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私の読む「宇津保物語」 蔵開きー2-

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 帝は、
「何と日が高い内から始めて、時間が経た」

 と、言われて殿油(となぶら)を多く点されて読みを続けなされた。

 亥の刻(午後十一時)頃から俊蔭の父が残した文書の読みを暫く止めさせて、小唐櫃を開かせて中をご覧になると、唐紙の色紙を二つ折りにした大きな草子が入っている。厚さが三寸ばかりで、一冊は、いつもの女手、平仮名で、一歌を二行に書いてある。、もう一冊の草子には行の書き方は同じで、草(万葉仮名)、一冊は葦手書きである。

 帝はまず、女手の草子を訓読(よ)むように言われる。歌が素晴らしい。帝、春宮、五宮、仲忠四人が近くに集まって、誰にも聴かせないで小声で読ませなさる。

 この夜は仲忠の訓読のことを聴かれた后の宮が登殿なされた。女房が大勢従っている。御簾の中に后の宮とお付きの女房達が座って居るので、帝は仲忠に小さな声で訓読するように目配せされる。

 后の宮
「女房達にお聴かせにならないとしても、私に隠すことはない。仲忠は気をつけてください后の宮が聴いているのですよ」

 と、言われるので仲忠は先に進めず爪をかむように途方に暮れている。帝は、

「悪い仲忠ですね。なにもそんなにびくびくすることはない。言われる通りにしなさい。この草子は誰でも読んで差し支えのない物だが、血縁以外の者には読ませたくないと断っているのだから、取り敢えず仲忠に訓読ませているのだ」

 と言われたので、すこし声を高くして訓読する。所々は音読する。除け者にされた后の宮は憎くい気持ちで聴いておられたが、近くで読んでいるのでよく聴くことが出来た。他人はどう思ったか分からないが、良く拝聴された帝と春宮は感動のあまり涙を流しておられた。

 其の草子の書きぶりは、ただあったことを物語風に書き綴っただけであるが、そのときの歌などを書き認めてある。所々に悲しみを感じるところがあって・・・・・・。

 暁方になって帝は、
「この草子がこのように感動させるのは道理である。この草子の著者、母皇女は、昔有名な能筆で歌人であった。嵯峨院の御妹で先々代の女御がお産み申した皇女だ。然るべき人が其の折々に書いて置いたものだから、見事なものである。これは女一の宮に見せたのか」

 仲忠
「見つけたばかりの所でして、宮は題しか知らないでしょう。それで、宮は今夜こそと仰ってご覧になります」

 帝
「これは宮のところで訓読んであげるといい」

「これは暫く置いて」

「もう一つの草子を」

 と帝は手にとってご覧になると、この草子は俊蔭が都を離れて筑紫へ向かい唐国へ渡るときから始めて、都へ帰朝して妻を娶り、娘が生まれて、娘の心配をする。其の折々に詠った歌である。

 これが興味を引きまた悲しみを感じることは、俊蔭母の草子よりは優れている。この草子もお取りになって、帝は
「俊蔭の日記は内侍督そなたの母こそが見なければならない草子である。見せたのか」

 仲忠
「いいえ、見てはおりません。これは母に見せましょう」

 と、取り替えると、帝は、

「しまいまで訓読なさい」

 とご覧になっていると、面白くてまた悲しくて、限りなく興味を覚えられる。

 殊に、取り替えられた続きの巻は、俊蔭が唐へ渡る船が暴風にあって遭難をして唐国より南方の波斯国(はしこく)の海辺に流され、蓮華の花園に天人が降りてきた時のことを記載した物で、帝の興味は最高である。帝は、

「夜も明けてしまった。この夜長にも読み尽くすことは出来ない。これからはこの草子を全部自分で読もう。集や日記は訓読んでもらおう。それは、十二月半ばの仏名会が終わってからにしよう。仲忠は三昼夜の朗読で苦しかったであろう」

 と、言われて春宮の方を見る。帝は、

「このような機会でもなければ、春宮に会うことがない。この際、春宮に話したいことがあります。仲忠は聴いていても宜しい。将来は春宮の後見をする筈の者であるから。

 近頃噂によると、春宮は、殿上にもお出でにならないそうでありますね、殿上にお出でになって、常に作法に従って政務をお執りなさい。

 特にお気に召した妃が居られるなら、夜は殿上にお迎えになって、昼は上局に居るようにすれば宜しい。

 慣例と違うことをなさる、と評判であるので私は心配をしています。

 妃の中でも五の宮が、大変に嘆かれておられるという噂です。父君嵯峨院のお耳にも入ることでしょう、院はお歳も高齢です、残る世も短いことでしょうから、五の宮は院がとても可愛がっておられます。

 公にした場合貴方の意に沿わないとしても、院のことを思って心すべきではありませんか」

 と、春宮をお諫めになると、春宮は、」

「そのことは仰せの通りに考えています。先日も五の宮からの声があり宮の許に渡りましたが、お近づけにはなりませんで、きつい態度で私に向かわれましたので、それ以後はご遠慮申し上げて文も差し上げていません」

 帝、
「そのように五宮がなさるのも、聞いています」

 春宮
「私が親しくしている藤壺を五宮は不快に思っておいでです。それも初めに宮に『今夜お出で下さい』と申したのにお出でがなく、そのまま行き来が絶えてしまいました。どうなされたのでしょうか。藤壺が私の許に侍すというので、御気分が悪ければ、お怒りが解けるまでのこと。宮に対する私の愛情は変わりませんから何かの機会には自然とお分かりになることで御座いましょう」

 帝
「お払い箱になさろうとされても、嵯峨院が居られます限りは、このようなことをお聞きされてはお気の毒である。

 あるいは、院はすでにご承知なのであろうか、院も宮も髪を降ろそうなさっておられる。貴方の即位も近づいていますのに、平穏に人から何かと言われないように注意をなさいませ。

 日本でない他の国でも最愛の楊貴妃を侍らした玄宗皇帝が世の非難を受けました。

 貴方もそう言われている妃をお持ちだから、気をつけるように申している。

 とりわけ貴方の所には美しい妃が多く集まっているのに、褒めることが出来なくなりましたよ」

 春宮
「嵯峨院の宮なのでしょう言いたい放題に言われるのは、他は考えられません」

 などと、言い合っている内にすっかり夜が明けてしまった。

 帝は、世間で評判の古くから伝わる多くの石帯をお持ちであるが、その中から上等な物を取り上げて、仲忠に、

「この石帯を朝拝の時に着用しなさい」

 と、下さる。朝拝は正月元日に大極殿で、天皇が
群臣の朝賀を受ける儀式である。

 仲忠は舞踏をして頂戴する。

 仲忠は、夜が明けたので退出しようとすると、
 帝が、
「仏名が済んだら、年内もう二三日登殿文書を訓読んでください。年が変わった目出度いときには読まない文書だからね。

 仁寿殿女御は年内に参内はしないのだろうか。自分のお産の時よりも長く里に居られるようでるが、一の宮が乳母代わりにしているのでは無かろうか。

 実のところ仲忠から、早く参内されよと言ってくれ。以前はこのようなことは無かったが、私の代が終わろうとすると、女に軽く扱われるようになるのかな」

 と、言われるので仲忠はかしこまって承る。