥向きで御所さまをお待ちするのがお仕えする女たちの宿命なのです。
菊乃の言葉が何故か心に残った。女とは何と儚い淋しい身の上だろう。我が身もまたここで頼経の訪れを日がな待つだけの生涯を送る、ただそれだけのために都からはるばる鎌倉まで嫁いできたのか。
鏡の中の少女の顔が泣きそうに歪んでいる。その鏡越しの自分の顔を瑶子は虚しい想いで見つめた。
秘密
作品名:華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~ 作家名:東 めぐみ