私の読む 「宇津保物語」 田鶴の群鳥
左衛門佐連純は、宰相実忠の文を差し出した。
大宮は、読んで正頼に渡す。正頼は、
「これも断りの文だよ、訳の分からない人達だ」
祐純は、
「右大将兼雅の仰ることには、
『あて宮がまだ幼い頃から、妻にと思って文を差し上げてきましたが、入内して間もないのに、ご姉妹の女君に心を傾けたとお聞きになられたら、本当に可哀相です。誰でもそうであるが、あて宮のご存命中は自分の気持ちを失わずにいたい』
と、仰いました」
左衛門佐連純は
「源宰相実忠様は、このように仰いました。実忠様の庵を拝見いたしまして、思いっきり泣いてしまいました」
と、あれほど出世した実忠の今の様子を全てを洗いざまに大宮と正頼に話す。
左衛門佐連純は
「源宰相実忠様は、このように仰いました。実忠様の庵を拝見いたしまして、思いっきり泣いてしまいました」
と、あれほど出世した実忠の今の様子全てを洗いざまに大宮と正頼に話す
聞いていた正頼始め一座の者全員が涙を流して、連純の話を聞いていた。正頼は
「可哀相なことだな。あれだけの人物を、父君の太政大臣もそのように思ってお出でだろう。
『実忠を見てやってくれ』
と、度々仰せであったが、実忠が言うことを聞かないからどうすることも出来ない。実忠の代わりに季房右大辨を十四君の婿にしよう。季房は見所ある男だからじきに納言や宰相になる筈だ。
兼雅の代わりに行正を婿にしよう。宰相中将(行正)に連絡をして、兼雅と実忠は暫く様子を見よう」
大宮は、実忠に返事を送る。
置く霧のなかにも色と見えしかば
おなじ枝にと思ふばかりぞ
(多くの霧の中でも特に深い色に見えたので、同じ枝に置きたいと思ったのですよ)
貴方の哀れに深い御心を存じ上げた私どもは決してお忘れ申し上げないでしょう。
このようなことから、おおい殿(太政大臣の娘)の腹十一姫を正頼は兵部卿の宮に、十二姫を平中納言に、大宮腹の十三姫(そで宮)を行正中将に、十四姫(けす宮)右大辨季房(太政大臣の子供、実忠と兄弟)と決定した、
合同の結婚式を八月二十八日行った。三日の夜には婿四人みんなに、正頼は会われて、銘々に常よりも立派な被物を与えたことは、正頼の冨と権力を世間に示した。
藤英季房右大辨兼官右近少将、式部丞・文章(もんじょう)博士・春宮の学士を兼任して、内裏・春宮・院の殿上を許される。
藤英は親の代から敵があるというので、特に庇護の意味で本官以外に少将(武官)を兼官として授けられた。
(兼官。本官の右大弁以下の役を兼官と言う。位も右大弁は従四位上相当で、少将は正五位下、大丞は正六位下、学士は従五位下相当といずれも下になる。(頭注から))
藤英はこの上なく知識のある人物である。春宮より藤英を退出なさって、大学寮の学生三十人ばかり、中には良家の子息も十人ほど混じっている、その師となる。
藤英右大辨は、歳四十で清潔で性格は立派である。学生に教える中で、文章得業生すなわち秀才が四人が参った。藤英は、
「地方官の宣旨が下りましたか。いつ赴任するのか」
秀才四人
「宣旨は承りました。近いうちに都を離れて任地に参りたいと思うのですが」
「本当に早く出立するが良い」
「ところがこの頃忙しくて暇がありません。史記のことをついでにしておけと仰せられるので」
「史記の解釈は、帝が今までまだ読んではいないので、と仰せになることであるから、講義をし終わってから任地に赴任するがよい」
と、藤英は秀才に語る。
そこに、忠遠(ただとう)が訪ねてきた。忠遠は藤英が文章学生で貧乏で、同僚達から蔑まされていたのを助けた人物である。今日の藤英があるのはこの忠遠のおかげといっていい。
忠遠は現在大学寮の判官で六位であるから藤英より位は遙かに下である。
藤英は、
「どうして久しく顔をお見せになりませんでした。私は心配しておりました」
忠遠大学の丞
「それが、悔しいことに、近頃任官した若い者達が、次々と地方官として赴任していくのに、自分は今もってどこにも赴任できないのです」
「それは大変にお気の毒なことです。最近蔵人に欠員が出来ましたので、その後任として貴方を正頼様に推挙いたしましたら、『世話をする気持ちがあるのか』と仰せになりましたので、今までのいきさつを詳しく正頼様に話しましたら、『すぐ奏上しよう』と仰せになられました。もう一度推挙いたしましょう。正頼様の仰せが真実ならば成功するでしょう」
「折角ご推薦下さる宮仕えも運が悪くては難しゅう御座いましょう」
「そういう風にはお考えにならないで下さい。私がお役に立ちましょう。あんなに恩を受けました私が、忠遠様のお世話を忘れることはありません。公事を疎かにしておいて、貴方のことで奔走しなければ、貴方を疎略にしていると思いでしょう」
忠遠
「忝ないことです。こうまでしてご推薦を受けますこと、何よりも有り難いことです。忠遠は、世間から見捨てられて、私一人ならばともかく、老いた両親や妻や幼児の泣き悲しむのを見ますのが耐えられません、血の涙を流す悲しみです」
と、実情を訴える。
藤英
「仰るとおりです。力量が世間に認められず、人の後ろについて行く無念さは、私はよく分かっています。正頼様とよく相談をいたします。
長年都で生活なさって、生計の方はどうしていらっしゃいます。今年の禄は近江を賜りました。まだ取り立てには参っていません。近江の守へ紹介状を書きましょう。取りに行き生活にお使いなさいませ」
忠遠は
「それは有り難いことですが、貴方も入り用ではありませんか」
「私には世話をしなければならない縁故者はいません。自分一人は不自由なく暮らしていますから私事では必要がありません」
と、言って紹介状を書き始めた。
二人は酒を酌み交わし、作詩をしたりして忠遠は明け方に帰っていった。藤英は綾掻練の袿、袷の袴を被物として渡した。
このようなことで、藤英は正頼に頼み込んで忠遠を蔵人にした。忠遠は限りなく喜んだ。
藤英は蔵人の装束一具を忠遠に贈り、いろいろと相談に乗った。
こんなことがあって、正頼はあて宮に懸想をした男達を自分の娘の婿として屋敷内に住ませた。
源少将がどう思っているかと、綾襲の法服を二つを誂えて、宮あこ君に綺麗に仕立ててもらい衣の下にこのように歌を書き付けて結ぶ、
結ぶ人まつ元結は絶えぬれど
かみそりをだにあらせざらめや
(元結いは不用仁おなりですが、剃刀はなくてはならない物でございましょう)
源少将は涙を流して返歌をする、
元結の朽ちし涙はかはらねど
今日かみそりを得るがうれしさ
(元結いが朽ちてしまったほどの涙は今も尽きませんが、その嘆きに沈む私をお忘れなくお訪ね頂き、今必要な剃刀までお恵み下さる厚い御心を嬉しく存じます)
婿君夫婦はそれぞれ、綺麗に整った正頼の御殿に住まれる。婿達自分の御殿も広くて美しく、調度や財宝を倉に仕舞い込んでいない、という正頼の婿はいなかった。
作品名:私の読む 「宇津保物語」 田鶴の群鳥 作家名:陽高慈雨