私の読む「宇津保物語」 國 譲 上
外に三尺の沈の木の厨子、浅香の木の四尺の厨子二具、総ての男女が使う調度品を美しく充分な数が有り。六尺ばかりの金銅の蒔絵の厨子が四、それに、銀製の台盤、その他は総て銀製で据えてある。
もう一つには色々な物が詰めてある。
今まで涼と今宮夫婦が住んでいたこの大殿の西に七間の檜皮葺の西の屋がある。左右に渡殿があり、西の屋を御厨子所とした。
御厨子所には銀製の酒の器、小さい椀、合わせて廿ほど。同じように銀の食器、木製の蒸し器、置いてある。
北の外には蔵が並んでいて、色々なときに使用する道具類がぎっしりと詰まっている。蔵の前に十一間の檜皮葺の建物が有り、そこには、米を初めとして食料品が納められている。それを見て藤壺は、
「思いもかけずに貴重な財宝まで頂戴致しまして」
今宮
「この三条殿は涼がまだ京に上らないときに建造したと言うことです。ここにある道具類はそのときからの物です。ですから、その様にお礼を言わなくても宜しいです。差し上げるつもりで建造されたのでしょう」
「そうですか。ところで貴女の子供をどうして隠されてお見せにならないのでしょう」
「本当ですね、女の子を望んでおられたのに、男の子だからでしょうか、大事にされないので私は苦しゅう御座います。女の子であれば若宮に差し上げられるのにと涼は申します」
「つまらないことを仰る。これから産まれるかも分かりませんのにね」
日が暮れてきて、夜の呼称である宵・夜中に続く
あか月に、涼は藤壺に殿を渡して引っ越しをしようとする。車廿台がすぐに並んだ。そして、厳かな出で立ちで引っ越されていった。
藤壺が譲り受けた殿は、堀河の東、三条大路より北二丁、噴水のある壺前栽(せんざい)山のように調度を積んである、
このようにして大宮と仁寿殿女御は藤壺と共に三日を過ごされた。
お二人はそれぞれの住む屋敷に帰ろうとして、大宮は、
「これからはお一人で退屈でしょう。私の所にお出でなさいよ、お話ししたいことは沢山ありますし」
「近いうちにお伺いいたします」
大宮と仁寿殿は帰って行かれた。藤壺は実忠に文を送ろうと考えた。
こうして、故太政大臣の御殿では二月二十七日に葬儀を行われた。御殿に皆さんが集まられて、慣例により、子供達は床板をはずし、土間に慎んで座っている。土殿という。昭陽殿は女であるので土殿に侍らずに局に慎んで居ます。
藤壺は父親正頼の住まいする殿に行かれる。この殿の西の対には多くの人たちが侍している。
そうして藤壺は、喪中に相応しい鈍色の曲がっていない紙を取って、実忠に消息文を書く。
作品名:私の読む「宇津保物語」 國 譲 上 作家名:陽高慈雨