私の読む「宇津保物語」 國 譲 上 ー2-
お言葉の露(春宮の歌の)は私にはそれだけです、明け暮れずっと、
呉竹のふしにはあらでかゝる身の
露のよのまもなげかるゝかな
(きぬぎぬの別れの露が呉竹の節に置くぐらいではなくて身にまで降りかかるあいだも悲しゅう御座います)
と、書いて、使者の蔵人に、
「この前は、渡さなかったから、今回はね」
と、言って単衣の衣に小袿を重ねてお与えになった。
その後、正頼の大殿では変わって取り立てて言うこともなく。藤壺は厳重に守られていた。
正頼の君達とその子供は、
東の一の対に十四君のけす宮、右大辨季英の北方。
二の対に二人、十一郎近純蔵人少将、家あこ、と十二郎行純大夫、あこ宮、が住んでいる。
そうして他人の曺司(殿に働く人の住まい)。
正頼の子息または娘の婿達が正頼の殿に住んでいた頃はそうでもなかったが、それぞれが引っ越されてからは里邸では正頼の殿に集まる、みんなが揃うと大変に騒がしいので、藤壺は、
「私は自分の処に戻ります」
と、元々は涼達の住まいであった大殿に戻ろうとすると、母の大宮が、
「あんな広いのに独りで居ては、懸想をして思いを達せなかった男達が、こんな良い機会はまたとないとばかり走り込んできたら、どうしますか。
そうでなくても、人に怨まれておいでだから、悪評を立ててやろうと悪い考えを興す者もあろう。大変心配なことです
狭いけれども此処にいなさい」
と言われると、藤壺は、
「誰が私のような者に、気を引くものですか。ご心配には及びません。昔父君の子女として深窓に籠もっていました時こそ、もしかして人並みの娘かと気になされたことでしょう。
このように、身分は高くなりましたが、実際は軽く見られて、口うるさくやたらに言いふらされますので、世の人々が私を軽蔑して嫌うのでしょう」
正頼三男祐純宰相中将は、
「懸想人が来ますが、特別に異常なという人はいません」
藤壺
「どうでしょうか、少し変わった方も居られるようです」
正頼
「そんなことはないでしょう。私も懸想人も、貴女のことで御勘気を被ったのですから、私としては面目を施しました。色々と口々に言って、皆さんが騒がれたがそのときを思って光栄だった。
やはり人にとやかく言われそうなことは慎みましょう」
藤壺
「それでも、その様なことを言うのは誰でしょう。この人なら言うであろうと思われる人は、出歩いたりはしませんもの。
実忠は、本当にお気の毒だと聞いております。せんだって、使者に文を持たせましたが、大変に喜ばれて、
『今は思うままに野山に入り、法師になりました』
と、言っておられました。そういう忠実な心がけを知りましたなら、人間だけでなく虫けらまでも、ものの哀れを知るでしょう」
と、言うので誰もが藤壺の実忠に対する心を、おかしいと思う。
忠純(正頼長男)左衛門督、
「私たち一族以外は誰も皆実忠と同じです。実忠だけがそんなに藤壺から思われるのは結構なことです」
藤壺
「思いも掛けないことですよ。久しい前に私に言いよって、今もまだ私を忘れない人は、誰でもないあの実忠だけなのです。ちょっとした返事は、あこぎ達が度々書いたようです」
大宮
「実忠のような、気持ちを曲げない人は大勢いますか」
藤壺
「今では実忠のような人はいません。私には誠実に見える方は他にいません。当てもなく頼りない入内をしたため、失恋して、おちぶれた人になったり、出家したりした人たちの事を聞くと、面白くありません。
私に志が深かった人と結婚すればよかったのに。そうはいっても、こういう事は言ってはならないと思うことが沢山御座います。
これからまた、つらいこと、情けないことに出会うのでしょうか」
と、藤壺は泣き出した。
大宮に宰相中将正頼三男祐純は、藤壺の気持ちを理解しているので、可哀想に思う。
殆どの者は藤壺の気持ちを知らないので、
「世間を知らない娘の時は何事にも無関心でした。今思えばこそ哀れに悲しいことです」
と、言うので、祐純は、
「ほんとうに、このような大ざっぱなところには藤壺は居られないでしょう。最初は私共二人宛、。宿直を致しましょう。
将来は私を始め男も女も子供まで、藤壺を、帝のお后となられるのですから、主と頼み奉ることになるのです」
藤壺
「ご冗談を、どうして后になれましょうか。梨壺が居られるのだから。男の子は親王になり春宮もあるでしょう。
五宮の許へ参られて、通われることになれば、ご懐妊でもあるでしょう。
世論は決まっていませんから、必ず一の皇子が春宮になられるとは限りません」
正頼
「梨壺のことがどうなるかは分からない。今のところ、世の中は、右大将仲忠と父親の兼雅の政権となっていっているようだ。
左大臣は仲忠の伯父忠雅で、私を始め誰もが右大将仲忠にすっかり心を寄せてしまっている。それは仲忠が強引で無遠慮で悪いというのではない。
仲忠の人柄は、相手の者が恥ずかしくなって自然にその言うところを聞いてしまうところにあるのだ。
春宮は帝には従順である。帝は仲忠の言葉を大事になさる。そこで、兼雅親子は上手く帝に取り入って、兼雅の娘である梨壺の子供を春宮にと話されれば、疑いもなく帝は承知なさるであろう。
私もそれに反対するわけにはいかない。春宮の母の中宮は、忠雅、兼雅の妹である」
祐純宰相中将
「困ったことで御座いますね。評判と言うことが御座います。春宮に立つべき皇子がお生まれになったとしても、右大将仲忠はそうゆう野心を持っている人ではありません。だから。藤壺の産んだ皇子を非常に大事にしてお仕えなさっておられます。
この前の子の日に皇子達のために、お遊びの道具の玩具を、贅を尽くして造られて、仲忠は立派な装束を着て皇子達と遊び、料理も自分で差し上げておられました。だから、御信任の厚いという評判の宜しい方が無謀なことはされないでしょう」
正頼
「よく見ておきなさいよ。仲忠は此処まで我が子達を近づけたものだ」
忠純
「どうして藤壺殿の宿直に私を入れないのだ。
宮あこの侍従、蔵人(十一郎近純)は、入れないでおこう。宮仕えが忙しい。
藤壺の殿には宿直を一人置く。六日間毎日二人宛六番に組もう」
と、忠純は弟たちを次々と番に入れて、
「当番をしなかった者は罰として、一日の料理を全部整えること」
と、書いて署名を押して、宮あこに
「これを保管すること。藤壺の殿の柱に取り付けて、番に欠席した者は兄といえど徹底的に責めなさい」
と、言って宮あこに渡すと、よろこんで、引き受けた
宰相の祐純、
「では、私共がおりますときに彼方の御殿に移りませんか」
藤壺
「気分が優れないから、ゆっくり休みたいと思います。また此方へ伺います」
と自分の殿に移った。
移動の車には四位五位の者達が大勢お供をして案内をする。皇子達二人同乗して母の藤壺と共に殿に移る。君達が集まって送った。
正頼
「藤壺はどう思って彼方に移ったのだろう」
大宮
作品名:私の読む「宇津保物語」 國 譲 上 ー2- 作家名:陽高慈雨