華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~
聡明な頼経がそれを理解していないはずがない。しかし、彼は泰時自らが直談判に及んでも、再婚話には乗り気ではなかった。とはいえ、幾ら当人がその気にならなくても、周囲はそれで済ませられるものではない。結局、竹御所の喪が明けてほどなく、藤原親能の娘瑶子との婚約が正式に決まった。
当時、瑶子は十四歳、すぐに嫁いできても良い年頃であったのだが、頼経があまりにも消極的であったため、祝言は先延ばしにされた。あまりに事を急ぎすぎて、かえって悪い結果を招いてはと周囲が危惧したからだ。
頼経の最初の妻に愛する愛は深く烈しいものだった。まだその死の哀しみが癒えておらぬこの時、新しい花嫁を迎えるは時期尚早と誰もが思った。幸いにも新しい花嫁は十四歳とまだ花の蕾の歳だ。焦らずとも歳月を待てば良いというのが一同の考えだった。
が、一部では、こんなことを真しやかに言う御家人もいたのは確かである。
―御所さまは既に十六のおん歳でご一子の父となられている。こう申し上げては畏れ多いが、女人を側に置かれれば、すみやかにお子を儲けられる健康体であられることは判っているのだ。ならば、何を手をこまねく必要があろうか、一刻も早く京から姫君をお迎えし、後継者たるべき若君を儲けて頂かねば、我ら御家人も安心できぬ。
中には
―ご正室とその気にならぬのなら、側室でも構うまい。鎌倉中を探せば、みまかられし竹御所さまによく似た若い娘の一人くらいはおろう。そのような娘を捜し出してきて、お側にお仕えさせれば良いのだ。
などと、このような場合、誰もが考えそうな愚策をしたり顔で述べ立てる者まで現れた。
そうこうしている中に年月が経ち、頼経は二十歳、瑶子姫も十七歳になった。早婚の当時、女性はこれ以上歳を重ねると、それこそ薹が立つ。流石にこれ以上待つことはできず、ついに華燭の運びとあいなったのである。
執権から婚儀を行うと告げられた時、若い将軍はただ頷いただけであった。
―そうか。
その能面のように静まり返った端正な面からは一切の感情はおよそ排除されていた。最初の妻竹御所の死はこの将軍から生きる気力も歓びも笑顔も何かも奪ってしまったのだ。
頼経がすぐに子の父となれると判っているだけに、二度目の妻となるべき姫君の選定において最重要視されたのは健やかであるかどうか、有り体に言ってしまえば、すみやかに頼経の子を産めるかどうかであった。
まず月事(生理)の有無や、未通の清らかな身体であること、将来的に出産に耐えうる身体であるか。そのような健康面が候補に挙がった姫数人に的を絞り極秘裏に入念に調査され、?最適?と白羽の矢が立ったのが瑶子であった。
瑶子は生来丈夫で、風邪一つ引いたことがない健やかな姫であり、なおかつ、十一歳ののときに初潮も迎えている。十四歳で婚約の整ったときには既に医師から?いつ何時にても安らかに御子を生み奉ることは可能?と太鼓判を押されていた。
あまりに健康面―出産に耐えうるかどうかを優先したために、他の面が疎かになった感は否めない。そのことは瑶子が鎌倉入りしたときに露見した。既に婚約が整ったときに瑶子の絵姿が鎌倉に届けられていたのだが、到着した当の姫君とその絵姿は似ても似つかないものだった。
贔屓目に見て、眼許辺りに共通点がないこともないと言えるほどで、後はまったくの別人としか言い様がなかったのだ。絵姿の姫君は咲き誇る桜を背景に桜色の襲(かさね)を纏い、紅色を基調とした濃淡の鮮やかな衣装に負け劣らずのきらきらしい、たおやかな美少女であった。
だが―。到着した本物の姫は瞳だけは生き生きと大きく印象的なものの、膚は絵姿のように透明感ある雪膚でもなく、お世辞にも美人といえる少女ではなかった。どれだけ言葉を飾っても、世で言う並の範疇に入る器量だとしか言えなかった。
もっとも、婿君の頼経は三年前に届けられた絵姿は手渡された最初にお義理で見ただけで、後は二度と見ようともしなかったから、絵姿の姫君がとれほどの美少女であったかなど、憶えてはいまい。幸か不幸か、将軍が婚約者の絵姿と現実のあまりの落差を知らないのがせめてもの救いであった。
更に広間に居並んで晴れの婚儀を見守った御家人一同の胸中は皆、似たようなものだった。
―先の御台所であらせられる竹御所さまがあれほどの美貌でおわしたのに、こたびの新しき御台さまとなられる姫は比べものにもならん。御所さまがあれほど竹御所さまをいまだに忘れられず恋い慕われておるというに、あの器量で果たして上手くいくかのう。
加えて頼経は竹御所にある意味、姉のように甘えていたようなところもあった。竹御所は年下の良人に対して常に寛容であり謙虚であったという。立てるべきところは良人として鎌倉どのとして立て、御家人たちの眼の届かない夫婦水入らずの場所では、頼経は時に弟のように竹御所に甘える姿も見られた。
頼経が年上の妻を熱愛したのは何も神々しい美貌だけではなく、そのような竹御所の人柄によるものも大きかった。果たして、容色も竹御所にはるかに劣るばかりか、年上の妻しか知らない頼経にこの十七歳の少女がどのように映るか?
二度目の結婚も前途多難に思えたのである。そんな御家人たちの視線を痛いほど感じつつ、瑶子は輿から降り立ち、御所の庭に脚を踏み入れた。
眼前を純白の雪がひっきりなしに通り過ぎてゆく。介添人である執権の妻に手を取られ、一歩ずつ庭に降り積もった雪を踏みしめて歩いたその先に、長身の若い男がいた。きらびやかな衣冠束帯姿こそが今宵から良人となる将軍その人だとすぐに判る。
きりりとしていながら典雅な風貌には自ずから品が滲み、公卿としても最高位の摂関家の血を引く気品は隠しようもない。だが、瑶子はそのひとの眼の暗さが気になった。
まるで無限の闇に続いてゆくような暗いまなざしは見ていると、自分までもが闇に引きずり込まれてしまいそうになる。このような場合、花婿たる将軍であれば、金屏風の前に畏まっているべきだろうのに、頼経は身軽に縁先まで出てきたらしい。
「ようこそ」
短い言葉ではあったけれど、物言いはけしてぞんざいではなく、むしろ思いやりが感じられた。そこからは執権の妻ではなく、良人となるひとが自ら手を引いて導いてくれた。
その気遣いにも人々には意外であったらしく、頼経が瑶子の手を取ると、一同から軽いどよめきが洩れた。けれど、頼経に手を取られた刹那、そのあまりの冷たさに瑶子は思わず膚が粟立ってしまった。
この方は本当に現(うつつ)の人なのであろうか。
まるで、既に魂が身体からさまよい出てしまったかのように触れた指先は怖ろしく冷え切っていた。
夫婦固めの杯に始まり、すべての儀式が滞りなく進み祝言は終わった。四年ぶりに迎えた御台所を前にして、御所内は久しぶりに晴れやかな雰囲気に包まれていた。祝言が行われた大広間ではまだ御家人たちが飲めや歌えやの賑わいを繰り広げているのを尻目に、今宵の主役である新郎新婦は早々と寝所に送り込まれた。
だが、良人となるはずのひとは一向に現れない。一刻ばかりが過ぎた頃、瑶子は流石に待ちくたびれて、その場を立った。寝所を抜けだし、続きの間を横切り、廊下に立つ。
作品名:華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~ 作家名:東 めぐみ