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私の読む 「宇津保物語」  楼上 下 ー2-

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 馬の世話をする者にと、調布廿疋を与える。

 摂津守の許に、京極殿の家司を時宗に付けて、
「使いを摂津の守に送るから、時宗は暫くここに滞在しては」

 と、仲忠は言うが、時宗は
「この厚遇を急いで帰国して國のみんなに知らせたいと思いますから」
 と、急いで帰国したいようである。さらに時宗は、

「数年来田舎で色々嫌な目に遭い、また、ひどく責め懲らされて、泣き嘆き寂しい思いをしていましたが、思いも掛けない見事な頂戴物をしたよりも、今まで見たこともない清らかに光るような仲忠様のお姿を間近で、しかもこれからは我がご主人としてお仕えするとは、素晴らしい幸福で御座います。

 禍い変わって福となる、こんなに早く変わるものであったのか」

 時宗は京極殿の結構な有様を見るにつけて、夢中になる程嬉しくて、童四人を京極殿に置いて一人で摂津の国へ帰っていった。

 残った四人の童を仲忠は、家司の中の相当な者に命じて、大事にしてやるように、と言って京極殿に留め置いた。

 四人の童は殿上童と言ってもよいほど顔が綺麗で愛敬があり巧みに物事を処理する。

 仲忠が夜に四人の童を呼んで、笛を与えて吹かせてみる。田舎者らしくなく、四人ともそれぞれ特徴を出して思っている以上に笛を奏でる。

 聞いていて仲忠はこれは嬉しいことである、と思う。
 次に舞を舞わせてみる。舞は四人とも大好きで毎日熱心に稽古していたから笛以上に上手い。一緒に見ていた仲忠の家来達も、童四人の優れた技量に感嘆の声を上げていた。

 八月一日にもなる。 九月の初めに京極殿の琴の伝授も終わって三条殿に帰るはずであったが、東西の楼で雅楽寮の楽人を集めて管弦の宴を催そうと、今から当日の被物の準備をし出す。

 仲忠が四人の童が衣服も整えて、思うように上手く舞を舞うのを、童として抱えることになったことを内侍督が見て、あの夜に見た夢を悲しく思い出していた。

 そうして尚侍は、宴の夜にこの四人も何か役割をさせようと思う。

 方々の領地から絹を取り寄せて、綾織物、薄物など殿内の拵えや、儀式を厳かにする用意を、内々におもな家司に命ずる。正頼一族には何も言わない。童部は時宗が連れてきた四人の童を加えて夜昼当日の出し物の稽古をさせる。


 八月十五日に催しは決行しようと決める。当日は一宮も来る。

 内侍督、犬宮の女房達は四十人ほどで、童、下仕、
まで総ていつものように裳、唐衣から扇まで特別に注意をして整える。

 犬宮は人が変わったように温和しくしている。犬宮の琴の腕前は内侍督をしのぐものになってる。尚侍はそれが嬉しくてもう心配事はなくなったと思っている。尚侍がこう思って安心したのは晴れの日の五日前十日であった。

 源中納言涼は、嵯峨院に参内して、

「脚気を治そうと、石山寺に参籠いたしました」

 と、語り初めて、

「先日京極殿に参り、七夕祭りの供え物として世にないものの音を聴いて参りました。その音は珍しい哀愁に満ちたものでした。その以前よりはものさびしく、まだ聴いたこともない音があったところから考えますと、やはり未発表の曲が沢山あるようです。

 院はどのようにしてこれらをお聞きになりますか。もう少し高く響かせれば、大変に素晴らしい演奏となるでしょう。官位がこの上なく高いよりも、仲忠のように、天下に類のない優れた名人になるほうが結構なことです。

