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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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「さもあろうな。安心せよ、頼経どのは、相変わらず、そなたひと筋じゃ。私もその不埒な噂についてはとかく耳にしておる。重臣どもが執権どのにも事前の相談もなく事を運んだために、事が余計にややこしうなった。紫よ、確かにあの日、頼経どのは環なる白拍子に心を動かされたようではあったが、それは世間が誤解しているようなことではない。頼経どのが興味を持たれたのは環本人でも、その色香でもなく、環の芸ゆえじゃ」
「あ―」
 千種は眼を見開いた。政子の瞳が柔和に細められる。
「ここまで申せば利発なそなたならば、理解できよう。環の優れた舞いや歌が御所さまの御心を動かし、おん手ずから扇を賜るということになったのよ」
 更に政子は笑いながら続けた。
「藤の前は藤の前でも、とんだ藤の前違いというもの」
 というのは。
 重臣たちは頼経が三人の白拍子の中のどれかを気に入れば、側室として侍らせるつもりであった。幸いにも環に興味を示したようだったため、早速、その夜、将軍の寝所に環を送り込んだ。
 その夜から、頼経は早くも悪寒がしており、病であれば御台所に感染(うつ)してはならぬとの配慮から急遽、竹御所へのお渡りはなくなったというのが真相だった。重臣は毎夜のように妻と共寝をする頼経がその日に限って表御殿で独り寝をすることを知り、好機とばかりに環を送った。
 ところが、頼経は環が寝所に入ってくるなり、飛び起きた。
―何者ッ。
―本日、御前で舞を献上した環にございます。
 誰何され、平伏した環に頼経はいきなり刀を突きつけたのである。
―予はそのようなつもりで、そなたに扇を与えたわけではない。一体、誰の差し金でこのような愚かな仕儀に及んだのか?
 詰問したところ、環は泣く泣く重臣の名前と事の次第を白状した。
 頼経は激怒して、環を寝所から追い返し、その重臣には一定期間の謹慎処分を言い渡した。
 環の去り際、頼経は言い聞かせたという。
―私はそなたの芸に惚れた。そなたの舞いや歌には人の心を動かす力がある。その力をこれよりも更に磨いて精進せよと申したに、何ゆえ、浅はかな口車に乗ったのだ? もう二度と、このような馬鹿な真似をするではないぞ。白拍子は時に身をひさぐこともあるのは存じておる。されど、身を売らずして芸を売る、そのような白拍子が一人くらいはおっても良いのではないか、環よ。
 その切々とした諭しに、環は泣いていたそうだ。
 政子は話の終わりにこんなことを言った。
「その環は頼経どのの説得に感じ入ったものか、都に舞い戻り芸事に励んでいると聞くが、共に踊ったもう二人の中の一人を頼経に環を勧めた重臣が気に入り、側に置いて妾としているそうな」
 それゆえ、?藤の前?と呼ばれる重臣の側妾の噂が頼経と環の一件と紛らわしく取り沙汰されてしまったのだ。それが今回の?藤の前騒動?の顛末であり真実であった。
 執権泰時は自分が何も知らされなかったこともあってか、謹慎の身で白拍子に現を抜かしているその男の処分を領地召し上げと更に重いものにするように進言したのだが、頼経は笑って受け流したそうだ。
―たかだか白拍子を寵愛したからといって、何もそこまですることはなかろう。男とは元来、おなごが好きな生きものだ、私も御台とめぐり逢うて女は良きものだと知ったゆえ、あやつを処分はできぬ。
 その言葉を伝えた後、泰時は政子にしみじみと言ったという。
