私の読む「宇津保物語」 蔵開きーue -
蔵びらき
藤中納言仲忠は、左衛門督、兼非違の別当であるが、検非違使の別当は装束を清らかにするべし、というのに反して装束に乱れがあるということで、兼官の別当を辞任した。
仲忠は幸福に暮らしているが、幼い頃に京極に住んでいた(仲忠は六歳まで京極に母といて、山奥のほこらに母とともに移った)、その家を仲忠は憶えていて、
「祖父から母上が受け継いで住んでいたところである。私の親の代に家は没落したのだから、自分が新しく家を建てて、母上に差し上げよう」
と、考えて、霜月十一月頃、信頼している下人達数人を供にして、かって住んでいた京極の家に来てみると、今はかって賑やかだった京極が野原のように荒れ果てて、人の住んでいる家も見あたらない。
ところが、あるべき所に寝殿だけが、簀の子も廂もなく、妻戸も破損していて、普通なら見えない塗籠(寝殿中央に四方を壁で囲った部屋)まで素通しに見える。
また、西北の隅に大きな厳重な蔵があり、仲忠は供頭の馬を借りて蔵を一回りして見てみると、この蔵は祖父の俊陰が所有の屋敷内の蔵のようではない。供の者に、
「この蔵は、屋敷内の蔵かどうか調べるように」
というと、供の者がすぐに調べてきて、
「屋敷内のようです」
仲忠近くに寄って見てみると、蔵の周りに無数の死体がある。恐々見てみると、見たこともない頑丈な鎖がしてあり鍵が懸けてある。
その鎖の上を金属で、硬く捻って封をしてある。その封の結び目に、亡くなった祖父の俊蔭治部卿と持ち主の名前と官位が書き付けてある。仲忠はそれを見て驚き、
「これは祖父の書籍庫に違いない。昔は累代博士の家であったから書物があるだろうと探すが一冊もない。音楽が専門の家でもないのに、琴があって、その幾つかは世間に散らばってしまい、手元には二双しかない。文などがないのはおかしいと思っていた。これは文庫である、蔵を開けよう」
と、仲忠は思っていると、近くの加茂川の河原の方から歳は九十にもなるかと思うような頭髪が真っ白で雪を被ったような老女と翁が、這うようにして急いで仲忠の方にやってきて、
「とにかくここから離れてください」
泣くようにして言う。
「どうしてそのようなことを言うのだ」
供頭が聞く、老婆は、
「先ずここから出てください。この蔵に近づいた者は皆死んだのです。人を取り殺す蔵です。見なさいこの死骸を。ここを離れられたら、事情をお話しいたします」
変なことを言う老婆と翁だ、と仲忠は返事はしないで立っていた。老人二人が言うには、
「この京極のあたりは昔は栄えたところだった。今年で二十年は超えたがまだ三十年にはならないがこのように寂れてしまった。
そのわけは、昔一人っ子を唐国に送った人の御殿が有りました。二親はその子の帰国を待つことなく亡くなられた。その後でその子供は帰国しました。そうして、この御殿を帰国した息子がきれいに修復されて住んでおられたが、子供は一人娘だけであった。
その娘さんが小さいときから、この世では聞くことが出来ない微妙な音楽が流れてきました。その音楽を聴く人はみんな心が落ち着いて、病がある者は病が消えてしまい、老いた者は若返り、京中の人がそのことを知ってこの京極に集まって、妙なる音楽を聴いていました。
その殿の娘が年頃になると、門に鎖をして人が通れないようにしたのですが、帝から皇子、宮家、高貴な家の方から、結婚申し込みの使いが夜明けになると家の周りに立ち並んでいましたが、話をすることも許されなかった。
そうしている内に、母親、父親が続いて亡くなり、娘さんに声をかける者もなく、やがて世間から忘れられてしまった。
そのようになると、河原で暮らす家の無い者や無頼の者たちが、御殿に乱入して、御殿をすっかり荒らしてしまい、一二年でこの有様になってしまった。家の中にある道具類を盗み取ったが、ろくな物がないので、きっとこの蔵に隠してあるのだと、みんなが蔵に近づくと、たちまち倒れて死んでしまう。
夜は、目には見えないが、何者かが馬に乗って現れ、弓の弦を鳴らして夜回りをしているようだ。
こんな恐ろしいところに百歳になろうとするまで、この媼翁が見守っていると、我が国では見ることがない玉のような美しい坊やがこの蔵の傍に現れて蔵に近づくので、祟りに逢って亡くなられては悲しいことですから、お知らせしよう、とあわてて行こうとしますがこの身体では、お目にかかることが出来ませず、はがいく思っている次第です」
仲忠は、
「本当によく申してくれた。この家の周りに人が住まなくなったのはどういう訳か」
と、問うと、二人は、
