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私の読む「宇津保物語」 蔵開きー2-

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 仲忠の食事の世話は、かって兼雅が使っていた、当時は若く美しい女性であったが今ものその容姿は衰えていない右近という女房が担当をした。

 仲忠
「この人が父上が忘れられられない女のお一人ですね」

 宮

「さて、ここには良きも悪しきもと言われるような、その様に思い出される者はいませんでしょう」

 仲忠
「私も右近を忘れ申すまい」

 と、土器の杯を差し出す。宮は、

「本当に珍しくよくお出で下さいました」

 と、言いながら記帳の側近くまで膝行りよって、土器の杯を何回もすすめられる。

 仲忠
「宮のご返事の消息がない限りこの場を去ることが出来ません。ここに書いて置いてください」

 と、いうと、宮は、

「なんと煩わしいことを言われる」

 そうして、
「珍しいお文は本気ではあるまいと存じますが、不思議に真面目なお使いですので心を引かれてしまいました、さて、

 恨けんほどは知られで唐衣
      袖濡れわたる年そ経にける
(どれほどの年月をお恨みしていたか存じませんが、その間中泣き暮らしていました)

 と、宮は文を書かれて、醜くしおれた紅葉が枯れた枝にしがみついているのに文を付けて、仲忠に渡された。

 仲忠
「見る人もなくて散りぬる故郷の
     紅葉はよるの錦なりけり」
 
 貫之の歌の「奥山」と言うところを「故郷」に変えて、女三宮に対する同情を込めて歌いながら立ち上がる、と南の御殿より柑子(こうじ)一個投げて仲忠に当てようとした人があり、仲忠は、

「待っていました」

 といって受け取る。
    (仲忠の詠った歌は、古今和歌集297)


 仲忠が三宮の許から去って出てみると、東の対の一、二から橘と大きな栗が投げつけられた。.仲忠が手にとると、一の対屋から年が三十ぐらいの人がきれいな愛嬌のある声で、

「誰に投げたのでしょう」

 と、言う。仲忠は、

「浮かれ人の私が目当てでしょう」

 と、答えて外に出た。

 仲忠は、女から果物を投げつけられたという、才智ある美しい晋の人潘岳を気取ったのである。女達はその故事を知っていて投げつけ、且つ兼雅への鬱憤を洩らしたものとみえる。

潘岳(はんがく) 247‐300

 中国,晋の詩人。字は安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。(ネット コトバンク)



絵解
 この画は、一条殿、棄てられた女三宮と多くの夫人達と訪問者の仲忠。


 仲忠は三条殿に帰り女三宮の文を父兼雅に渡した。
あそこでの色々のことを父に語る。

 兼雅
「お気の毒なことを仰るものだなあ。時めいていた昔の時も宮としては栄えないお方であった。ましていまは生きていても甲斐がないお立場であるのに。一条殿は荒れてはいなかったか、どういう風にして住んでおられる」

「奥の方は見ませんでした。見えるところは違った様子でもありませんでした。政所の家司の男達も大勢いました。下仕えの者達も大勢いまして倉を開いて、物の出し入れをしておりました。

 宮の御座所も目障りになるようなところが無く装飾もきれいで、童や女房が多く侍していました」

 兼雅
「宮は立派な宝物を沢山お持ちだ。嵯峨院にとっては三女であるが母親の一人っ子で、母の財産をすべてを引き継がれた。いい荘園を多くお持ちである。いい調度品に細かな宝物はすべて宮がお持ちであろう」

 仲忠
「お気の毒なところへ伺ってえらい衝撃を受けました。このような物を夫人方から彼方此方から投げつけられまして、困ってしまいました」

 と、投げられた柑子・栗などを兼雅に見せる。

 兼雅は
「変なことをするものだな」

 と、言いながら栗を手にして見ると、栗は二つに割られて渋皮がむかれて、その渋皮に歌が書かれていた。

 行くとても跡を留めし道なれど
ふみすぐる世を見るが悲しさ
(去ってしまおうとしても、来ればお立ち寄りになった道ですのに、今ではお通りになっても過ぎてしまう兼雅様の無情な仕打ちを見るのは悲しい)

 と、あり。兼雅は無言で橘を見ている。その橘を皮をむいて実を取り出して、黄色の色紙に書いてある、

 いにしへの忘れがたさに住みなれし
宿をばえこそ離れざりけれ
(昔のことを忘れかねて、住み慣れた宿を離れることが出来ないでいます)

 柑子を見ると。、赤じみた色紙に、

 結び屋きて我たらちねは別れにき
いかにせよとて忘れ果てしぞ
(私の親は私共二人を結んで安心してこの世を去りました。それなのにどういうおつもりで私をすっかり忘れてしまわれたのでしょう)

 兼雅はこの三首の和歌を詠んで、涙を雨のように降らして泣く。見ていた北方の内侍督は。、

「おかわいそうに、このように愛される方々を見捨てて、このように私とだけでお暮らしになっておられる」

 見ていて自分も悲しくなって泣いてしまう。

 二人の姿を見ていた仲忠は

「不用意に柑子や橘・栗をお見せした事だ。はしたないことをした」

 しばらくして兼雅は、

「この柑子を投げたのは、亡くなられた式部卿の中の君である。父宮がお召しになって私に言われた。

『私は長く生きることは出来ない。ここに可愛いと思う娘がいる。あの男は浮気者という評判であるが、私の娘は大事にしてくれるだろう』

 と、仰ってくださった方である。中君が十三のときに父宮は亡くなられた。それから程なく此方に来られた、どのようなお気持ちであられたであろう。

 栗を投げたお方は、仲頼少将の妹である。立派な人の妻になる素質を持った人である。遊芸は兄の少将よりも優れている。何事もお出来になる素敵なお方で、姿は親しみ深くて愛嬌のある方である。

 橘を投げた方は、千蔭大臣の妹で、腹違いの皇女が母君である。嵯峨院の梅壺の御息所と言われて、大変な色好みの方であった。年は自分よりも年上でその差は親ほどあった。

 西の対には元更衣だった人もいる。その更衣は宰相中将の娘であったが琵琶が上手で名人と言われた。その更衣は女の子を生んだが、どうなったのだろう。

 他にも数え切れないほどおられる。

 兼雅は
「仲君に返事を差しあげよう」

 と、言うので仲忠は、
「消息文をくれた方全員にお出しなさい。私がお受け取りして、父上にお見せしなかったと思われます」

 兼雅
「蔵の中にある大きな柑子の傷のない物三つを持ってくるように」

 と、言って持ってこさせて。柑子の実の末の凹みのあるところ、そこから中の実を取り出して壺のようにしておいて、

「何をお入れになりますか」

 と、聞くと、小さな桂の箱を北の方(内侍督)が持ってきて兼雅に渡す。