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私の読む「宇津保物語」 國 譲 上

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 春宮は少し情の薄い方だ。実正は心が大きくて頼りになる人だ。実正がなにかがあるときは口を出してそなたを庇ってくれることだろう。

 私の恩を忘れない人はこの屋を訪れて民部卿に仕えてくれるだろう」

 昭陽殿が、
「自然に御覧になっていらっしゃいますでしょう。春宮も以前はそんなに情が薄いというお方ではありませんでした。藤壺が入内してから、私でなく他の妃の方々更衣にもつれなくなさっておられます。入内してこれまで過ごしてきまして、世間の人がああだこうだと苦しいこと悩ましいことを言うのを聞く度に、私は父君が御在世で良かったと思うので御座います。

 藤壺入内からの宮の情が薄れたことは、胸が潰れるほど辛いことで御座いました。今までこうしておられますのは、父君がご健在でおられたからだこそで有ります、遺言など仰られては悲しくて悲しくて、私もご一緒にあの世に連れて行ってください。

 多くの宝物を戴きましても。女が財産を持ってもすぐに亡くなってしまうというのが世の決まりのようです」

 と、泣き喚いて言う。大臣季明は、

「何も心配することはない、お前は物事をよく処理するではないか。これからは、よほどのことがない限り参内はしなさるな。

 父の私が存命中でも、牛車、供人を揃えて参内の行列を組むのにも、充分なことが出来なくて気がかりであったのに、私が死んだ後はどんなであろうか、人に笑われる様なことで参内はしなさるな」

 こうして太政大臣季明は、家として成すべき萬のこと、死後のことを充分に書き遺し、太政大臣他の位を全部帝にお返しになって、髪を剃り、仏門に入られて薨去された。

 二月廿日、太政大臣殿のお弔いに左大将兼雅、右大将仲忠、季明と同腹の弟正頼右大臣の子息達日々交代で参りになった。

 
 右大臣正頼は亡くなられた太政大臣季明とは同腹の弟であるから、正頼の子息達、正頼ともに忌み日になられたので、藤壺も姪であるから当然忌み日にはいる。夜になって春宮に宮中から退出を願い出た。春宮もこの度は止めることは出来ないので、その夜は藤壺と伴寝をする。

 春宮
「このように私たちは睦まじくして暮らしていたのだから、藤壺が去った後は、私はここに一人で居ます。あいにく話し相手の梨壺も里に下がってしまったし」

 藤壺
「承香殿、麗景殿(忠雅の娘)がいらっしゃるじゃありませんか、式部卿の宮の娘登花殿も今日か明日参内されるのでしょう」

「藤壺が里に下がっている間は、妃達には物を言うまいと思っている。藤壺がそうさせているのだと言って、みんなが私を責めるだろう。承香殿は身分が貴く哀れに思うのだが、恐ろしいほど荒々しい心の持ち主であるので、憎くて近づけない。

 女は何事もなく変なことを考えないのが一番宜しい。性格が悪い上に藤壺を憎まれるのが、私の気に沿わないのです。

 昭陽殿が今となっては可愛いと思う、心は人にない物があり容姿も美しい。昭陽殿の同腹の宮達は今どうしているのであろう、兄弟が多くあっても昭陽殿によくすると言うことはあるまい。親の存命中こそ万事充分であったろうが、父君亡き後今はどんなに心細く淋しいであろう。

 安否を尋ねてやりましょう。亡き大臣が昭陽殿のことを特に心配していたと聞いている。せめて私だけでも労ってやらなくては」

 藤壺
「実忠朝臣に悪評が立って昭陽殿もその理由で実忠を以前ほどよく待遇なさらないようです。里に下がりましたら私は、人が何言おうと実忠朝臣に消息しようと考えています」

 春宮
「昭陽殿はまさかそんなことはしないだろう。兄弟でありながら実正達は妹に不親切である。それも同じ親であるというのに。

 右大将の仲忠とは同じ腹ではないから、仲も悪かろうがと思われる梨壺兄妹は、お互いに思い合っているので、誰の目にも美しく見えて望ましい間柄である」

 藤壺
「二人っきりの兄妹ですから、他にいません。どうして争いなんかするものですか。

 以前に里にいました頃、つまらないことを言ってくる懸想人が大勢いましたが、私が入内いたしますとみんなが私のことなど忘れてしまいましたのに、実忠朝臣だけは未だに私を忘れなくて、宮仕えも止めていますので、大勢の男達の中で実忠朝臣だけは久しく思い続けていただいた喜びをお伝えしようと思っています」

「誠実な事は良いことですね。私にとっても嬉しいことです。そなたは、実忠の誠実さを喜ぶに付けて退出する、それは私には苦しいことです」


 春宮は、前回の通り正頼の仕立てた迎えの列が宮中に到着しているのに藤壺の退出を許さない。

 春宮
「いつものように退出なさると、すぐには参内なさらないで、私を待たせなさる」

 藤壺
「どうしてその様なことを致しましょう、この度は身体の調子が妊娠のために狂っているので、里下がりを致しますのではありませんか」

 草の葉に露の我が身も消えざらば
まつにも何かかゝらざるべし
(草の葉に置く露が消えなかったら松にも掛かるように、露の命の私を待ち下さるならどうして帰らないことがございましょう) 

 春宮
「なんと縁起でもないことを」

 露のよもまつにかゝれば貫き止めて
       風にも消えぬ玉とこそなれ 
(はかない露の命も松にさえ掛かれば、葉が貫き止めてしまうから風が吹いても消えない玉となるであろう)

 と春宮は言われて、春宮の側を離されられないので、夜遅くまで藤壺は宮中を出ることが出来ない。

 正頼や藤壺の兄弟達は先に一回懲りているので、何も申し上げない。

 待ちくたびれて、何回も藤壺に消息を入れる。

 藤壺
「退出して里で気儘になりましては、 落ち着いても居られまいと存じます。かような仰せを承りましたからには、この度はすぐに戻って参りましょう」

 春宮

 散花も夢に見ゆなる春の夜を
君外にてはいかに寝よとぞ
(散る花も夢枕に立つほど艶である春の夜にそなたを差し措いてどんな夢を見よと仰るのか)

 無理な注文ですよ」

 藤壺

 花だにも同じ春にてはかなきを
別れて外に行くをこそ思へ
(花でさえ同じ春に散るというのに、お別れして他に行く私の切なさをお察し下さいませ)

 と、詠って、夜半過ぎて暁になっても藤壺が退出しないので、正頼は忍んで局に行ってみる。兄弟達は退屈して女房達の部屋に行って冗談話をしている。

 童や供の大人達は装束をきちんとして立って待っているのであるが、春宮が藤壺の許を離れられないので、藤壺は、

「それでは、退出させて頂きます。父正頼が迎えに参上いたしております。遅いので心配をしております。これから姪としての喪に服する期間だけ喪に服しまして、来月になりましたら、夜の間にそっと参りましょう」

「それは嬉しいことを言われる。女房が出入りするように官の貸し車で参内しなさい、毎夜毎夜かならずにね。お出でがなかったら私は思われていなかったのだとお恨みしますよ」

 そうして藤壺はかろうじて退出できた。