「蔵を開けようとして、誰も彼も鎖を外すことに苦労するのを見て、或者が、『自分がどうしても開けて見せる』と、開けようと鎖に手をかけると倒れて死んでしまうのを何回も見ながら年月を過ごしてきました。そのうちに、そういうことをした人の家には悪事が起こり、一家が急に全滅しました」
と、言ってくれたので、仲忠は老婆に
「本当に怖いことです、これからも蔵を開けようとする者が出ることでしょうから二人でよく見張っててください」
と、老いた二人に、着ている衣を一襲脱いで、一つづつ二人に手渡した。そして、
「寝殿の所で見張ってくれて、この蔵にまた人が近寄らないようにしてください。汚れた物や死骸は、野辺に持って行って棄てて下さい」
と申しつけて仲忠は帰って行ったので、二人の老人は、賜った衣が今まで知らなかった香りを放ち、美しい綾の掻練の袿を戴いて、何となく空恐ろしくなって、どういう風にすればよいか大いに惑った。
そこで、寺に参詣する人がこの高貴な着物を見つけて、多額の金を払って二人の老人から買い上げていった。
そのようにして得た金で物を買い老人の孫達に与えて、蔵の周りを綺麗に片づけて清めると、四五日すると兼雅の殿の家司が来て、幕を張って幄(あげばり)を拵えた。暫くすると、大徳達、陰陽師などが来て、祓いをして読経をする。
仲忠中納言が、大勢の者をつれて蔵を開くことにした。色々と考えて鎖をはずそうとするが、鎖を解くことが出来ない。仲忠はその場に二三日とどまって、さらに大勢を集めて夜は車の中に寝て、幄の中から指図して倉の戸を開こうとするがとても開くことが出来ない。怪我をする者病にかかる者が続出する。
三日作業をしたときに、仲忠は昼頃、装束をきちんとして、考えた。そして心に念じた。
「聞くところによれば、この蔵は私の先祖の者が所有していたものであります。封印された紙に、先祖の名が書かれています。
現世では、私を除いては子孫はいない。母はいますが女であります。先祖の霊よこの蔵を開き給え」
と、祈りを捧げる。それでも開かない。
蔵開きを見ている人の中で、
「誰がなんと言っても、この鎖は開きそうもない。鎖をきってしまいなさい」
と言うので、仲忠は、
「どうして開けられないのか。もう一回試してみよう。おかしなことだな」
藤中納言仲忠は、左衛門督、兼非違の別当であるが、検非違使の別当は装束を清らかにするべし、というのに反して装束に乱れがあるということで、兼官の別当を辞任した。
仲忠は幸福に暮らしているが、幼い頃に京極に住んでいた(仲忠は六歳まで京極に母といて、山奥のほこらに母とともに移った)、その家を仲忠は憶えていて、
「祖父から母上が受け継いで住んでいたところである。私の親の代に家は没落したのだから、自分が新しく家を建てて、母上に差し上げよう」
と、考えて、霜月十一月頃、信頼している下人達数人を供にして、かって住んでいた京極の家に来てみると、今はかって賑やかだった京極が野原のように荒れ果てて、人の住んでいる家も見あたらない。
ところが、あるべき所に寝殿だけが、簀の子も廂もなく、妻戸も破損していて、普通なら見えない塗籠(寝殿中央に四方を壁で囲った部屋)まで素通しに見える。
また、西北の隅に大きな厳重な蔵があり、仲忠は供頭の馬を借りて蔵を一回りして見てみると、この蔵は祖父の俊陰が所有の屋敷内の蔵のようではない。供の者に、
「この蔵は、屋敷内の蔵かどうか調べるように」
というと、供の者がすぐに調べてきて、
「屋敷内のようです」
仲忠近くに寄って見てみると、蔵の周りに無数の死体がある。恐々見てみると、見たこともない頑丈な鎖がしてあり鍵が懸けてある。
その鎖の上を金属で、硬く捻って封をしてある。その封の結び目に、亡くなった祖父の俊蔭治部卿と持ち主の名前と官位が書き付けてある。仲忠はそれを見て驚き、
「これは祖父の書籍庫に違いない。昔は累代博士の家であったから書物があるだろうと探すが一冊もない。音楽が専門の家でもないのに、琴があって、その幾つかは世間に散らばってしまい、手元には二双しかない。文などがないのはおかしいと思っていた。これは文庫である、蔵を開けよう」
と、仲忠は思っていると、近くの加茂川の河原の方から歳は九十にもなるかと思うような頭髪が真っ白で雪を被ったような老女と翁が、這うようにして急いで仲忠の方にやってきて、
「とにかくここから離れてください」
泣くようにして言う。
「どうしてそのようなことを言うのだ」
供頭が聞く、老婆は、
「先ずここから出てください。この蔵に近づいた者は皆死んだのです。人を取り殺す蔵です。見なさいこの死骸を。ここを離れられたら、事情をお話しいたします」