 帝や院の御前で仲忠はごく自然に吟誦するようなことはなかったが、あの夜琴の演奏の後で仲忠が祖父の俊蔭が遺した詩文を朗誦した声には感涙が止まりませんでした」

 嵯峨院
「それは面白く興味深いものであったな。どうしたら仲忠達の琴を思うままに聴くことが出来るだろうか」

 涼
「犬宮にこの二年間手を尽くして教えました。この十五日、雅楽寮の楽人を左右に分けて合奏をさせて、犬宮を楼から降ろすようです。

 当日は興味ある宴になることでしょう」

「宜しい、その日は不意に京極へ行幸いたそう」

「ある者が、朱雀院は当日、京極に行かれるだろう、と申しておりました。それが事実ならば行幸の準備をなさっては如何ですか」

「そうであるなら、九月九日の菊の宴には藤英にその場に相応しい詩を作らせてみよう。

 当日の被物として女の装束を用意させ、その中の廿具ばかりは、少し良い物にさせよう。

 そういうことであれば、先ず京極の琴を聴こう。内侍督の琴は是非聴きたい。仲忠は優れた人物である、かの家は珍しい有り難いことを引き継いでいることである」

 と、言われるのを聞き終えて涼は嵯峨院から退出した。

 朱雀院は、仲忠に、
「八月十五日は必ず参ろう。わざとらしくなく、行幸なんかないようにもてなしをするように。

 評判が大きいようである。右大臣兼雅が迎えにも来るようだったら大そうなことになる」

 と、仰せになったし、嵯峨院は前々kら繰り返し行幸をしようと仰せになるので、仲忠は、

「されども行幸があれば、人々は二院が行幸なされると大げさに言い触らすであろう。

 自然にお耳に達したうえで行幸があるならば、計画の催しに行幸があるのだと人々は勘ぐるだろう。お出でになるときの用意をしよう」

 と、仲忠は考えて、祖父の俊蔭が書いた物の中から唐国以西、天竺以東の国々で作った、そのころの詩の内容を仲忠が屏風に書かせたものが普通の屏風よりも清らかで美しい。

 屏風の絵は総て唐綾に描いて、縁の錦、裏の拵えが見事である。寝殿を二院の座席に当てて御簾の上部の帽額は大紋の錦で造り、御簾を高く巻き上げて、浜床には蒔絵を施し、自分のは紫檀で黄金の螺鈿を摺り込ませた。玉もいれて何処の家のよりも拵えは見事であった。

 嵯峨院の大后の宮が院に、
「私は七十才ほどになったが、様々なことを見聞きしている。しかし琴の音の良い音色には飽きることがない。仲忠の琴を何時だったか前に聴きましたが、本当に巧みに他にはない名手だと思いましたよ、ましてあの内侍督も弾かれる、どうして聴かないでおかれましょうか。御一緒に聴きましょう」

 と、仰るので院は、
「どうなることでしょう」

 と、返答をするが、自分も行きたくてたまらない。

 帝の承香殿女御で、この大后の五宮である方が母の大后に、
「それは耳寄りなことで御座います。私もお聴きしたいから是非行きましょう」

 一宮は母の仁寿殿女御と男宮全員七人、二宮と行かれるであろう。

 源中納言涼はあの七月七日七夕の夜のことを、仲忠とは睦まじい仲で、良い演奏を聴いたと喋ったので、家の者が我も我もと京極へ出向いて家に残る者はいないであろう。だが供の者までは会場には入る余地はないと考える。

 寝殿の西廂に、大后の宮。北の廂には正頼、大宮、仁寿殿女御、藤壺女御は別にして、八人。正頼夫人の大殿腹の女君五人は大殿と同じ場所に。

 あまり大勢押し寄せると仲忠が困ると、制限なさろうとすると、

「面白くもないことを。当然聴けるはずなのにお暇を戴けないため、此の世で中々聴けない名人の琴を聴かずに仕舞うとは勿体ないこと」

 誰一人残る者は居ない。

 東の廂には、犬宮と、内侍督、仁寿殿の座をと仲忠は予定する。