私の読む 「宇津保物語」 楼上 下 ー2-
正頼夫人の大殿腹の男達四人と、大宮腹の男達七人が正頼に非道く機嫌悪く責められるので、正頼は「何処か隙間でも」と考えて仲忠に請求される。が、仲忠は有りのままを述べて承知せず、「御覧の通り空いたところはありませんので、いかが致しましょう」
と、答えるしかない。
この事を藤壺女御は聴いて、父の正頼に、
「ただいま私が直接申し上げたいことが御座います」
と、言ってこられたので正頼は大宮に、
「やっぱり琴のことだろう。何と言えば良かろう、帝からお暇が出るようであれば結構なことであるが。
はっきりそう聞いたうえで、隠れて車で行くと言ったらどうしよう。何もかも困ったことだらけだ。
重大な言い難いことがあるらしいから行ってこよう。
藤壺が京極に行かれても、貴女はいらっしゃいますな」
と言うと、大宮は、
「仰せではありますが、久しい間、琴は思うような音を聴かないで淋しく思っているところですから、内侍督が弾くというのに、このような折りでなければどうして聴くことが出来ようと思うものですから」
「貴女がそう仰るのでしたら、困りましたね」
と、正頼は嘆きながら藤壺の許へと向かった。
正頼が座ると直ぐに藤壺は、
「私を仲忠の妻になさって、普通の人で居る方が良いと思っていました。でもこのように隔てのある帝の女御にお据えになって、面倒な煩いことばかり聴いていますのに、人様は聴きたいと思う珍しい琴を自由にお聞きになるのです。
心に苦労がなくて思い通りのことを見たり聞いたりするのが幸福だと思います。
十五日に、犬宮は楽人の奏でる音楽と伴に楼から降りてこられ、院の方々もお出でになるところで、琴の手のある限りを演奏されるということですが、后の宮もお出でになるなかに、私一人が取り残されて演奏を聴けないのは、なんと惨めなことではありませんか」
と、泣かんばかりに言うので正頼は、
「それは変な話です。本当に珍しいことをお聞きになるならば、これは本当によいことです。
大后の宮も必ずお出でになりますでしょう。その時になって、行ってはならない、と誰かが申したら、どうしましょう、帝からお暇が出ますでしょうか」
「帝は、その様にお考えです。昨夜しっかりとお話しいたしましたから、知らぬなどとは仰りませんでした。これは天下の人が何と言おうとも、行かないと言うことはあり得ません」
と、親娘が話しているところに帝がお出でになった。正頼は身体を隠した。藤壺は、
「明日の夜必ず迎えに来てください」
「そうしましょう」
と、正頼は退出した。
藤壺は帝に心から誠実にぽつぽつと京極のことを話をして、お暇を頂きたいと無理に申し上げると、帝は、
「それはいいですよ」と言って、
「京極殿に行かれたらそのまま京極にいらっしゃい、私も含めてみんなが貴女を思うよりも、仲忠の方が気に入るでしょうよ」
「皆さんがお聴きにならないのに私一人が参ったということになると、帝の仰せのように思う人もありますでしょう。大后の宮始め大勢いらっしゃるというのですから、その様な無謀なことを仰有っては」
「そなたの言うとおりだとは限るまい。実際に大后がお出でになれば、お出でになると言うだけのことで、他の宮方もお出でになることでしょう。
そなたの言う通りだということにしておこう。そうではあるまいと言ったところで、内侍督の琴を聴かずに済ます人はまさかいないだろうからね」
と、帝が言われると藤壺は大后は必ずお出でになると人知れず思う。
新中納言実忠は未だに人との付き合いがないので、京極殿で仲忠が催しをすると人が言っているのを聞いて仲忠に消息をする。
「夜の催しであれば、人目を避けてでも参上して聴かせて貰いたいです。
死にかへり思ひそめにし世中の
あかぬことこそ哀なりけれ
(死ぬことも出来ず世の中に執着して、その上飽きたらずに琴を伺いたいと思う自分が本当に哀れでなりません)
もしそういう催しがあるならば参って宜しいでしょうか」
と、書いてあり仲忠は読んで、他の事より何としてでも聴いて貰いたいと喜んで、
しっかりと承りました。実忠様にご無沙汰申し上げているうちに、ご消息頂いて大層珍しく嬉しく思いました。さても、
年ふれど誰も忘れぬうき世には
なぐさむことの何か有るべき
(長年生きていても、。厭な世の中には心を慰めるものはありませんね)
本気で世の中は哀れで、心細いと思いましたので。犬宮には月頃、琴を印ばかり教えていました。貴方に
良いような隠れ場所はありませんが、無理にお出で頂きたいと思いますよ」
と、仲忠は返事をする。
十五日の催しを世間では容易ならぬ重大ごとであると騒ぐので、公卿や殿上人の北方や娘達や宮達は、どうかしてこの琴を聴こうと思わない者はない。
嵯峨・朱雀両院はお忍びではあるが、その儀式には特別心を入れられていると取り立てて言う。限りなく大勢の宮や君達が全部京極にいらっしゃると騒ぐので、乞食や不具者までが、
「なにがあるんた、行ってみよう」
と、思い、口にする。
右大臣兼雅夫人の三宮、梨壺のお方御一緒にと、大后の宮は急に出席しようと思う。
十四日の夜、嵯峨院の女御、正頼の北方お二人女房一人童二人お供でお出でになる。女房達はいつもの式典のようには座席は置かないで、南の方の山の陰に並べた。
正頼の大殿と大宮の男君達、姫君達車に乗ったままで、
「犬宮が楼から降りられるところが見える場所に車を立てて見てみたい」
と言って。十一人のご兄弟は黄金造りの檳榔毛の車合わせて十一台に藤壺と仁寿殿を除く女君達十二人も加えて分乗して楼の東西の橋殿に沿って立てた。
続いて大后の宮が糸毛の十四台の車でお出でになる。西の門より西の対に檳榔毛に乗った人達を先ず降ろして、大后の車は中門より入って寝殿の坤(ひつじさる)の高欄で降りなさる。儀式は大変厳かに執り行われる。
暁頃に左大臣正頼の車、子息達が人を大勢連れて先駆けを勤めた.儀式は厳粛に執り行われて、兼雅北方の三宮と梨壺が来られた。西の対に席を決められた。内侍督の女房達皆も坤の御堂の廂、渡殿に移って、西の対を嵯峨院、大宮の殿上人、蔵人所とした。
藤壺と若宮達は寅(午前四時)の時に来られた。仲忠は思いがけなく藤壺が来たので驚いて東の廂に、南側二間を一宮の座に当てていたが、それを一間にして中を隔てて藤壺の座とした。次の二間を廂に懸けて仁寿殿と一宮の座とした。
内裏からは春宮の殿上人が多く来邸してきた。糸毛車の綺麗なのと檳櫛毛の車十二台に普通の車が二台で来られた。
一宮と正頼と犬宮の女房は、半数は釣殿に移った。
藤壺女御の座に懸かる渡殿に春宮の座一間を特別に誂えた。
南廂の階段の東は朱雀院達の座、高欄の端から西の廂嵯峨院と宮達九人が座しておられる。茵を敷くのに手を休める暇がない
寝殿の母屋は二つに分けて、仲忠や兼雅が奥の方に座している。上達部は高欄の簀の子が座席である。太政大臣忠雅も、
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 下 ー2- 作家名:陽高慈雨