私の読む「宇津保物語」 蔵開きーue -
と、笑いながら鎖の所まで来ると、本当にものすごい厳重な鎖である。仲忠、鎖を持って左右に引っ張ると、鎖は簡単にはずれて戸は開いた。仲忠は、自分ながら驚いて、
「簡単に開いたのは、全く先祖の御霊が私が来るのをお待ちになっておられたのだ」
と、思い。部下を呼んで、完全に戸を開かせて、中を見ると、内側にもう一つ戸があって、校倉があり、しっかりと鎖で守られている。
その入り口の戸に、「文殿」と、書いて手印が押してある。仲忠は外側の鎖と同じであろうと、同じように鎖に手をかけると、簡単に解ける。開いてみる。
美しい帙簀(ちす)に包んだ書籍が五色の糸で平組に編んだ紐で括られて、机に山のように積んである。その中に書物に混じって沈の香木で造った唐櫃が十個ほど重ねて置いてある。
奥の方には手頃な柱くらいの大きさで、赤い丸い物が積んである。文殿の入り口に置いてあった目録を仲忠は手に取ってみる。
仲忠はそれまでにして、元のように鎖をさして錠をして、大勢の集まってきた殿人を連れて帰って行った。
帙簀(ちす)
巻子本(かんすぼん)・経巻などを巻いて包む帙(てつ)。色糸で編んだ竹のすだれを芯にし、表を綾で包み、四周を錦などでふちどり、組み緒をつけたもの。(広辞苑)
仲忠は三条の父の家に帰って母親に見た通りを話す。持ち帰った目録を見ると、本当に珍しい有り難い宝物と言われるような物が多かった。漢詩漢書和書は申すまでもなく、唐国でも見ることが出来ない貴重な物までが目録に記載されている。
医師書(くすしぶみ)・陰陽師書(おんようじぶみ)・人相する書・妊娠してお産をする心得や、その手当の法、貴重品が多数である。母の兼雅北方内侍督は、
「これはまた大変なことですね。昔の人は、わざわざ私を困らせようとなさったのですね」
中納言仲忠、
「お祖父様は賢人でいらっしゃったから、深いお考えがあったのでしょう。これほどの財宝を、母上がお持ちでしたら、どういう風になさったでしょう。今日まで残っているようなことはなかったでしょうね」
などと言って、仲忠はこの目録のあった文殿を
大事に保存しようと思って、仲忠の所領である国々の長官で、建築や土木を心得ている者に、対屋一棟ずつ割り当てて、仲忠の目的とすることを告げて保存の建物を責任もって造営させた。
二三百人の者を使って土を踏み固めて築地塀をその年の内に作らせた。
目録に、唐櫃一つに香があると記載されていたので、開いて香を取り出して、母上と妻の一の宮に差し上げた。その香は世にも珍しい物であった。書籍も必要な物は取り出して読んでみる。
造営した保存用の殿が出来上がると、
「こうまで世に栄えておいでの、子孫に当たる君がお住みになる」
と、みんなが集まってきて周囲に家を建て住みだした。あの仲忠に物を申した嫗(おうな)翁(おぎな)を政所に呼んで布や絹を沢山与えた。
絵解
この画は、京極殿、蔵を開いたところ。
仲忠が京極に殿を造営したことを帝がお聞きになって、譲位の後の住まいとして、数年かけてお造りになった、大宮の大路よりは東二条大路よりは北に、広い味のある院である。それを中納言仲忠をお呼びになって、与えると言われた。帝は、
「お前はまだ自分の家を持たない。この広い屋敷を書斎として、お前の祖父である俊蔭が特別隠していた琴の秘曲を習得するに良いだろう。北方一の宮と共に琴を弾いて聞かせてくれ。人が近くで聞くところは困るであろう。さらにその南に小さな所があるが、それを北方の女一の宮にそのうちに与えよう」
と、帝は二条宮を仲忠に与えられると、仲忠拝舞して頂戴して退出した。
帝は一の宮の母である仁寿殿女御に、
「これから、貴女の皇女達には然るべき所に住居を造って住むようにしよう」
と、言われる。
年が明けて、一の宮の妊娠が分かる。仲忠は蔵にあった妊娠に関する本を何冊か並べて、
「女の子が生まれるかもしれない」
と思って、生まれる子供が顔も心も美しくなると言う食べ物を選んで、妊娠した北方に与えるようにした。それ以外の食べ物も本に書いてあるのを参考にした。
妊婦の一の宮が食べるものは、包丁や俎板まで仲忠の前に置いて。仲忠自身が料理するばかりにして、自身が料理人の側に付いて世話をする。そうしてその年は妊娠した一の宮の側を離れず、文を読んで勉学に励んだ。
やがて、出産近くなったので、一の宮の母親の仁寿殿が帝に、
「一の宮のお産が近づきましたので、宮中から出ようと思います」
と、帝に申し上げる。帝は、
「予定はいつであるか」
「十月頃が生み月になります」
帝は
「退出なさるがよい。そういう妊婦を貴女は前々から看護していましたからね。一の宮はいかがであろう」
「何も心配なさることはありません。仲忠朝臣は宮が懐妊してから外へ出ることもなく宮に付き添っています。みんなが大切にしてくれています」
「一の宮を久しく見ないが、どうしているのであろう。仲忠と共に並んでいると至極似合いの夫婦に見えたが」
「よその人は宮をどう見ているのでしょう。本当なので御座いましょう。宮の髪は以前にご覧になられた時よりも袿より長く伸びて、容姿も衰えてはいません」
帝は、
「それでは二番目の皇女はいかがじゃ」
「帝に似ておいでになり、一の宮に劣ることはありませんし、ふっくらと一層親しみあるお方になってお出でです」
「やっぱり育つ場所だろうかな、正頼の所だからな。仁寿殿女御の皇女達は、他の女御の子達とは違うのだろうね。では安産であることを祈っていますよ。思うままに大勢の御子達を安産なさった貴女にあやかると、貴女も満足でしょう」
と、言われて帝は女御の許を去った。
仁寿殿女御は内裏を出て里に下がると、仲忠が留守の間に、正頼殿の中の殿に渡って一の宮の側による。
「大変に痩せたようですね、父の帝が大変心配なさっておいでです」
と娘をよく見ると、一の宮は妊娠しているにかかわらず、顔色は磨きがかかり、満開の桜が朝露にぬれて照り輝くように艶があり、沢山の髪が豊かに揺れて玉が光るようである。
着衣は、鮮やかな赤色の唐織りの綾の表着を一襲着て、脇息に持たれておいでになる。
さて、産屋の用意は、白い綾を始めとして、室内の調度を全て白の銀に替える。正頼の殿に産屋を決める。二ヶ月前からお産の日まで、絶え間なく教典を読む不断の修法、万の神仏に祈りを捧げる。十月の中旬に入って宮は産気づいて苦しまれる。
産室は、春宮が生まれた部屋を使われ、産室のしきたりに造られて、産婦の一の宮は移された。
内侍督(ないじのかみ)の仲忠の母はお供の人達を連れて、車五台で参上した。仲忠は母君を車から降ろして、一の宮の几帳の中へ案内する。祖母に当たる正頼の北方大宮も一の宮の産屋へ入られるが、別に几帳を巡らして局を造ってそこに座られた。
娘の仁寿殿女御は、
「何も遠慮をなさらなくとも、祖母と孫の間柄、相撲の節にあんなに親しくされていたのに」
作品名:私の読む「宇津保物語」 蔵開きーue - 作家名:陽高慈雨