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私の読む 「宇津保物語」  楼上 下 ー2-

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「朱雀院がお出でになったのならそちらに参って聴くことにする」

 朱雀院は嵯峨院がお出でになったと知り後ほど挨拶に伺うことにした。

 東の対は朱雀院の御座と殿上人と蔵人とに与えられた。


 夜が明けるとともに、十五日の朝が始まった。招待外の客達が大勢、初めて京極殿の寝殿から南の庭を眺める。池、中島、釣殿、坤(ひつじさる)の念仏堂、左右の反り橋、楼などの様子をゆっくりと見て回るのである。

 寝殿の北の方を見ると、遣り水が面白い形で池に落ち込み、枝の形が変わった木々、小松らが遣り水の両側のあちこちに多く植えられている。

 東西の対は寝殿からは見えない。庭の外側は広く庭のようで趣があり、苔が生え紅葉の木々が植えられている。

 藤壺は寝殿の東廂に懸けて南よりの一間から眺めていて、正頼の大殿は堂々として品よく巧みに造ってはあるが、ここのような見所はない。藤壺は興味深く造園を見つめていた。

 仁寿殿は、仲忠の妻となった我が娘一宮はここでどんな事を考えているのだろう、と思いながら仲忠を婿にしたときは不満を示したけれども、自分の子供に春宮になる者は居らず自分も后になれないのを面白くないと思っているだろう、仲忠の人柄や容貌は、帝でも容易に匹敵なさるまいと仁寿殿は思い、今日のこの催し、京極殿の造り、人々が大層仲忠を褒めるのも、少し性格に強すぎるところがあるが、その通りであるなと思う。

 未の時(午後二時)頃嵯峨院がお出でになった。仲忠が出迎えて、寝殿の階段に車を寄せる、お供には兼雅、大納言三人、中納言、宰相五人、源中納言涼、そして宮達を、きりっとして輝くばかりの装束をして従えてお出でになった。嵯峨院は七十二才になられるが、清楚に若く五十代に見える。髪は白くなく、腰が幾分曲がっておられる。よくお笑いになって、

「大変趣があった昔の場所を、また見たくなって罷り越した。あの池の船屋はこの度は少し高くしたのだな。何処も前とは変わらない、この風景を私と同じように見る者はもう居ないであろう。そうだ、宮内卿のかねみ朝臣が居た。覚えているか」

 側に侍す宮内卿は
「さようでございます、山の木が高くなりました」

 朱雀院から右馬頭が使いで、消息文を、

「仲忠の京極殿に行幸なされたと聞きましたが、真で御座いますか。内侍督が幼い犬宮に琴の手をすっかり教えて、今日は楼を降りて我が家へ帰るそうですが、こういう折でなければ琴を聴けないと思いまして、院が本当に行幸なさるなら私も参りたいと存じますが、例にないことでありますので私は差し控えなければならないと思います。不都合なことでして」

 嵯峨院は返事される。

「承りました。私もまだ知らずにいたが、皇室に縁のある犬宮も居ます。犬宮の習いなさった琴を、聞きたくて参ったのだが、貴方にも長い間お会いしていませんから、このような折りに必ず御幸しなさい。過去に例はありますよ」

 それを聞いて仲忠は朱雀院をお迎えに上がった。

 正頼、兼雅,その他ここに集う者がみんなで仲忠と共に出迎えに向かった。そうして朱雀院もお出でになった。

 次いで、太政大臣忠雅がお出でになった。

 朱雀院の女御である仁寿殿腹に七人の御子がいる。五人は元服しているが末の二人はまだ童である。

 嵯峨院は念誦堂に設えた座で朱雀院と話をされる。朱雀院は清らかに端正で身丈がすらっと高い。眺め回して、

「残りなく人が集まったように見えるが、内裏には誰が残っているのか」

 正頼
「大蔵卿源朝臣、蔵人少将宣高、そして六位の男達が居ります」

 と、答える。

 集まった者達の車が京極殿の東側を境にして西の方へ三四町続いている。位の低い者は車に乗らずに徒歩で参集したが入る道がないほどである。

 昼が過ぎて酉の時(午後六時)前に犬宮と内侍督は楼から降りてこられるという段取りである。楽人は」皆平張に集まってその時に演奏するために控えている。朱雀院は用意が調ったと見て、兼雅、正頼に、

