kyoko
『奇妙な関係』
「ルームシェア?」
その単語は知っていたが、僕はぴんと来なかった。
「そう。理絵とも話してたんだけど、元々私たち今住んでる所を引っ越して少し高い物件に家賃折半で住もうって話だったのよ」
今日は池袋のカフェに僕と杏子さん、それに理絵さんが集まっていた。
「ところで、俊介さんは今どこに住んでるの?」
僕は理絵さんの言葉にぐっと言葉が詰まってしまった。まさかネットカフェで暮らしているなんて言えるはずもない。両親も他界しているため実家も無い僕は、友達の家を泊まり歩いていたが、さすがに迷惑になるのでここ一週間はネットカフェ暮らしだった。
「と、友達の所にお世話になってるよ。アパートの保険が入ったらまた探そうとは思っているんだけど……。実は、貯金もあまりなくてさ」
手元のオレンジジュースを頬をすぼめて一気に飲み干した。
「じゃあさ、良かったら私たちと一緒に済まない? 俊介さんがシェアするなら3LDKはなくて4LDKの広い物件を見つけてあるのよ。杏子さんはどう思う?」
理絵さんは親指をぴっと立てた後、目を輝かせながら僕の方に身を乗り出した。
「うーん。俊介さんがOKなら私は別にかまわないけど。でも……女二人と一緒に住むってのは正直抵抗あるでしょ?」
もちろん抵抗ありまくりだった。だって、だいたい今まで女性とこんなオシャレなカフェでしゃべったことすらあまりなかったのだ。男子校だった僕は、はっきり言って女性に慣れて無かった。火事の時は命からがら逃げ出したから、二人を意識することは無かったのだが、良く見て見ると二人とも一般の女性よりもかなり可愛い事に気づいてしまっていた。杏子さんをただの隣人と意識していた頃が今となっては懐かしい。
「それは……。こちらとしては助かるけど、理絵さんたちこそ抵抗ないの?」
「もう、『さん』付けは止めて。理絵でいいわよ。頭の中では『RIE』ってイメージして呼んでね」
「なんすか、それ」
キャバクラに勤めているだけあって、理絵ちゃんはこの場を少しでも楽しくする話術に長けている。
さっきから気になっていたが、隣に座っているカップルの男の方が、何気に聞き耳を立てているようだ。こちらを見ながら羨ましそうな顔をしている。
もし漫画だったら、(そんな綺麗なお姉さんたちと一緒に住めるんだったら、俺が代わりに住んじゃうぜ! つか、何迷ってんのあんた)という吹き出しが見えてきそうだ。
「じゃあ決定ね。妙な縁で知り合った同士、これから仲良くやって行こうね!」
ショートカットの理絵さんは袖を捲り上げると僕に手を差し出した。杏子さんはそれをみてにこにこ笑っている。
「お、お願いします」
「声が小さーい! って俊介さん顔が赤いよ」
おずおずと手を差し出すと、理絵さんは僕の手をぎゅっと握りぶんぶんと上下に振った。
「じゃあ段取りは私たちがやっておくから、来週の土曜日までに荷物を運びこめる状態にしといてね」
「うん、分かった。あ、ひとついいかな? あのさ、ミケも一緒でもいい?」
そう、ミケだけは猫好きの友達の家で預かってもらっていた。
「大丈夫よ。ペット可だし。杏子さんもミケちゃんと早く会いたがってたわよね」
「うん。あのコはいざというときに活躍しそうな猫だし」
形のいい白い指先を唇に当てながらくすくすと笑う。まあ、また火事になったりしたら今度こそシャレにならないけど、僕はこの言葉に妙に納得して思わず頷いていた。
ひょんな事からこの二人と一緒に住む事になったが、ひとつだけ問題があった。ささいな事だけど、会社までは今までよりも時間がかかってしまうだろうという事だ。でも……正直僕はドラマで観るような素敵な生活ができるような気がして、この時は気分が高揚していた。
そう――あの日が来るまでは。
「それで、お嬢さんは見つかったんか?」
高価なスーツを身につけた、とても普通のサラリーマンとは呼べない雰囲気の男が、黒塗りの高級車の後部座席から電話を掛けていた。電話から漏れる声色から、電話の相手はこの男を異常に怖がっている様子だ。
「何をモタモタしとるんじゃ。組長から毎日せっつかれるワシの身にもなってみい! おう、東京にあと二十人程応援に行かせろ」
電話を切ると如月組の若頭、藤堂の眼がさらに細まった。チンピラ風の運転手はこの男が醸し出す凶暴なオーラに、首をすくめながら運転に集中している。今夜はなんばにある料亭で大事な打ち合わせがあった。如月組の幹部が顔を揃えるその席で、今対抗している組織に関する秘密会議が行われようとしていた。
「なあ、哲。今日は稲田の野郎も来るんか?」
煙草に火を点けながら、次期組長候補の一人、稲田の名前を吐き捨てるように言うと窓の外を見つめる。
「はい。稲田の兄貴は遅れて到着するようです」
「たいそうな大物気取りやな。まあいい、組長はお嬢さんを確保した方を跡取りにするっちゅう話や。今に見とれ。野郎の鼻をあかしてやるわ」
この時点で、既にこの男の手により数十人が東京に送り込まれていた。東京にある友好組織にも声を掛けていたが、如月杏子さんは未だ発見できていない。
先週、火事のニュースに一瞬映った杏子さんの姿を見た婚約者の大庭一成は、慌ててこの男に連絡を取って来た。この大庭一成は広域暴力団である大場組の組長の実子であり、跡取りと噂されている男だった。杏子さんと大庭が結婚すれば、如月組のシマの勢力は更に拡大し、今起こっている血なまぐさい抗争も終焉を告げるだろうと言われていた。
「着きました」
料亭の前には高級外車がずらっと並び、幹部らの到着を子分たちが緊張した面持ちで待っている。藤堂はオールバックにした髪に軽く手を通すと、油断の無い足取りで哲を連れ料亭に吸い込まれて行く。
「なあ、やっぱあの人は貫録が違うよな」
「ああ、まだ若いのに若頭になっただけのことはあるな」
頭を上げた子分たちは、歩き去って行く藤堂の背中に畏敬の念を込めて再び深く頭を下げた。
正月明けに、待ちに待った引っ越しの日がやってきた。白い外壁の新築マンションの八階が三人のこれからの新居だ。僕はまずミケを抱えて新しい家の玄関を開けた。
「あら、俊介さん。ミケちゃんもおはよう! あたしたちの荷物は昨日届いて大体整理したわよ。ってか、見てあのオープンキッチン! テンションが上がるわねえ」
髪の毛を後ろでひとつにまとめた理絵ちゃんが出迎えてくれた。奥では食器棚を拭いている杏子さんがぶんぶんと手を振っている。
「おはよう。業者が下まで来てるから、荷物を運びこむね。まあ、僕の荷物なんて少ないけど」
話している隙に、ミケは僕の手からするっと滑り下りると新居の中を歩き回る。まるで「なかなか良い家だにゃー」と言っているようにも見える。
バタバタしているうちに夕方には全ての引っ越しが終了した。リビングは広く、猫の遊び場もちゃんと作ってある。だが、ミケはもう遊び疲れたのかソファで居眠りを始めた。それに寄り添うように、腕まくりをしたままの理絵ちゃんも一緒に居眠りをしていた。室内は暖房が行きわたり、間接照明が暖かく僕らを照らしている。
「ふう、やっと終わったわね。俊介さんの部屋も片付いた?」