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私の読む 「宇津保物語」  楼上 下

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 乳母二人が袙だけの姿で二人の髪を洗い、童が手伝った。

 犬宮の髪は身丈よりも短いと心配をしていたが、長く伸びていた。容貌も天女かと思われるように一段と美しくなっていた。

 七夕祭りを京極殿の数カ所で行った。内侍督は、

「七夕に、今日のお供えとして少しばかり琴を弾こう。静かなところで」

 と言われると、仲忠の居間である反り橋に、犬宮、仲忠、内侍督に一組、聞き手の女房達に一組几帳を立てて、その中に入る。

 夜が少し更けた頃に、涼が狩衣姿で馬に乗ってやってきて、京極殿の南の山の榊の木の下に座を設けて、頬杖を突いて座っていた。

 気配を感じるほどの風が冷ややかに吹く頃に、内侍督が、

「さて伴奏を努めさせていただきます」

 と、愛用の琴、けし風を弾き出す、犬宮は、ほそをふ琴を弾き、りゅうかく琴を仲忠が弾いて、一つの曲を三人同じ音で合奏する。その音は空高く響き渡る。琴だけなのに、管楽器、弦・打の各楽器が合奏しているように聞こえてくる。聞いている人達は空に昇るような心地がした。星は雷にならんばかりに騒ぎ出す。

 涼は聞いている内に恐ろしくなってきて、どうしようかと思うが、曲の途中で帰るわけにも行かない。供の左衛門の尉に太刀を抜かせて聴く。

 色々な音色に命が延びて、琴の音の功徳によって世の栄えを見たような気分になった。恐ろしくて途中で帰ったらどんなに残念なことだったろう。左衛門の尉は刀を抜いて天を仰いで聞き入っていた。

 七日の月は天空から消えようとして光が1時明るくなる、楼の上辺りで輝く雷神が遙かになって月の周りに星が集まる。世にないかぐわしい香りが一面に漂う。妙なる音に酔った人達はとろとろと夢心地になり、目覚めると一つも覚えていないことだろう。空を仰いで聴いている。楼の周りは更に珍しい香りで満ちている。

 三人は仲忠の居室で演奏をする。下を見ると月の光で前栽の露が玉を敷き詰めたように見える。響きが澄んだように、音が高いこと勝れている、はし風琴であるから、内侍督はそっと弾いていた。

 様々な雲が月の周りを立ち舞、琴の音が高くなると月、星、雲が騒がしくなり、音が低いときは長閑にしている。飽かずに聴きたいと思っていると、夜半過ぎに琴を弾くのをお止めになった。

 次に仲忠は笛を取り出して息の続く限り吹く。貴重なときにこの笛の音も此の世では聴かれぬ音色である。涼は笛の音に驚いて、

「笛は、自分とは昔同じ程度の技量であったが、仲忠はあまり好みではなさそうであった。これはとても勝れた腕になられた」

 と、呆れてしまっていた。

 暁になっていく空は静かで、長閑な中を、俊蔭の自作の詩賦のなかに、唐国から知らない国に行って、未知の道を歩いていると大変に面白い四季の花が咲き乱れ、ある処は恐ろしい変な形をした者達が集まっていたりするところを通り過ぎ、歩く道中様々なことを考えながら、悲しく哀れな声で朗誦をされた。また帰国して後に 家の淋しい眺めを時に付けて詩作しなされた詩を誦ず。

 初めて聴く人でも涙を流さない人はいないのに、まして、仲忠がこういう俊蔭が住んでいた京極の殿で、俊蔭が遺した琴を弾き終わったところで俊蔭の自作の詩を吟誦すると、その声を始め節も言葉も面白く哀れなので、涼は直衣の袖を絞るばかりの感涙を流す。琴の音や楽の声も一緒になって身に滲み渡った。

 涼は、何時までも名残惜しそうにしていたが、辺りが静かになったので心を残して帰って行った。

 涼は京極殿からの帰途でも、この世の中は、しっかりしていなくて頼りにならなく手ごたえがない、しめやかで感傷を誘われるもので、紀伊の国で長く暮らしたことなどを思い出していた。

 仲忠も横に臥す。内侍督も琴に手を触れたままでとろとろとしている、夢を見る、

 俊蔭が
「昔の琴の音を、愛おしく、珍しく聴かせて貰ったよ。仲忠の詠う声も愛着があった。そこで、今日門を叩く方々には必ずお会いになって下さい」

 内侍督は俊蔭の声を聴いた。返答をしようと思うと目覚めてしまい、涙がこぼれ落ちた。

 仲忠も完全に眠ったわけではなかったので、母が泣くのをおかしいいと思て訳を聞く。内侍督は、

「大変に悲しい夢を見ました。父上が亡くなられて後、夢でもいいからお会いしたいと思っていましたのに、現れなさらなく本当に心細く思っていましたが、今私は父の夢を見ました。
 
 琴の音をお褒めになって、『今日、門を叩く者には全員お会いしなさい』と、仰いました。

 父君は、多くの琴の中でも、このなん風、とはし風は優れて音色が良いと大切になさったから、お前が幼い頃私と共に空洞に住んでいた頃、父の遺言の通りなん風を弾いたのは、あの武士共に囲まれ脅かされたとき、空洞から取り出してにわかに弾いて危害を免れた。それ以来で、昨夜は少しばかり音を高く弾いたのをお聞きになったのであろう。

 仲忠がしみじみとした趣ある詩を朗誦したのもお聞きになったようだ。

 本当に懐かしくて悲しいことである」

 と、泣かれる。仲忠も聴いている内に、祖父が自分の詩の朗唱を聴いておられた、と悲しくなって涙を流した。当然のことである。

「門をたたく者とはどのような事情で叩くのだろう。その様な夢を母君は御覧になったということは、はかないことでしょうが、なんとなく嬉しいことです」

 と、思うが、門にいる警護の者に、門を叩く者はみんな中に入れるように、と命じて自分は門に近い寝殿にいた。

 酉の時(午後六時)頃に東の門に馬に乗った男が童四人を供にして現れ、馬から下りて向かいの厩にいた衛士に、「この殿は誰の殿ですか」と尋ねる。

「右大将仲忠の殿です」

「昔からこの殿にお住みの方ですか」

「治部卿殿と人は呼んでいます」

 と、衛士が答えると、男は衛士に、

「これは貴方、嬉しいことを教えて下さった。治部卿
の御子孫がお住みになっておられるのですね」

「そうです、御子孫の方です」

 馬で来た男は、
「そうであれば、昔の家司か御厨子所(内膳司)に是非とも訴えたいことがあります。

 昔、この殿におりました下人が参りました、このようなことを申しています、と取り次ぎをお願いしたい。私は一生掛けて只今のご主人を主君として喜んでお仕えいたしましょう」