私の読む 「宇津保物語」 楼上 上
式部卿宮の中君(兼雅の女の一人)よりもお淑やかで恥ずかしそうに物を言われる。お声は仁寿殿女御とよく似たお声である。小君のことにしても兼雅を怨むようなこともなく此方が恥ずかしくなる。
仲忠は宰相の君に
「近いうちにお迎えにあがります。父はいつもそのことを仰有っているのです」
宰相の君
「せっかくの仰せで御座いますが、私は今は隠れ人でありまして、世間に出るのは外聞が悪う御座います。殿には黙って産みまして、気に掛かりながら世話をしています小君を、兼雅様のお心は信頼できかねますが、本当に仲忠様がお心に掛けて下さいましたことは、本人もこの上なく頼もしく感じていることで御座いましょう」
仲忠
「いかがなものでしょう。これから直ぐにお連れいたしましょう」
宰相の君
「最初に、このようにして私が見つかったが、とお父上に申し上げて下さい。兼雅様がなるほどと、思い出して下されば。、その時に参りましょう」
翌日、仲忠は小君を呼びよせて、果物などを与えて、二人で遊ぶ。仲忠が詩を朗読すると、小君が綺麗な声で付いて読むので、仲忠が
「誰に習ったの」
と、尋ねると、小君は「母上」と応える。仲忠は宰相の君の趣味の深さを想像する。
仲忠は参籠が三日目になり、帰ろうとする。「どちらへお伺いすれば小君と逢うことが出来ますでしょうか」
と、宰相の君に尋ねると、
「誰にも分からない山里のようになったところです。お出で戴くには全くひどいところで御座います」
と、宰相の君は応えた。
二人は殆ど同時に寺を後にした。宰相の君の供の者は少ない。
仲忠を迎えに家仕の者が来た。その中から親しく使っている者を選んで、宰相の君の供にさせる。
宰相の君の住所は西の大宮であった。一丁ばかりであるが、ひどく荒れていた。
宰相の君が
「このようなところですよ、驚きましたか」
伯母が、仲忠の供人だと言うことを聞き、さらに簡単な経緯を知ると、限りなく喜んで仲忠の供の人々に清潔な果物や肴などを出された。
仲忠は帰館後少しして父の許へ行き、
「物忌みを致しましょうと石作寺に籠もりました。そこに宰相の君が美しい姿で参籠されているのに会いました。
早く、今日明日にでもお迎えをして差し上げなさいませ。東の一の対、南がよいではありませんか」
と、宰相の君と会ったことを話すと、
「宰相の君は、心掛けが良くなく貴方のためにも面目潰れです。正頼が大勢の息子、達を我が供人のようにして連れ歩くが、貴方はたった一人でも大勢の息子達を圧倒するほどにお振る舞いになるから、世間の人も却って貴方を厳しい方だと思っているのに、中途半端な小君が来るのは宜しくない」
と、兼雅が言うのに、仲忠、内侍督が、
「何でも狭くお考えになるからです。例え異腹の弟がよくなかったとしても、そのために仲忠の人望が落ちるわけではありません。
その弟が思うような人物でなくとも、そのために却って仲忠の勝れた様子が一層評判になるでしょう。その仰有り方は気持ちの良いことではありません。早くお迎えなさいませ」
と、言うと兼雅は
「こうなったからには二人の言うとおりにしよう」
仲忠
「今朝、宰相の君を送るために供の者を添えましたら、お住まいが大層荒れて心細そうでした、と報告がありました。先ず文を差し上げるのが宜しいでしょう」
兼雅は機嫌が宜しい。
「宰相の君の父親が言っていたことを思い出した。
『将来、立派な北方がお出来になろうとも、この娘はやはりお嫌でもお世話下さるでしょう。
娘が頼るところもなく心細く淋しく零落するのは、真に悲しい堪えられないことです。
美しい人は多いでしょうが、気だての良い娘をお憎みにはなられませんでしょう』
と、父源宰相があんなに言っていたのにな。宰相の君に何を贈ろうか」
「そういうようにご親切だった父君を、宰相はどんなに頼りにしたことでしょう」
と、仲忠は尾張から贈ってきた唐櫃が有れば、そのまま物を入れて贈られたらと、その唐櫃を取り寄せた。
唐櫃の中の片方に絹二十疋、綾十疋、を入れて空いている片方には北方の内侍督が、此所に入れましょうと、掻練の綾の絹一襲、薄色の織物の細長袴一具、山吹の綾の三重襲に裳を作られるだろうと、まだら絹などを入れる。兼雅の文は、
「とうとうこのように久しくなってしまいました。思いも掛けずご無沙汰いたしました。
お移りになったところをお知らせがないもので、それも尤もなことですが、色々なことに付けて心配を致しておりました。
仲忠が小君のことを教えてくれました。
小君のことを貴女はお知らせもなく会わせてもくれないので、気にしておりました。
今まで色々と有りましたがお迎えに上がりましょう。小君の顔も見たいし、
すみなれし垣ほはなれて年ふれど
わが常夏はいつか忘れん
(お互いに住み慣れた垣を離れて久しい間別れているが、その垣に咲いた常夏(小君)は決して忘れてはいない)
そうは言っても信じられないと仰るだろうが。
さてこれは、仲忠や北方が貴女にと言って渡されたものです。何が入っているのか私は知りません」
と、書いて、昔から宰相の君に心を寄せていた今は大和の介に任官している者を呼びよせて使者にして届けさせた。
兼雅は。後撰和歌集第十四巻(1069)
源正明朝臣、十月ばかりに、常夏を折りて贈りてはべりければ
よみ人しらず
冬なれど君が垣ほに咲きければ
むべ常夏に恋しかりけり
の歌を頭に置いて詠った。
宰相の君の返事。
「小君とは久しくお会いになっていらっしゃいませんから本当に気懸かりでいらっしゃることと存じます。
もろともになれにしなかのとこ夏を
露とおきふし我ぞわすれぬ
(御一緒に使っていた床を、今では涙の露と起き臥しする私が、どうして忘れることが出来ましょう)
気にかけてくださる小君には、孰れにしても目を掛けておやりになってください。
また私を遠ざけようと成されても、今更どうにもなりません」
兼雅は宰相の君の文を北方に見せる。
「この文をご覧なさい。この筆跡は、三宮や他の女達よりも立派に書いてあるでしょう。見どころ有る上手な手である」
内侍督
「本当に仰る通り綺麗な書体です。私には睦まじい姉妹が居ませんので心細く思っておりましたので、気だても優しい方のように思われます。
そう思って私が特別親しくすると仲忠とも姉弟のように思いますでしょう。
仲忠は不思議と大人になりましたが、詰まらないことまで私に相談をしてきます。私が死んだら淋しがって悲しみ惑うだろうと、可哀相になるのです」
と、兼雅に訴える。
「何と、縁起の悪いことなんか言うのはお控え下さい。仲忠が安心して信頼できるのは宰相の君だけでしょう。
三宮はご身分と共に気だても気高いと思いましてお側にお出で願いましたが、思い勝手、何とも申し上げようがない」
と、兼雅は言う。
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 上 作家名:陽高慈雨