私の読む「宇津保物語」 國 譲 中
正頼様は、お七日夜は舞をなさって、他の上達部皆舞をしなければならないように仕向けられて、琴などを弾かれました。
こんな面白い希有な見物は何処にありましょうか。こういうように祝福された甲斐があって、犬宮はすくすく成長されて、這い這いがもうお出来になります。人々は御覧になってその可愛さに大笑いなさってます。
仲忠様は急な用事がありましても犬宮を遊ばせておいでになって、立ち上がろうとはなさいません。夜となく昼となく膝に抱いておられます。本当に美しい眺めです」
藤壺
「一宮との仲は如何ですか」
「なんとまあ、お睦まじいことでしょう。その証拠には、先日此方に一宮がお出でになりましたとき、仲忠様がお出でになりましたでしょう、宮と一言も口をお聞きになりませんでした。そのため、仲忠様は五日六日、一宮の傍に伏せられて、怨み言を仰ったほどです。
貴女と一宮が合奏しておられたときに仲忠様が来られて立聴きされたが、貴女が仲忠様の琴の手法で演奏されるのを不思議そうにお聴きになっておられました。仲忠様御一族の琴の手法を自分の目の前で演奏する、と不思議に思っていらっしゃいました」
「一宮はどう言っていますか」
「どうでしょう、宮はそこまではようお聞きには成らないのでは」
「よく言われたものよ」
こうして大宮は孫王女房に昨夜受け取った州浜に鶴が立つ州浜台を藤壺の許に持って行かせた。藤壺は黒方などの香料で作った蓬莱山を見て、
「これは手の込んだものでありますね。どなたから戴いたものですか」
この州浜台は仲忠が孫王女房に頼んで藤壺に贈ったもので、そのことを隠して・・・・、波の上の鶴と空飛ぶ鶴を手に取ってみると、沈の鶴は大変に重く、取り上げた手が濡れる。
「なんと、珍しいい物を」
と、驚いた声で言う。空飛ぶ白い鶴は、銀製であるが特別重くは感じない。鶴の腹に麝香と薬が詰めてある。書かれた歌は、金泥で葦手で書かれてあった。
「この書体は誰であろう」
と、女房達が集まって見るが、誰の手か分からない。藤壺は見て、
「仲忠大将の筆跡ですね。若君達の手本を書いていただいたが、同じ手法ですね」
と、女房達に言うと、正頼が、
「真にそうであるな。他人ではこうは書けまい。これが分からないようであれば、書に興味を持つものとは言えないな。これをどうなさる」
と、言って火鉢を寄せて香料の山の土をあちこち抓んで火にくべると、たぐいない香気が室内に漂う。銀の白い鶴の腹に麝香と薬が詰められているのを抓んで火にくべると、これも他の香料とは違った香りを放つ。
白色の香であるのをよく見ると、麝香鹿の臍(へそ)のあたりからとるので麝香の臍(じゃこうのほぞ)と言われている物である。
取り出して香りを試してみると、懐かしい香りがして、他の香料とは比べようがないほどの良い香りである。正頼は、
「なんと、香料という物は多数あるが、この贈られてきた香は、他とは比べようがない」
宰相中将祐純、
「ある者がそっと申しますには、
『大変に有り難い方から、亡き俊蔭が唐から得た香』
だと申しておりました」
正頼
「本当にそうだろうよ。去年の冬に仲忠が蔵を開いた際に人には内緒にして帝の御前で文書を朗読された。仲忠の処にはそういう世に珍しい物がある」
などと話していると、新中納言実忠より兵衛女房に文があり、藤壺が御覧になると、
「藤壺との対面は本当に嬉しいことです。すぐに消息をと思いながら、世の多くの懸想人の心魂を疲れさせたお方故に、
『彼らが気の毒である』
と、思い遠慮を致しておりました間に、私の思いが通じたのでしょうか無事安産でご出産されたと聞きました。どれだけお喜び申して良いやら。色々と有りまして御文が遅くなりました。
私は昔のことばかり思い出されて、今のことが頭に浮かびませんので、何をお伝えして良いやら、それで、
こゝにても聞きける声を時鳥
惑はれしかなしでの山路に
(昔は恋い悲しみ思い惑って死のうとまで致しましたが、此処でもお声を聞くことが出来ましたのに)
と、言うことです。一人の兄を女が頼りにしていますことをご存じだと思っています。
正頼大臣も仰いましたとおり、昔亡くなられた侍従(仲純)君の代わりであるとお思いになるならば、藤壺の言われる小野の里へは戻りません。
今日か明日、小野を去って京へ向かいます。
そうすればまた時々はお近くにお呼び下さい」
という、文面であった。藤壺は御覧になって兵衛女房に、
「このように返事を書きなさい」
と、文面を伝えて兵衛に書かせた。
「かようにお文を頂きましたので、自分で返事を書こうと思いましたが、産後ですので身体の具合がもう一つです。
先夜は御心に逆らって言い分を通そうと致しました。あんなに申し上げましたのにどうして私の言葉に逆らって小野へ上られようとなさるのですか。常識ある人がするようにお近くにお住まいなさいませ。
そうなされば、貴方を思いもし、直接お話しいたしましょう」
と、書くようにして、奥書に、
「惑われし」お惑いにならなければ、
山辺にし住むと聞かずは時鳥
なべて知らせぬ声はせましや
(時鳥はあなたが小野になど住まいならば、普通には聴かせない声で啼きますよ)
貴方の歌が哀れだと思いましたから」
と、言われたとおりに兵衛は書く。別に自分だけのも書いて、実忠に送った。
西の対の産養の贈り物を分けようと取り出すと、女房達が争って取り合う。
実忠は送られてきた藤壺の文を読んで、
「本当に自分の心を分かった上で、このように仰る」
実正の弟の実頼宰相(実忠と昭陽殿の兄)が訪ねてきて、
「春宮殿、内裏と昨日登殿致しましたが、
春宮からの御伝言があります、
『父君が亡くなられてから日が経つに連れてどんなにか心細いことだろう。今となってはどうするわけにもいかない。世の人は皆経験することです。いつものように人のするようにしておいでなさい。今はどうしているか聞かせてください』
と、仰られました」
昭陽殿
「私は藤壺のように密夫を持ったり恋文を送ったりは致しませんよ。そうする人を春宮は大事になさるらしい」
実正宰相
「どうしてそういうことを仰るのです。誰が密通などするものですか。藤壺とは従姉妹で親しい間柄ではありませんか。そういうことは言わないように」
こうして実忠の北方を迎えに行く約束の六日が来た。正頼は袖君を迎えに行こうと、二人を迎える三条殿に行って、破損箇所の修理を命じ、池を浚渫して、調度などを調べて置くべき処に置いて、御簾を掛け巡らす。
屏風や几帳は新しくしたので清らかである。
この三条殿は、一町は檜皮葺殿、板葺きの廊下、渡殿、板葺きの小屋などが多くある。池が建物近くにあって趣がある。蔵もある。
引っ越してきてから三日間の食事のことを決めておいて、車三台、先駆け、供の数を多くして、志賀の山本に向かう。
作品名:私の読む「宇津保物語」 國 譲 中 作家名:陽高慈雨