―我らは良き主君を頂くことができたのやもしれませぬ。まだ十六歳のお若さでのこの度量の大きさ、並大抵ではござらん。先が楽しみな方でござる。
 傀儡将軍として迎えたとはいえ、泰時も政子も今度こそ将軍家の安泰を願っていることに変わりはない。お飾りにしても、幕府の象徴である将軍が馬鹿では困るのだ。
 そして、泰時と政子が望むのは頼朝の直系である竹御所鞠子と頼経の間に御子が産まれ、真実、頼朝の血を受け継ぐ五代将軍が誕生することなのだ。
 千種の許を去る間際、政子は彼女の手を取って言った。
「そなたが白拍子に嫉妬するは良人を恋い慕うゆえじゃ。頼経どのもまた他の女には眼もくれずそなただけをご寵愛しておられる。夫婦が互いを想い合う姿は美しく良きものだ。私はそなたが嫁ぐ前に申したな、そなたに託す役目を果たすだけでなく、女としても幸せになれと。今、そなたがこうして幸せそうに暮らしておるのを見て、勝手な言い分やもしれぬが、少しばかり心の荷が下りた」
 その心底嬉しそうな表情に偽りは欠片ほどもなく、政子なりに嫁いでからの千種の幸せを願っていたこと、やむなく紫姫の替え玉に仕立て上げたのをずっと気にしていたことが判った。
「お祖母さま、ありがとうございます」
 千種は政子の眼を見つめ返し、心から礼を言った。
「何の孫の心配をするは祖母の愉しみ。紫は源氏の血を引く大切な姫、これより後も頼経どのにまめやかにお仕えし、御台所としての務めをまっとうして下され」
 政子は泣いていた。千種は頷いた。
「お言葉は必ずお守り致します」
 ここまで来たら、もう後戻りはではきないのは判っている。いや、政子に命じられて半ば強制的に紫姫の身代わりに仕立てられたときから判っていたことだ。それでも、心のどこかに、このあまりにも理不尽すぎる宿命に納得できない自分もいた。
 だが、頼経という愛する男とめぐり逢い、千種の心は漸く迷いなく定まったような気がする。自分は今もこれから先も頼経の妻として、鎌倉幕府四代将軍御台所として生きるのだ。
 それはまた、自分を数奇な運命へと引き入れた政子、憎んでいたはずの政子へのわだかまりが解け、気持ちが触れ合った瞬間でもあった。
 四年前、政子は千種に過酷ともいえる決断を迫った。しかし、その裏には政子の尼御台としての、のっぴきならない立場もあった。?竹御所?は単なる源氏の最後の生き残りの姫というだけではない。その存在そのものが鎌倉武士の―頼朝の偉業を今も慕う者たちの心の支えなのだ。
 
 翌朝、千種は縫い終えたばかりの狩衣を風呂敷に包み、頼経を訪ねた。自分から良人を訪ねるのは初めてのことで、気が引ける。しかし、わざわざ政子が訪ねてきた意味を千種は正しく理解していた。
 政子は何より将軍と御台所が仲睦まじくあることを願っている。その心を無下にできるものではない。
 その時、頼経は床の上に起き上がり、何やら書き物をしていた。
「御台!」
 嬉しげに貌を綻ばせた良人に千種は微笑みかけた。
「お起きになってよろしいのですか?」
「ああ、数日前から、もう殆ど元通りになっていた。その前も微熱が続くだけなのに、周囲の者が煩いのだ。無理に布団に入れられて、ここに閉じ込められていた」
「御所さまは代わりのきかない大切な御身ですもの。皆が案ずるのは当然です」
「私は、そなたに逢いたくて仕方なかった。そなたはどうだ?」
 期待に満ちた瞳に、千種は吹き出した。
「私は」
―あなたが?藤の前?をご寵愛なさっておられると聞いて、醜い嫉妬に身を焦がしておりました。
 心で呟き、艶やかに微笑んだ。
「私も淋しうてなりませんでした。いつぞやは夢に御所さまのお姿を見ましたもの」
 夢は夢でも、とんでもない夢だが、この際、嘘も方便だろう。
 と、案の定、頼経は笑み崩れた。