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私の読む「宇津保物語」 蔵開きー1-

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「唐国よりは近いのですから伝言なさらなくても聞こえています。この仲忠らの分からず者が、管弦の遊びをするのだと言って、酒の制限を致すので、まだ飲み足りませぬ。どうぞ、御簾の中のお酒を頂かせてください」

 と、言われるので、一の宮の女房の、宮の君という者が。

「お出でなさい、差し上げましょう」

 大将は
「釈迦へのご供養のつもりですか、どうですか」

 などと言っているうちに、仲忠はこの屋の主の正頼に差し上げるのだと大きな土器を持って、酒を満たすと、

 みや浜の州崎におりし鶴の子に
寄るなみ立ちぬ岸を見せばや
(宮浜の州崎に降りた鶴の子に波が打ち寄せてもしっかりしている。その岸の様子を人に見せたいものです)

 正頼大臣、一口飲んで、

 もろともに州崎の鶴し老いたらば
のどけき岸もなにかなからむ
(州崎に降りた鶴の子と一緒に老い永らえたなら、きっと長閑な岸を見ることになるでしょう)

 と、詠って右大将兼雅に回す。大将は土器を取って、

 立ち居てぞ千歳も見えむ潟の洲に
     かとこの見ゆる田鶴は幾代ぞ

(潟になっている州崎に立つだけでも千年は生きるであろうまだ生まれたばかりで卵の殻が付いている田鶴は幾千年生き延びるか分からない)

 弾正の宮(三男忠康)に回すに、兼雅に

「仲忠を連れてこい」

 高い声で言う。四の宮が

「なんと羨ましいこと」

 と、言うと、

「申さねばならないことがあるから」

 と、言う。

 仲忠の父兼雅は笑って、
「これは望むところ、不思議なことだ」

 と言って、もう一回酒を飲む。そうして宮の許にると、一の宮は、

 かへりてぞ千代も見るべき卵の中に
籠れる田鶴は幾代経べきぞ
(卵から孵ってこそ千年の齢も見ることができるのであるが、卵の中に籠もっている田鶴は何十年経つのでしょう)

 四の宮

 東路のかひのうちなる鶴なれや
     行返りつゝ千代を見るべき
(まだ卵の中にいますが、孵れば千年の齢を見ることでしょう)

 六の宮

 遙かにも思ほゆるかな行返り
千歳見るべき田鶴の雛鳥
(千年もの齢を保つ田鶴の雛鳥の千年の齢は、なんと遠く遙かなものに思われることですな)

 八の宮

 水の色は幾度すむと川の洲に
かへれる鶴の行末は見む
(川の洲に孵った鶴の齢を、水がどれほど濁っては澄み澄んでは濁ったかその度数ではかってみよう)

 権中納言

 洲にすめば底にも千歳ある鶴の
    流れて行けど盡きずもある哉 
(鶴が洲に住むと、澄んだ水にも映るから、底にも千年の齢が隠されて、水は流れ年月に去っても齢は尽きる事がないであろうな)

 左大弁辨

 まことにや千歳を経ると長き夜を
おきつゝ霜の鶴の世は見む
(事実かどうか、霜の置く長い夜起きていて、千年も生き永ら得るかどうか鶴の齢を試みよう)

 宰相中将

 水底の騒がぬすにぞ鶴の子の
水なる底に千代も見てしが
(動揺しない水底の洲に鶴の子が棲んで千歳の長寿を保のを見たいものだ)
   

 こうして、涼中納言が被物として贈った品々が未だ使われていないものを母の女御がとり出して、御簾のそばにいる一族の者に一具ずつ渡したので、その辺がざわつく、仲忠は御簾のうちに手を入れて被物をとって、先ず。この屋の主人の正頼に差し上げて、次々に一族の者に被けられた。

 左大辨(師純)、宰相中将(祐純)までの位は女の装束 、それ以下の位のものは、白張一襲、袴一具。

 宮あこ君(大宮腹の十二郎行純)は、今は任官して六位であるので白張一襲被けられた。


絵解
 この画は、中の御殿の東面。正頼の子息の三、四、六、八の宮が直衣姿で、中の御殿の東面に来るところ。

 この画は、右大臣正頼。容姿が何となく物々しいが、清らかで愛想がある。年は五十四歳、しかし歳よりも若く見える。右大将兼雅顔色といい人との接触の態度は親子である仲忠と似通っている。近親感があり清らかである。歳は三十八歳。権中納言と仲がいい。梨壺から贈られた銀の鯉をみて、

「この鯉は生きているようだ。危ないところで料理人に捌いてもらおうと頼むところだったよ」

 産養の一つに、麗景殿女御からの粥桶がある。蓋には赤味のある生絹の「しりぶた」が被せられている。

 この画は中殿の北面。台盤所。后の宮よりの贈呈品、衝重ならべてある。

 この画は、北大殿、仁寿殿女御と内侍督仲忠の母親が女房達に被物を渡している。 


 こうして九日の産養次の日の昼頃になって、乳母が帰るときに、充分に贈り物を与えて孵らした。内侍督も我が家三条殿に帰ろうとして女御や、一宮に挨拶をする。

「このように、お付き添いをしていたのに慣れてしまって、周りがいなくなるとお寂しいことでしょう。暫くはこうしてお側に侍ろうと思いますが、やはり自分の家とは違うところがありますので、申し訳ありません」

「それでも御心配なさることでしょうから、また早くにこちらに来てください」

 と大宮(正頼夫人)が言って、正頼から美しい絹布百疋、女房に持ってこさせた。

 こうして兼雅夫妻は帰って行く。内侍督の車の前駆(さきがけ)に兼雅、仲忠そして五位六位の者たち多数が行列を作った。兼雅が自分の館の門に到着したが、後部の内侍督の車はまだ正頼殿の門のところであった。お互いの門の間隔は一町ほどの近い距離である。

 一行がしっかりと門内に入った後に、大将正頼は飼っている有名な名馬二頭、鷹二羽を兼雅に贈った。
 
 その送り状に、
「これはお供の方に持って帰ってもらおうと思っていましたが、急いでお帰りになったので、お渡しすることができませんでした」

 また北方の大宮より、蒔絵の衣櫃五個、蘇枋の台、着物を入れた担い棒を付けた櫃二つ、唐綾を入れた櫃二つ、「えひ」香一、丁子一つ入れて一櫃、五個の櫃を大宮の文とともに内侍督の許に届けられた。

「一の宮お傍においでの時にお目にかかりたかったです。騒ぎばかり続きましたので、気になりましたが、失礼をいたしました。
 お出で頂いて大変に嬉しく、余命も少ないとあきらめておりましたのに、行く先が延びる思いでございます。あなた様の琴の音を聴いていますと、本当に心が動かされて、遙かに遠いと思っていました蓬莱という喜楽の里も近くに感じました。
 さてこの品々は、ご家来方にあげてくださいませ」

 と書いてあり、一の宮からは、后の宮から贈られた衝重の中の物を入れたまま、と、蒔絵の置口(金銀などで、箱のふたや衣服の袖口などの縁をとって飾ること)衣箱に夏冬の装束二装づゝ、夜の装束二襲、同じような箱四つに髪の道具、その一つには沈、一つには黄金、一つには瑠璃の壺、四つ目は合わせ薫物(たきもの)を入れて、もう一つ他の箱には黄金の壺に薬を入れて、麝香(じゃこう)一つずつ黄金の壺に入れて十壺、すべてを綺麗な包み物に包んで、女御は一の宮の代筆で公式の消息文を書く陸奥紙に、贈る文を書いて、