私の読む「宇津保物語」 蔵開きー1-
五十日の祝いと兼ねて聴いていましたが、その日になって初めて祝いの餅を召し上がる日だとはっきりと知りました。
と文とともに五十日の祝いの膳を差し上げられた。
藤壺にも同じ数だけを送られた。
そうして、祝い餅を生まれた子供に食べさせる時刻というのがあって、その時刻になったので、早く早くと催促されるのであるが、時刻になっても仲忠は犬宮をその場に連れて行く気にはなれなかった。
やっと、仲忠は犬宮を離されたので、お湯殿で体を清め綾の衣一襲を着せて、大輔の乳母が犬宮を抱いてお着きの者達とともに現れた。
乳母から犬宮を仁寿殿女御が受け取り、抱いて参会者全員に披露をする。
祖母になる正頼妻の大宮が犬宮を見ると、犬宮はたいそう大きくて、首もしっかり据わって元気一杯である。
コメント
お食い初めの歴史は平安時代からです
お食い初めという儀式は、平安時代から行われているかなり歴史ある祝い事です。
元々は生誕から50日目にあたる日に重湯の中に五十日の餅(いかのもちい)と呼ばれる餅を入れ、その餅を箸を使って子供の口に少し含ませる五十日の祝いとして行われていました。
この際は、子供の口に餅を入れるのは、父親か祖父の役目だったそうです。
こういった儀式は、よく名称や内容を変えて現在にも残っているというパターンが多いですね。
お食い初めもその中の一つと考えて良いでしょう。
何事にも歴史はありますが、お食い初めの場合、地方にそれぞれ違った伝わり方をし、地域それぞれの特色が色濃いお祝いとしても有名です。
お食い初めの際に「お歯固めの石」と呼ばれる小石3つを食膳に添えて、丈夫な歯が生えるよう祈りを捧げる「歯がため」という儀式を行うところもあります。
た、魚をお食い初めレシピに必ず加え、「真魚」と呼ぶやり方もあるようです。
このほかの呼び方としても、お食い初めだけでなく、「箸揃え」「箸祝い」「百日(ももか)の祝い」と呼ぶところもあります。
お食い初めレシピにも、歴史があります。
赤飯からはじまり、様々なご馳走をお食い初めレシピとして紹介しているサイトもあるので、そういったところを眺めるのも良いでしょう。
お食い初めのような歴史ある祝い事は、地方特有の決まりごとが多いので、両親や祖父母の話をしっかり聞いてから行うのが望ましいですね。
http://first.bmmb.info/cat0002/1000000029.html
おしき【折敷】
ヒノキの片木(へぎ)などで作った盆で,おもに食器をのせるのに用いた(図)。語源については〈折敷(おりしき)〉あるいは〈食敷(おしき)〉の略などとする説がある。前者は古くカシワなどの木の葉を折り敷いて食器としたための称,後者は〈食(お)し物〉をのせる敷物の意とする。奈良時代の文献には見いだせないが,平城宮址からは薄い片木の縁(ふち)をつけたものが出土している。完形品はないが,大別して方形角丸(すみまる)につくったものと楕円形のものとがある。
コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E6%8A%98%E6%95%B7 。
仁寿殿女御の母の大宮は腕の中の犬宮が白絹で包んだ柑子のように白く美しく見えた。
「こんな可愛い犬宮を今日まで見せてもらわなかった。赤子を多く見てきたが、その中には犬宮のような美しい児はいなかった。
こんなに美しくなくても、大きくなるとほどほどの女になるのに、この犬宮は今からこんなに美しいから、成長するとすばらしい美人になるであろう」
仁寿殿女御は
「さあ、いかがな物でしょう、それほどのこともありません」
と言って隠して仕舞われたので、大宮は、
「それでも、仲忠、一の宮よりは優れているだろう」
と、犬宮に餅を食べさせる祝いをする。折敷を見ると一つの折敷は、州浜で、高い松の下に鶴が二羽立っている。一和の鶴は箸、今ひとつの鶴は短剣を嘴にくわえている。
松の木の下には黄金の貝を敷き詰めて短剣に帝の筆跡で、
緑児は松の餅をくひそめて
千代/\とのみ今はいはなん
(嬰児は常に変わらぬ松の餅を食い初めてこれからは千代千代と泣いてばかり言うであろう)
とあるのを大宮が見つけて、白い薄様に歌を書いて押しつける。
我居りて松の餅をくはすれば
千歳もつぎて老いよとぞ思ふ
(寿を保った私がいて松の餅を食べさせましたから、この児は千年を加えて生きると思います)
大宮は我が子の仁寿殿女御に、
「こんな御製を戴くことがありましたか」
と、いうと、女御も詠って書きつけ、同じように押しつける。
老いの世に千代のみ知れる緑児の
松の餅をいとゞくふらん
(緑児の犬宮は、目出度い松の餅を沢山食べるであろう)
と、詠って歌の束を一の宮に渡すと、黙ったままで何も言わない。そばで誰もが
「どうしてお詠みにならないことがありましょう」
と、言うので、宮は、
くひそむる今日や千代をもならふらむ
松の餅に心うつりて
(犬宮は常盤の松の餅に心が移って、食い初めの今日初めて千代を生きると言うことを知るでしょう)
と、詠ったので母の女御の君は、州浜の折敷とその歌をそっくりそのまま、仲忠に差し出すと、仲忠は歌をとってみている、
千歳経る松の餅はくひつめり
今はみかさのおとらでもがな
(千年も経た松の餅を犬宮は食べた。今はその松にも劣らない寿命を保ってもらいたい)
と、詠われると、弾正の宮(忠康親王)が、
「見せてくれ」
と言われるので、仲忠は、
「立派な筆跡ですので、ご覧になると目が潰れますよ」
と、言って弾正の宮に見えないようにして御簾の中に差し入れた。
弾正の宮は、
「御簾のうちに、許されない身分の者に言うように仰る」
と、宮は御簾のうちに入り込んで歌を見て、「せわしいこと」と言って
姫松も鶴も並びて見ゆるには
いつかはみかのあらむとすらむ
(姫松も鶴もお揃いでいらっしゃるのだから、いつかお目にかかることが出来るでしょう)
と、詠われる。大輔の乳母は、詠って宮の
歌のそばに押しつける。
緑児の千代てふ事は人ごとに
ならひて誰にと思ふものかは
(緑児を千代までもと祝うのは、誰もすることで、特定の犬宮に限ったことではありません)
と、詠っているのを人々が見て、
「乳母よ、おまえの言うとおりだ」
と言ってみんなが笑う。
こうしていると、内侍督から連絡があり、使いの者に白の袿と袴を被物として与えた。仲忠が母の文を読むと、
「こちらからもお便りをあげようと思っていましたが、この数日取り込むことがありまして失礼申し上げました。
それにしても、五十日の祝いだと言うことを、よくもまあはっきりとご承知になられたと、驚嘆申し上げております。
声かへすいかといふ子をいかでかは
作品名:私の読む「宇津保物語」 蔵開きー1- 作家名:陽高慈雨