私の読む「宇津保物語」 蔵開きー2-
仲忠の持参した文書の櫃は、帝が封印をして厨子に仕舞われた。春宮は退出された。殿上人、学士などが春宮に従う、仲忠も供をして藤壺まで春宮を見送る。孫王女房に藤壺への伝言を頼んで、妹の梨壺の所へ行く。春宮は藤壺とお休みになる。
仲忠は梨壺と会って、
「毎日、登殿しているが此方へ来る隙が無くて」
梨壺
「沙汰しも貴方が登殿されていることを聞いていましたので、此方からも消息をしませんでした」
仲忠
「暫くご無沙汰でしたが、先日来たときにどうして言わなかったのですか」
「何のことですか、何でも申し上げていますのに」
「お話になりたいことが、有るようですが。このことばかりは父上兼雅のためにも、私どものためにも、こんな名誉のことはないのに。妊娠のことお目出度う御座います。
あて宮が入内してからは、『妃達は不要である』という評判の中で、妊娠するとは、本当に嬉しい話です」
「まあ、不思議な私が言ったことでもありませんのに。嫌なことが付き纏って、何も目出度いと思いませんのに」
「いつ頃分かったのですか、妊娠したと」
「相撲の節の頃、なんとなく暑苦しいなと、思いましたので、その頃でしょう」
「随分日数が立ちましたが、父上はご存じですか」
「いいえ、申し上げたいのでは御座いますが、何となく恥ずかしくて、機会もありませんし、此処の者達以外には、知らせていませんのに。どうしてお知りになったのでしょうね」
梨壺
「相撲の節の頃、なんとなく暑苦しいなと、思いましたので、その頃でしょう」
仲忠
「随分日数が立ちましたが、父上はご存じですか」
「いいえ、申し上げたいのでは御座いますが、何となく恥ずかしくて、機会もありませんし、此処の者達以外には、知らせていませんのに。どうしてお知りになったのでしょうね」
仲忠
「ある夜、五宮が帝に申し上げているのを聞きました」
梨殿
「五宮のお心が信じられません。私が春宮から遠ざけられてこのように無用者だからでしょうか、
『私だけは貴女を大事に思っています』
などと仰られていらっしゃいましたが、最近はとんと音沙汰無くなったのは、私が妊娠したからでしょうか」
「五宮は、色好みだと言われておられる世間のことを気にしないで勝手気ままに振る舞われて、帝に対しても控えめになさらず、何でも申し上げておられるようです。貴女も良く気をつけて下さい。梨壺の周りは良くない妃や女房ばかりです」
梨壺
「お一方のおかげで、胸が潰れるほど苦しんでいるのです。太政大臣の君お一人が大勢の人の浮き名を立てさせてお出でなのです」
「嵯峨院の五宮は春宮へいらっしゃらないと言うことですね」
「そうでしょう。この春激しく言い争われて衣を破られ、いろんな所を傷つけられた後は、春宮は五宮をお召しになりません。しかしそうばかりはしておられませんでしょう。以前はご寵愛が全盛の方でしたから、私が春宮にお会いするときも、
『五宮は気の毒だと思うが、気が進まないから』
などと仰っておられましたから」
「大切なところを傷つけられなさったのでしょう。それではますますお嫌いになるでしょう」
仲忠は、梨壺に「二三日してから又来ます」と言って去っていった。
絵解
画は梨壺の御殿。
こうして仲忠は久しぶりに我が家に帰る。
一の宮の昼の座に来てみると、宮は居ない、御帳の中にも不在である。おかしいなと、中務女房に、
「何処に行ったのだ」
と、尋ねると、
「西の方(仁寿殿女御の居間)で髪洗いをなさっておられます」
仲忠は「呆れたことだ」と思いながら、
「私が宮中を下がると言うことをお知りになっておられるのに、どうしてわざわざ今日に限って軽々しく。久しく髪洗いをしなかったように、干して乾くまでは命の短い人は待ちきれないであろう。ところで、犬宮は」
と、尋ねると、
「宮もあちらに」
と、中務女房は答える。仲忠は、
「大輔を呼びなさい」
と、乳母を呼ぶと犬宮を抱いて現れた。
仲忠は抱き取って見ると、粉を丸めて団子にしたように肥って、父仲忠を知っているように話しかける。愛しい娘、と思い、宮に文を差し上げる。
「やっとお許しが出て帰ってきましたのに、いらっしゃらないとは。色々と有るでしょうが、今日という日に髪洗いをなさるとは、
なかだにも裂くとは聞かぬ逢ふ事を
今日あらはるゝかみは何ぞも
(久しぶりに折角会うという大事な今日、髪を洗うとは何事です)
そちらに参りましょうか」
と、文を送る。それでも返事がないので、犬宮がぐずるので、犬宮をあやしながら昼間の局に横になる。仲忠は乳母の大輔に、
「犬宮を他の人に見せたか」
「そうでもありません。みんなが西の御方へお出でになって、見せて下さいと言われましたが、仁寿殿女御が、こうしてお抱きになって御帳台の中にばかり居られました。
ただ、若君達が正頼殿に抱かれてお出でになって、犬宮をお隠ししたのですが、仁寿殿女御や北方の一の宮に叩いたり引っ張ったりして乱暴なさりながら「見せろ見せろ」と言われるので、女一の宮が叩かれて困ってしまい、お見せになられました。
若君たちは、犬宮を大事に抱いてご覧になっておられました」
仲忠
「何という非常識なことをする者だ。その年頃には昨日今日のことのようによく覚えているものだ。男君たちに女の犬宮を抱かせるなんて以ての外だ。若君たちには女の犬宮を見せないようにしなさい。隠してしまえば若君たちは何も出来ないだろう」
大輔
「若君たちが一の宮のお髪を引っ張って泣いて騒がれるので、どうすることも出来なかったのです」
仲忠
「なんて情けないことを、全て愚かなことを、全くはしたない」
一の宮は早朝から日暮れまでかかって髪洗いをなさる。湯水で何回も洗い、女房達が並んで宮の髪を手に取り度々米のとぎ汁、泔(ゆする)を流してさしあげる。清水で清め洗いをしてから背の高い厨子の上に褥を敷き髪を載せて乾かす。
厨子は仁寿殿女御のお部屋の前の廂に横にして、母屋の御簾を上げて、替わりに几帳を巡らした。宮の前には火桶を置いて炭火をおこして、香を焚く。髪に香りを染みこませるために、髪をあぶり、濡れた髪を侍女達が集まって拭う。
仲忠が
「此方の中殿に戻られて乾かしなさい」
と、申し上げたら、女御の君が
「あのように仰るのだから、中殿でお乾かしなさい」
「何もそうしなくても、今乾かしてから参ります」
と、一の宮は言われる。右近の乳母という者が、
「綺麗に乾かしてこそ、中殿にお渡りになるのが宜しいです。ただ、乾かずにお休みになられたら、濡れた髪がべたつきますでしょう。お産をなさったその当日でさえ、伴寝をされようとお床にお入りなるような殿ですから、お髪に障りがないとは言えませんでしょう」
一の宮
「何と下品なことを言うのです、黙っておいでなさい」
と、話していると仲忠が直衣姿で現れて、中の妻戸を押し開けて、仁寿殿女御の御前にひざまずいて挨拶をされていると正頼も来られた。
作品名:私の読む「宇津保物語」 蔵開きー2- 作家名:陽高慈雨