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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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 茜は千種が身代わり姫だという機密を知っている数少ない者の一人である。二十歳とまだ若いけれど、既に御家人の妻であり二歳になる女の子の母でもあった。千種よりは一回り若いが、女としての経験も知識も茜の方がはるかに勝っている。
 その茜は十日前の外出以来、千種の様子が不自然だと敏感に察知しているのだ。しかも、それが男がらみだということも。
 茜は今日も案じ顔ながらも、いつものように身代わりを引き受けてくれた。千種がお忍びで外出している間、茜は寝所に引き籠もり、布団を引き被って身代わりを引き受けてくれる。まさに、身代わり姫の身代わりだと、千種自身も笑えない冗談だと思ったこともある。
 茜が何かを勘づいていながらも身代わりを引き受けてくれるのは、河越氏の娘でありながら強制的に紫姫の替え玉に仕立て上げられたから―、その過酷な運命に同情しているからだ。彼とまた逢うのはその茜の優しい心を裏切るような行為だと判ってはいても、千種は逸る心を抑えられなかった。
 逢いたい、あの方に逢いたい。ただその一心でここまで来たのだ。
 想いに耽っていた千種はふと視線を感じた。彼がじいっと千種を見つめている。いささか不躾といえるほどに凝視するので、千種は頬に血を上らせ、控えめに問うた。
「何か変なところがございますか?」
 と、男が腕を組んで首を傾げた。
「いや、変というのではないが、どうも気に入らぬ」
「小袖が似合うてはおりませんか?」
 茜が勧めてくれた萌葱に扇面と桜の花びらが散る小袖は千種自身も気に入っているのだけれど、あまり似合っていないのだろうか。
 あれだけ熱心に刻をかけて小袖を選んだ自分が馬鹿みたいに思え、千種は湧き上がる涙を堪えた。
 何を思ったか、男はふいに千種の腕を掴んだ。
「あれだ、あれ」
 指をさす方向には、あの中年の人のよさげな小間物屋がいた。今日は店を出しているようで、男の前には低い台が置いてあり、一面に所狭しと女の歓びそうな小間物が並んでいる。
 男は千種の手を引っ張っりながら叫んだ。
「そこの者!」
「ああ、いつぞやのお二方にございますか」
 丸顔をほころばせ、小間物屋は丁重に頭を下げた。
「髪飾りが欲しい。先日、そなたが千種に贈った組紐より数倍も見事なものをくれ」
 彼の言葉に小間物屋はポカンとしていたが、やがて、朗らかに笑った。
「なるほど、さようで。そういうことにございますか」
 小間物屋は彼と傍らの千種を愉快そうに交互に見てから、おもむろに台から一つの組紐を取り上げた。
「これなどはいかがですか? 私の扱う品はどれもたいしたものではありませんが、その中では高価なものでございますよ」
「うん」
 男は小間物屋から組紐を受け取り、様々な角度から検分するように眺めた。深緑色と銀色の紐を寄り合わせた、どちらかといえば渋めの配色だ。だが、品はとても良い。小粒の水晶玉が所々に散りばめられているため、身につければ動く度にキラキラと光り輝いて美しいだろう。
 男が大きく頷いた。
「よし、これを貰おう、小間物屋」
 小間物屋が笑った。
「喜知次(きちじ)にございます。以後もご贔屓によろしくお願いします」
「あい判った、喜知次とやら、また私の許嫁に似合いそうなものがあれば取っておいてくれ。いずれは妻になる大切な女(ひと)ゆえな」
 しまいの科白に、千種は思わず心が弾んでしまう。彼の妻になれる日なんて、永遠に来るはずもないのに。
 喜知次は?畏まりました?と頷き、千種を見た。
「お似合いのお二人を見ていると、私も早うに所帯を持ちたくなりました」
「何だ、そなたはその歳でまだ独り身か?」
 男が揶揄するように言うのに、喜知次は肩を竦めた。
「その歳でとは、何とも傷つくお言葉にございますなぁ。私はこれでもまだ三十前にございますよ。大人を無闇にからかうもんじゃありません、若さま」
 と、今度は男が紅くなった。
「何だと? 私を子ども扱いするのか?」
 喜知次が含み笑う。
「落ち着かれておりますゆえ、お歳を召して見えますが、実のところ、まだ十五、六におなりになったばかりなのでは?」
「う―」
 男は耳まで染めて、喜知次を睨んだ。その様子では、喜知次の指摘が的中していると自分で白状しているようなものだ。
「十六は子どもではないッ」
 男は怒鳴るように言うと、喜知次に背を向けた。喜知次は怖れる様子もなく、愛想の良い声が返ってきた。
「毎度、またのお越しをお待ちしておりますよ」
 一方、男はまだ赤面したまま腹立たしげに吐き捨てた。
「無礼なヤツだ。私を子ども扱いしおって」
 怒りに任せて歩く彼を追いかけながら、千種はクスクスと笑った。
「何だ、千種まで私を子どもだと侮るのか?」
 血相を変える彼に、千種は笑いながら首を振る。
「滅相もありません。ただ、いつもは沈着でいらっしゃるあなたさまがあまりに取り乱しておられるのがおかしくて」
「それ、やはり、私を面白おかしうに笑っておるのではないか」
 男は恨めしげに千種を見た。千種はにっこりと笑った。
「私も愕いております。まだ二十歳にはおなりあそばしていないとは思うておりましたが、あなたさまがまだ十六歳とは。到底、そのようには見えませんから。流石は喜知次どのは商売人ですね。日々、あまたの人を見ておられるゆえ、あの方の眼はごまかしがきかないのでありましょう」
 だが、当の男に千種の言葉は届いてはいないようである。唐突に彼が言った。
「千種はいやか?」
「何が、でございますか?」
 男が足許の小さな石ころを蹴った。
「十六では、そなたには釣り合わぬか? 私はそなたよりは数歳は年下なのだ」
 相変わらず彼は千種を二十一、二歳だと信じているらしい。本当は数歳どころか、十六も離れている。十六歳差といえば、母子といってもおかしくはない。
 その時、千種は彼が良人頼経と同年なのだと気付いた。何という偶然であり皮肉だろう。貌さえ見たこともない形だけの良人と初めて恋した男がこんなにも年若い男だとは。
 千種は微笑んだ。
「大丈夫、口にさえ出さねば、あなたさまは到底十六歳には見えません。誰でも二十歳ほどに思いますよ」
「そうか? それならば、そなたと並んでいても不自然ではないな」
 親に褒められた子どものように貌を輝かせ、彼は千種に言った。
「後ろを向いてごらん」
 言われたままに後ろを向くと、彼の手が髪に触れた。漆黒の艶やかな髪を彼はしばらく手触りを愉しむかのように撫でていた。
「これで良しと」
 彼は手のひらに載せた飾り紐を差し出した。これは喜知次が十日前にくれた飾り紐だ。
「先刻、私が買ったものと取り替えた。丁度、今日の小袖とも色があつらえたように合う。これからは私が贈った方を身につけて欲しい」
 その熱を帯びた視線と口調に、千種の頬までもが熱くなった。
 その時、往来の向こうから花売りが歩いてきた。花を売っているのは六十近いであろう老婆だった。
「花は要らんかね〜」
 男がふいに声を上げた。
「花を貰おう」
「へえ、ありがとうございます」
 花売りがゆっくりと近づき、背にしょった籠を下ろす。それを手伝ってやりながら、男が嬉しげに言った。