私の読む「宇津保物語」 國 譲 中ー3-
こうしていると、十九日の月が山の端に僅かに見えてきた。内侍督は扇に書いて一宮に
渡す。
木綿かけて禊ぎをしつゝもろともに
有明の月を幾夜待たまし
(木綿をかけて祓をしながら、皆揃って有明の月を何度も待つのは楽しい事ではありませんか)
一宮は読んで
ながき夜の有明の月もまつべきを
禊ぎの神やいかゞとぞ思ふ
(長い夜有明の月を待つ間遊びするのを、禊ぎの神は嘉みし給うことでしょう)
二宮
かくしつゝ月をし待たば浅き瀬の
禊の神も何か知るべき
(こうして遊をしながら月を待ったら、浅い瀬の禊ぎの神も御存じないでしょう)
姫君
月待つと桂わたりに小夜更けて
弾く琴の音は神も聞くらん
(月を待って合奏すると、桂川のあたりの夜も更けて冴え渡る琴の音を神も喜んでお聴きになるでしょう)
と、詠ったのを内侍督は仲忠に渡すと、とり上げて、
神も聞け面がはりせず八百萬
世にみそぎつゝ思ふどち経ん
(神もお聴き下さい。何時までも変わらず、永遠に禊ぎをしながら、相思う同士で世を経たいものです)
と、人に見せずに御簾の中に入れた。
こうして夜一夜遊ばれる。夜が明けると。御簾の内に入る。仲忠は銀製の鮎篝四つを脚をつけさして。鋳物師を召して造らせて、飛び跳ねる鮎などを獲らへさせる。
鮎一籠、鮠(はえ)一籠、石伏(いしぶし)、小鮒(ふな)を入れて、荒巻を添えて、藤壺の若宮へ仲忠自身で手本のようにして文を書いて、文に軸を付けて痛まないようにして、名前を書いて、その横に、
君がため静けき空にすむ魚を
今日より見せむ千代の日ごとに
(今日から毎日あなたのために静かな処に棲む魚を差し上げましょう)
と詠って、軸を蘇芳の木で造った赤い色紙に書いて、瞿麦(なでしこ)の花を付けた。お気に入りの物を召して使者にして、
「これを三条院の南の宮に参って、若宮の許に持って行きなさい」
と、言って渡した。
使者が言われたとおりに若宮の許に持参すると。、若宮は見て
「母の藤壺宛である」
と言って、藤壺の局に行くと、正頼がまだその場にいる。藤壺が若宮を見つけて、
「此方に持ってきなさい」
と、言われたので若宮は持っていく。若宮に、
「お返事はこう書きなさい」
と、返事を書かせて、その文の端に、
君がかく取り初めければ山川の
あさぢぞおきの上に見えける
(貴方がそうして魚取りを始めたので、山川の浅瀬が遠くの方に見えてきました)
と、教えながら若宮に書かせられたので、仲忠は感慨深く若宮の書体を見ていた。
使者は禄を戴いた。
正頼は送られた魚を人を呼んで調理させて楽しんで食べる。藤壺には鮎でない魚を差し上げる。
このようにして仲忠の使者が戻ってきた。青い色紙に桔梗を付けた返事を仲忠に渡す。仲忠は文を見て、
「大変お見事に書いておられる。つい先だって手本と仰ったので差し上げたばかりだが、若宮の手に渡ったのかな、よく似た書き方だ」
と言うのを右大臣兼雅が取って見て、
「やはり賢いお方だ」
一宮
「先頃お会いしたが、若宮は手習いをしておられました」
仲忠
「容貌も結構立派に成られました。春宮には、うちの宮よりも、梨壺の若宮よりも、この藤壺の第一皇子が相応しく御成長なさってお出でです」
こうして、その日一日涼み、網を打たせ。日が暮れると篝火を焚いて鵜飼いなどさせて楽しんでいるところに、蔵人少将近純から二宮の乳母宛に、女の衣類一具、。白張りの狩衣が包まれて送ってこられて、文が添えられてある。
「昨日の早朝に仲忠殿から連絡があり桂へ行かれたとのこと、急な出で立ちでありましたので、あのお話をしたこと、宮の内では大変に難しいことなので、桂殿では宮達は音楽をなさるでしょう。
また、川辺で涼まれる宵のうちに、そっと案内してください。昨日の早朝に後を追ってこの近くにいます。いつでも宜しいです。
この品は暑いときです、お着替用にして下さい」
と、書いてある。乳母は見て、
「なんと恐ろしいことを、誰が見ているかも分からないのに」
と、つぶやいて、贈られた品は里から洗い物が届けられたようにしてうまく隠された。
「お文畏まって読ませていただきました。昨日は左大臣様がお出でに成られて二宮の御出立をお急ぎに成られたので、大変に早くお出ましになられました。
お申し出のことはとても恐ろしいことです。宮中においでの時よりも弾正の宮を始め兄宮が垣のようにお揃いで夜は周りを囲んでおいでなので、如何にしてもお近くには寄れません。
大変喜んで旅を楽しんでおられますから、そこにおられても無駄ですから、早くお帰りなさいませ。人に気取られないようになさいませ。
戴きました物は大変に有り難う御座います。このように着る物まで御櫛匣(みくしげ)殿の様に衣装をお考えになって、恐縮に存じます。
『どうにかしてこの御衣はお見せしたいと密かに考えています』
実は、二宮に貴方が此方にお出でのことをお話し致しましょう」
と、乳母は礼状を書いた。
日が暮れたので全員が家の中に入った。弾正の宮達は二宮の処に入って宿直の準備をする。
仲忠は一宮に
「今日は例の風の・・・・・・」
お前の人達、
「どうして、今日は何も召し上がりませんでしたね」
と言うと仲忠は、
「それは大変だ」
水飯を作らして宮に差し上げるが、目を塞いで一宮は見ようともしない。仲忠は犬宮を膝に載せて、、その水飯を口の中まで入れて食べさせて、
「貴女の母親としての徳が分かりましたよ」
と、言うと宮は、
「暑いから簀の子に出ましょう」
「昨夜だって心配したのだ。今夜は座ったまま寝るのは御免だよ」
と言って仲忠は横になる。
「二宮に早く人を付けなさい、それとなく聞える気配があります」
と、言うと傍にいた乳母は胸が潰れるほど驚き、
「なんとお聴きになりましたか」
と、聞くが、蔵人少将近純も簀の子近くにいて、仲忠はその姿をちらりと見て、遠くから近純に寄っていって、
「これは有り難いことだ、二宮が居るからといって、大層恐ろしい少将の軍人が歩いている。他なら知らないがここに私大将が居ますよ」
と、仲忠が言ったので、二宮達女が一斉に目を覚まして起きあがる。
乳母は、何もかも知られてしまったと思って氷を浴びたように自分が分からないほど慌ててしまった。
こうして暁になるが、暑いから格子も降ろさず上げたままで、二宮の所と一宮と仲忠夫婦が居るところとの境に高い屏風を立てた。隣り合わせで更に近いから几帳も立てた。
仲忠はこういう良い機会に二宮達をしかりと見ておかないと今後こういう機会はあるまいと、一宮は幸いよく眠っておられるので、脇息を踏み台にして屏風の上から隣を覗くと男の宮達は夜が明けた、と宿直の任務が終えたから安心して全員お休みになった。
作品名:私の読む「宇津保物語」 國 譲 中ー3- 作家名:陽高慈雨