私の読む「宇津保物語」 國 譲 中
これからは父親も居ないことであるし、兄弟が大勢というわけでもないから、これからは小野に住まないでくれ。小野は旅に出たようで不自由でしょう。
今は小野は不便なところになってきました。昔のようにはしないで、子供達の居るところに入って、お暮らしなさい。何も小野へ帰る必要はありませんよ」
実忠
「喪服を着ているせいでしょう。気分が悪いから、湯でも沸かして身体をさっぱりしてみようと思うのです。今までのように小野に居続けることなく京へも再々降りてきましょう」
と、実忠が応えると、実正は、
今はかくのへにし人もなきものを
君さへ外へ行かずもあらなん
(今はもう父君もいらっしゃらないのですから、あなたまで外に行っておしまいにならないで欲しい)
と、詠うと、実忠は
我が故となげきし道に渡れかし
君が導にならむとぞおもふ
(私のために嘆いて冥土に旅たたれたその道に私も行きたいものだ。父君のご案内役になろうと思うから)
と、返歌をすると、実頼宰相は、
なき人の道の導に君なくは
遅れて我も何かまどはん
(父君の道しるべに貴方が成るならば私は安心します。遅れて旅立つ私も惑うことはないでしょうから)
と、詠うのを昭陽殿が聞いて、
有りし世もかゝらばとのみなげかれて
君にもつひに遅れぬるかな
(父君在世中にこんなに兄弟仲が良かったらどんなにお嬉しかったでしょう、と悲しくて成りません。父君のお供をしたいと思いながらおめおめと生きながらえてしまいました)
と、、詠う。
実忠は先駆けを伴って小野へ帰っていった。実正実頼二人は昭陽殿に
「どんなに心細く思いでしょう。これからは私達が代わる代わる交代で度々参りましょう。宿直もさせてください」
と、書いてあるのを読んで藤壺は、
「まあ、変なことを言われる。何にも無しに里にいるのではない。それなのに、いつものように憎いことを仰る」
使者の蔵人に
「最近は誰がお側に上がっておられるか。どちらへ使いを出されたか。宮中では何か事が起こっていないか」
と、問われると、使者は、
「この頃は気分が悪い、といつもの文を書くことはされないで、五宮だけ参上されます。
左衛門がこっそりと言いますのは、五月頃から五宮はご懐妊で悩んでおられるそうです。梨壺へ先日使いをしましたが、こう申しては何ですけれど、宮中では梨壺のお方の御子出産を、后始め高官の方々が喜んでおいでになります。ある処では
『物事の筋は途絶えてしまったと思っていたが、やがては正しい物が現れるものだ。このような立太子という時期に梨壺の子がお生まれになるとは』
と、いつも春宮と文通されている、と聞いております。梨壺のお方にも早く参内するようにと勧めておいでです」
と、使者は藤壺に話す。春宮への返事、
「読ませていただきました。悩ましく仰せになるのはどういう訳で御座いましょう。何のことか私には分かりません。私はまだ産後の疲れが残っていますので、まだ参内は無理で御座います。私を待つとの仰せで御座いますが。
下葉よりしたより色はかはりつゝ
まつとは更にいはずもあらなむ
(下葉が紅葉する木を松とは言えないように、。密かに心変わりをしながら待つなどと仰って頂きたくは御座いません)」
と、送った。
使者の言う「一日参り侍りし」と言うことを正頼は、
「使者の言うことは嘘ではあるまい。后の宮は勝ち気な方で、押しが強く、頭の鋭い女である。
高貴な方に御子がお生まれになれば、必ず立太子のことはお考えの筈である。
后、。忠雅、兼雅、公卿達の意見を一つにして、先例を引いてこの梨壺の子を、と申し上げたら 疑いもなく皇太子になさるでしょう。
私は馬に混じった牛のようなもので、誰一人味方がありませんので、何をしようとも絶望的です。実正だけが頼りです。
兄の亡き太政大臣が生存していればなあ。
運が悪いのだろう、折も折このような大事なときに、この場に居られない。子供は皆下級官吏で立太子の話し合いには同席することができない。それでも、我が家の筋を通したい。
娘を持って苦労するよりも、孫が出世をしなくても、自分は一人で名もなく果てよう。面目なんかはどうでもいい。これは私の女の子供みんなが考えているだろう。この歳になって大きな恥を受けるものだな。
太政大臣忠雅の考えは知りたいと思うが、みっともないことは今になっても出来ないからな」
藤壺
「どうしてそんなに難しくお考えになるのでしょう。まだ確定したことでもないのに。本当に確定したと聞かれても、決して決して物々しい様子はなさいますな。
こういうときに人々の真の姿をご覧なさいませ。人の考え方こそ哀れにも辛い物はありません。この歳になってこのようなことに合うのは、そんなことはまさかと思う時にこういう事が起こるのは避けがたい巡り合わせなのでしょう、
私の子供も、梨壺の子供もまだ生まれたばかりですから、父君よ「鶴の子」と言う諺も有ることですから、お諦めに成らずにお待ち下さい。私の子供が梨壺の子供より先に産まれていますから、皇太子という話があるかも分かりません。
梨壺の子の立太子を聞いたなどという素振りは決して人には見せないでください」
正頼
「なんと、悲しいことよ。孫をどうして皇太子でなく、ただの、皇子でお仕えすることは出来ない。これは大きな事ですよ、思いも掛けない藤壺のお気持ちですよ」
と、泣き崩れる。忠純左衛門督、
「何をお考えです。世の中には他人は知りませんが、太政大臣忠雅の北方は藤壺と同腹ではありませんか、まさか忠雅が此方を見捨てるようなことはなさらないでしょう。どちらを向いても親しい間柄ですから、疎遠な仲とは言えないでしょう。正頼一家のために心配になるようなことは誰も考えますまい」
大宮
「それはそれとして、五宮が御子をお産みになるまで、立太子のことが決まらなければ面倒なことになります。嵯峨院が切に申し上げていることは何であろう」
正頼
「天下に眼が七つも八つも付いた男が一度に三人も四人も生まれたとしても、そんな怪物に自分は対抗してやり合って主張を通そうと思う。
例え長いご在位の帝でも、下々の者達、臣下が言うことは拒否なさらない。その時は婿も舅も心を合わせて奏上をしよう。
現実は困難な事態である。よく考えてみると、帝の娘一宮も仲忠の北方であるし、そういっても出し抜いて言うのもなあ」
このようなときに春宮から文がある。
春宮の文、
「満足なさらないようだから、不審に思いながら折り返し認め致します。何かお聞きになったことがあるのでしょうか。
私には一向に思い当たることがありません。時々妃達に消息は致しましたが、それも最近は身体の調子が悪くて消息は致しておりません。「比翼の鳥」「連理の松」いつまでも待たせないで、早く参内をなさい。会いたい、
うちはへて松のみ茂る住吉は
下葉も枝も何かかはらむ
作品名:私の読む「宇津保物語」 國 譲 中 作家名:陽高慈雨