「時間になったようであるな。どうしてのだろう、遅いではないか」

 と、何回も言われるので、正頼達や側に控えている者達があちこちへ行って、

「早く、早く」

 と、告げる。

 担当の者達は立ち上がってそれぞれの受け持ちの行事を始める。


 西の錦の平張より太鼓が打ち出された。静かにやっと楽が始まった。八人の童、内四人は孔雀の装束をしている。残り四人は胡蝶である、左右に立って面白く舞出すとそれに合わせて、管楽器、弦楽器が演奏を始めるが上手く舞に合わないので宮達が吹いたり弾いたりして舞に合わせる。

 朱雀院は仲忠を呼んで、
「犬宮と尚侍を早く楼から降ろしなさい」

 と、言われ、輦を呼びよせて、

「犬宮と内侍督が居る櫓の東西の反り橋の処に持っていくように」

 と、命じになる。朱雀院は何かお考えのようで、多くの大臣や大宮方には犬宮や尚侍を見せないのに、藤壺は見るのか困ったことだと、人が多すぎて狭いのだと、

「東の放出の母屋二間の周りに屏風を立てて、犬宮と尚侍をそこに居るようにすればよい」

 と、言われるので仲忠は喜んで言われるとおりにする。誰も彼も普段と違った気持ちで見ている。左大臣の正頼は「遅いぞ、早く早く」と仰る

 嵯峨院
「恐れ多いことだが,大宮(大后)の輦は尚侍に、朱雀院の輦は犬宮に」

 と、仰ったので、承って、右大臣の兼雅が派手な動きで輦を所定の位置に据える。

 左大臣正頼は、
「内侍督の輦を寄せなさい。正頼が犬宮をお助けします。兼雅が思うとも身体は二つには分けられない」

 と、仰る。兼雅は尚侍、犬宮に「早く、早く」と言われるので、蘇枋の裾の濃い裳を出して、絵描き模様をした几帳を三十人の女房が次々と手渡して、その中に尚侍と犬宮は入って降りてくる。童四人が従う。

 犬宮のお供に紫の裾濃く縫い物をして唐組の組紐を紐にしている。

 三十人の女房と童は背丈が少し違う。長々とした反り橋の上をゆっくりと渡る。何とも言えない光景である。

 輦から犬宮が降りると仲忠が抱いて、童達が几帳の前に犬宮の道具を持って進む。背丈が揃って髪も長く美しい。隙間なく続く几帳の間から色とりどりの女房の袿と裳が垣間見られる。艶めかしい光景である。近いところより少し離れたところから見る方が綺麗である。

 正頼は、几帳の外側に添って斜交いに犬宮の様子を見ると、大変に美しく目出度く見えるのが、あて宮の稚児であった頃に較べると大層大人っぽくて大変に艶めかしくて驚いている。正頼の孫宮大勢あるなかにどの子も品があって良いと見ていたが、その子らが犬宮の年の頃はとてもこのようにはなかった。これは大変な娘になると正頼は見ていた。

 犬宮と尚侍が楼を降りてくるときの行進曲は御子達始め弦楽器、吹奏器どちらも静かに音が合い、限りなく綺麗な演奏である。嵯峨院は扇で拍子を取っておられた。朱雀院は時々楽人の謡う声に合わせて謡っておられた。このようなことはかってなかったことである。

 輦を尚侍と犬宮が乗るように寄せてくると、四位、五位、殿上人が階段を下りて手伝って高欄の許に寄せる。

 朱雀院が、
「東南の隅の高欄を取り外して輦を寄せなさい」