私の読む 「宇津保物語」 楼上 下 ー2-
少将は楽の音がする方に向かっていくと、京極に着いた。道の二三町に人々がぎっしりと集まっていた。
門を抜けようとするが足を入れる隙間もない。少将信方は仕方なく人波をかき分けて中に進んだ。楽のする方に近づいて楽の音を聴くと、。音を三つ四つ合わせたようでその音一つ一つに哀れさを感じる。みすぼらしい姿の者もこの琴の音に感動していた。
少将信方はやっと高欄の際にたどり着いて階の下から申し上げようとするが、琴の音や謡う声でとても聞き取れはしない。声の限りを出して、
「蔵人少将藤原信方、内裏から参上」
と、内侍督が、直ぐに聞きつけて、琴を引く手を休めた。上の人達が気がついて、「何か用か」と問われる。
「このように謡われる声を帝がお聞きになって、我を召されて、
『この声を出しているところを探してこい、そうして報告をせよ』
と、仰せになりました。此方からの楽の音だと解りまして」
と、信方は二人の院を始め仲忠等に申し上げる。感動の涙に鼻水を出しているのを懐紙で拭い取って、院達は、
「これは珍しいことよ」
と、誰もが驚いている。
朱雀院は
「帝が気にしてお待ちになっておられるだろう。急いで帰って報告をしなさい。昔かすかに聞いたことのある内侍督の琴の音を、なんとかして聴きたいと望んでいたが、今夜は近くで聴いて哀れな心になったよ。それが内裏まで聞こえたのか」
二人の院の御前を始め人々みんなにお酒が出た。皆さんが坏を酌み交わしておいでである。
暫くして嵯峨院が、
「そうだ、今宵は露ほども気懸かりがなくて心安らかである。昔内裏で、節会や花の宴には、面白く賢い作詩に興じた。何の心配もなくて楽しい行事に専念して年月を過ごし、季節にあった面白い音楽をして、琴を弾かせたが、俊蔭朝臣の代から稀に見る上手で勝れていた。
この琴の音である、この琴の音に魅せられて放心したようになったが、今夜こそは、天上の楽もこのようであろうと思った」
と言われると、涼が、
「ほそ風は犬宮の産屋で仲忠がほんの少し弾きましたが、その音は本当に面白いと思いました、今宵、同じほそ風を聴きまして、どちらとも申しませんが、調子が変わっていてこの上なく哀愁がありました。それにしても七月七日の夜の琴は素晴らしい演奏でありました。
その時は、はし風をほんの少し弾かれてその音に合わせてこの四人の童が舞い、どんなに面白くて比べもののないことで御座いましたでしょう」
と、申し上げると、そううことになれば、今日のほそ風にもまさって、どんなに素晴らしいことだろうと、院はお考えになる。
朱雀院は、深くしみじみと心をひかれる。心の中で、尚侍が自分にまだ聴かせていないことを、珍しくまた悲しいと思うにつけて、何時になっても忘れられない人だな、とますます自分でも呆れるほど心が引かれ、
「さて、あのはし風をどうしても弾いてください」
と、内侍督に言われる。
夜半近くになった。内侍督はいろいろと懸命に申し上げて逃げようとするが、朱雀院は責められてお許しにならない。
「どうして貴女に出来ないことがありますか」
と、近くに膝行り寄って来られるので、なんとなく気味が悪く、内侍督はこの上世に出ようとは思わないし、まして今は隠遁したい気持ちであるので、
「もう指も動きませんし、仰せ頂いても別に珍しい手も御座いませんし、生憎で御座います。左大臣は春日詣の時などで全部お聞きになっておられます。仲忠に申しつけてくださいませ」
院は笑って、
「成る程、もっと早く仲忠をこのように脅して演奏させるべきであった」
と、仲忠を近くに呼びよせようとするが仲忠はすぐに立ち上がらないので、
「朱雀院がお呼びであるぞ、直ぐに行きなさい」
と、左大臣の正頼が言うと、内侍督は扇を鳴らして仲忠に仰せを受けよと合図をする。仲忠は急いで楼に登り、はし風を持ってくる。
嵯峨院がはし風を手にして御覧になるが、琴は普通の琴と似ていないが、清く美しい。昔から唐國に渡航して持って帰ってきた、弥行(いやゆき)の琴とは似ていない、俊蔭が帰国して諸方に配った琴と似ていない。嵯峨院は、はし風の一弦を一寸試しに弾いてみると、音の響きが珍しい。他の弦も試してみるが少しも音がしない。
「これは恐ろしい楽器だ」
嵯峨院と朱雀院は危ないと感じになり、はし風を内侍督の几帳の中に押しこまれた。 ・
内侍督は入ってきた琴を引き寄せて、直ぐに涙を流し、昔父君が仰せになったことを色々と思いだす。心を引き締めて涙を抑えはし風を弾こうとする。大勢の皇子達や、上達部は、はし風を見て、どんなものであろうか、と奇怪に感じる。北方達は長い髪を耳の後ろに挟んでいざというときに直ぐ動けるようにする。大殿油(とのあぶら)に油を一杯入れて真昼のように明るくする。直ぐ出られるように高欄の近くに座を移す。
内裏の使者も山中に入り多くの年月苦行をしたように感じて、もう帰ることが出来ない気持ちになっていた。
はし風は俊蔭が遭難して流された異国で造った多くの琴の中では、一番勝れた響きを持っていて、七つの山の七人の仙人の勝れた妙手は楽の師として丁寧に遺言したが、これはその時の琴である。
俊蔭が七人の仙人の中で一番手の劣った者から学んだ手を先ず弾いてみると、前の時の音よりも優って高く響き、雷鳴が騒がしく稲光がして、土地は地震のように動く。
その様子が恐ろしくて気味が悪いので、尚侍は一つの弦だけで弾くと、その音は面白く、二弦で弾くと雅で悲しみが前より深くなる。この音を聴くと愚かな者はたちどころに賢明になる。怒り腹立つ者は心が穏やかになり静かになる。強風も順風となり、病で苦しむ者はたちまち苦しみが和らぎ、動けない程の重病人も
この音を聴いて感動して立ち上がらんばかりである。
険しい岩や木や、恐ろしい鬼の心でもこの音を聴けば感動して涙をおとさずにはいられないと思う。
源中納言涼は感激のあまり何事も忘れて、この音ばかりが心に沁みて悲しい気持ちになった。
朱雀院も涙を雨よりも激しく流しておられるのを見るとどんだけ悲しんでお聴きになっておられるのかと涼は思う。人々の多くは涙を流さない者はなかった。
仲忠は今まで聞いたこともない素晴らしい音に、母親とは思われず、恐ろしいほど悲しくなった。四人の童も、細く柔らかい声を出して、秋の虫が鳴くよりも哀れな声で謡いながら音に合わせて舞を舞う。そうすると朱雀院は悲しみがますます膨れあがって、扇を出して拍子を取り出される。朱雀院は、
おもしろく哀にためしなき事を 聞きてくるしくは
何のなにせん
(前代未聞の面白く哀れなこの音を聴いて、苦しいなどと言うなら、一体どうすればいいのか)
朱雀院が何とも言えない美しいお声で節を付けてお詠みになったので、嵯峨院は、
哀なることのしるしの見えざらば 何をか後のかた みにはせむ
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 下 ー2- 作家名:陽高慈雨