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私の読む 「宇津保物語」  楼上 下 ー2-

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 内侍督が躊躇していると嵯峨院は内侍督の近くに寄ってこられて、

「仲忠に伝言したことをお聞きになったか、俊蔭が私を怨んでいることは充分悪いと思っているが、今は余命もない私だから、それを考えて許してくれれば嬉しいことだが」

 と、仰る様子が こまやかに悲しそうである。

 内侍督は「勿体ないことで御座います」とお答えすると、朱雀院は、

「それでは、りゅうかくを始めとして、なん風、はし風というのは、後宮五舎の一つ雷鳴壺(かんなりつぼ)襲芳(しほう)舎で、仲忠、涼が弾いた琴が心に深く残っているが、演奏をしているうちに空の雲が騒がしく乱れてくる様子だと言って途中で中止してその続きをとうとう聴かないで終わった、その続きを是非にも聴きたい。

 また、はし風は私ばかりではない誰でもぼんやり噂に聞くだけで、その音をちゃんと聞いた者は居ない。こんな音ですよ、とあて推量のことは聴いたことはある。それを今夜聴かせてくれたならば、現世とは言わず未来永劫に嬉しく思うぞ。

 それを今私に聴かせないでずっと後で人に聴かせるならば、この上なく恨みに思うぞ。

 いまはのみかぎりと思ふすゑの世に
もとのうらみをとくもきかなん
(今私の命も終わるであろう晩年に、昔の怨みを忘れて早く琴を聴かせて欲しいものだ)」

 内侍督は返歌をする、

 二葉にておもほえぬかなむすび松
      うちとけてこそ人はひくらめ
(二葉のように琴については幼い私でございます。結び松にするほど成長しましたら結び目も解けて弾くことが出来ましょう)

 なん風の曲はあまり存じません」

 と、申し上げる。

 朱雀院は尚侍に親しく懐かしい思いで総ての筋道を仰せられ、嵯峨院はご自身が高齢で尊くいらっしゃって、昔の父君に懸けて尚侍が引くに引かれないように仰る。内侍督はどうすればいいだろう、と思い煩う。

 亡き父君は、なん風、はし風二つの琴を立てて仰った。
「この二つの琴は永い世の宝である。俊蔭の子であると言うことを忘れなければ、決して人には見せるな。

『幸いあらば、その幸い極めんときに、禍極まる身なれば、その禍限りになりて、命極まり・・・・』

 と遺言なさった。あの山中で、狼、獣に囲まれたときになん風を弾いて難を遁れ、その音を人々が聴いて集まってこられたので最後まで演奏をした。はし風は未だに手を触れていない。

 今、仲忠は何の功もなく然るべき歳で大将になったことも、私も内侍督にしていただいたこと、朱雀院の有り難いご配慮からである。

 内侍督は父俊蔭の仰有った頃の有様を考えると、今日の有様は何と栄え有ることである。位は譲られたが二人の前帝の院がわざわざ琴のために行幸をされた。

 式部卿の宮を始め多くの宮達がそれなりに帝のお側に侍し、内裏春宮の上達部も集まってお出でになる。

 后と申し上げる方々の中では、特に有名な嵯峨院の大后、その御子の女王、正頼北方の大宮を始めとして五所(三宮ら)、帝の女御は式部卿の宮の娘を入れて三人がお見えになっている。

 皇族でない人は、公私にわたって重んぜられている太政大臣、左右大臣、上達部の上位の方十五人、三位、左右大辨、頭蔵人、殿上人の全員知り人も知らぬ人も数え切れない。

 こういう中にあって、ほそを風は少ない曲でもこの琴の極みを弾くことは出来る。しかし、はし風に手を触れることは、昔のことが思い出されて心が砕けるように悲しい。

 七日の夜に、はし風を弾いたのは、七夕のお供えとする一方で、犬宮に教えるつもりであった。それも本当に小さくかき鳴らしただけである。

 このように例え帝の御前であろうとも、世の中に特別崇められておられる朱雀院の一宮が嫁となり、犬宮の祖母となり大臣の妻となった私でも、まだ満足の極地に立っているとは思えない。

「お二人の院には恐れ多いことだけれども、はし風は弾くことは出来ない」

 内侍督はあれこれ考えて心が乱れる。


 十五夜の月は明るく澄みきった空に趣き深く輝いている。待ち遠しくて心がいらいらしてくる、と何回も嘆かれる院の気持ちを察して、まず、習い始めのりゅうかく風で律の調子の秋の調べを弾き始める。その音はかって、清涼殿で演奏したときよりも勝れていることははっきりと解る。あらゆる楽を取り込み笛の音、囃子、それらの特徴をよく捉えて一つに纏めている。

 お二人の院に宮達、后女御の方々、

「りゅうかくの音をほのかに聴いたことがありますが、このように勝れた音は聴いたことがありません」

 と、驚く中に心にしみて、このように面白く聞こえるのは、と驚嘆して聴いていた。

 次は、ほそを、を尚侍が秋の調べで弾くと、大小の霰が降ってきて、空には雲が広がり、星が騒ぎ、空の様子が急変して気味の悪い雲がわき上がってきた。

 八月の暑さの中で廂に隙なく座っている人達は狭いのと人の熱気で蒸してきて暑いと我慢しているところに急に涼しくなってきて、気分豊かに命が延びて世の中の楽しみを一身に集めたような気分になっていた。
 すると今度は同じ調子であるのにその音は遙かに澄み渡って、無常の哀れさを様々な姿で感じさせて、空に響き渡り、地の底を揺るがす。四方の山や林に音は散ってゆき、悲しみ哀れ、世の中は常に動いていることを感じさせて、聞く者は涙が止めどなく流れる。

 院を始めとして多くの上位下位の聴衆は、この音を聴いて涙を流さない者はなかった。

 この琴の音は風に乗って内裏まで届き、帝が夕方の食膳につかれる時に、心細く悲しく哀れな音が風に送られて流れてくるので、帝は驚き怪しんで、

「殿上に居る者達は、この音が聞こえるか、どこから聞こえてくるのだろう、おかしいことよ」

 と、言われると、殿上の一人が、

「本当に、おかしなことです」

 と返事をする。耳を澄まして一心に聴いてみると東巽(東南東)の方から聞こえてくる。蔵人の少将が、

「面白いことですね、仲忠の京極殿の琴の音が内裏まで聞こえてくるとは、変ですね」

 宮中に働く男女は上も下もなく流れてくる琴の音に涙を流す。

 帝も琴の音が心に異常な響きを与えるので、
「やはりこれは不思議だ。少将よ、蔵人所や瀧口の男共を早く走る馬を引いてくるように馬寮へ行かせて、その馬に乗ってこの音のする方向に向かって、目で確かめることが出来ずとも、何かと見当を付けてきなさい」

 と、お命じになる。

 帝は内裏でこの音を聴いて限りなく哀れを感じ、変化の者の技ではないか、と思われるが涙が止めどなく流れてくる。

 位の高い者もそれ以外の者も、帝のお側に仕える乳母も、内侍も、命婦も、蔵人も、そしてそれ以下の者達も、聞こえてくる物の音に泣きながら哀れに思い不思議だと感じていた。

 帝は高欄の端に出られて遠くを見つめられる。お付きの者もそれに従って高欄の端に出てくる。

 雲の様子がいつもとは違い哀れな声が聞こえる。耳にする者は世の中のことを総て忘れて、ただただ悲しく、世の哀れだけを考えている。