変なことを言う老婆と翁だ、と仲忠は返事はしないで立っていた。老人二人が言うには、
「この京極のあたりは昔は栄えたところだった。今年で二十年は超えたがまだ三十年にはならないがこのように寂れてしまった。
そのわけは、昔一人っ子を唐国に送った人の御殿が有りました。二親はその子の帰国を待つことなく亡くなられた。その後でその子供は帰国しました。そうして、この御殿を帰国した息子がきれいに修復されて住んでおられたが、子供は一人娘だけであった。
その娘さんが小さいときから、この世では聞くことが出来ない微妙な音楽が流れてきました。その音楽を聴く人はみんな心が落ち着いて、病がある者は病が消えてしまい、老いた者は若返り、京中の人がそのことを知ってこの京極に集まって、妙なる音楽を聴いていました。
その殿の娘が年頃になると、門に鎖をして人が通れないようにしたのですが、帝から皇子、宮家、高貴な家の方から、結婚申し込みの使いが夜明けになると家の周りに立ち並んでいましたが、話をすることも許されなかった。
そうしている内に、母親、父親が続いて亡くなり、娘さんに声をかける者もなく、やがて世間から忘れられてしまった。
そのようになると、河原で暮らす家の無い者や無頼の者たちが、御殿に乱入して、御殿をすっかり荒らしてしまい、一二年でこの有様になってしまった。家の中にある道具類を盗み取ったが、ろくな物がないので、きっとこの蔵に隠してあるのだと、みんなが蔵に近づくと、たちまち倒れて死んでしまう。
夜は、目には見えないが、何者かが馬に乗って現れ、弓の弦を鳴らして夜回りをしているようだ。
こんな恐ろしいところに百歳になろうとするまで、この媼翁が見守っていると、我が国では見ることがない玉のような美しい坊やがこの蔵の傍に現れて蔵に近づくので、祟りに逢って亡くなられては悲しいことですから、お知らせしよう、とあわてて行こうとしますがこの身体では、お目にかかることが出来ませず、はがいく思っている次第です」
仲忠は、
「本当によく申してくれた。この家の周りに人が住まなくなったのはどういう訳か」
と、問うと、二人は、
「蔵を開けようとして、誰も彼も鎖を外すことに苦労するのを見て、或者が、『自分がどうしても開けて見せる』と、開けようと鎖に手をかけると倒れて死んでしまうのを何回も見ながら年月を過ごしてきました。そのうちに、そういうことをした人の家には悪事が起こり、一家が急に全滅しました」
と、言ってくれたので、仲忠は老婆に
「本当に怖いことです、これからも蔵を開けようとする者が出ることでしょうから二人でよく見張っててください」
と、老いた二人に、着ている衣を一襲脱いで、一つづつ二人に手渡した。そして、
「寝殿の所で見張ってくれて、この蔵にまた人が近寄らないようにしてください。汚れた物や死骸は、野辺に持って行って棄てて下さい」
と申しつけて仲忠は帰って行ったので、二人の老人は、賜った衣が今まで知らなかった香りを放ち、美しい綾の掻練の袿を戴いて、何となく空恐ろしくなって、どういう風にすればよいか大いに惑った。
そこで、寺に参詣する人がこの高貴な着物を見つけて、多額の金を払って二人の老人から買い上げていった。
そのようにして得た金で物を買い老人の孫達に与えて、蔵の周りを綺麗に片づけて清めると、四五日すると兼雅の殿の家司が来て、幕を張って幄(あげばり)を拵えた。暫くすると、大徳達、陰陽師などが来て、祓いをして読経をする。
仲忠中納言が、大勢の者をつれて蔵を開くことにした。色々と考えて鎖をはずそうとするが、鎖を解くことが出来ない。仲忠はその場に二三日とどまって、さらに大勢を集めて夜は車の中に寝て、幄の中から指図して倉の戸を開こうとするがとても開くことが出来ない。怪我をする者病にかかる者が続出する。
三日作業をしたときに、仲忠は昼頃、装束をきちんとして、考えた。そして心に念じた。
「聞くところによれば、この蔵は私の先祖の者が所有していたものであります。封印された紙に、先祖の名が書かれています。
現世では、私を除いては子孫はいない。母はいますが女であります。先祖の霊よこの蔵を開き給え」
と、祈りを捧げる。それでも開かない。
蔵開きを見ている人の中で、
「誰がなんと言っても、この鎖は開きそうもない。鎖をきってしまいなさい」
と言うので、仲忠は、
「どうして開けられないのか。もう一回試してみよう。おかしなことだな」
作品名:私の読む「宇津保物語」 蔵開きーue - 作家名:陽高慈雨