kyoko
眼鏡を中指でずり上げながら、冴子が少し非難するような視線を僕に送ってくる。
「まあ過激な方法だってのは確かだね。でもさ、日本に限らず世界のレイプ事件や、暴力、リンチ事件が決して無くならないのは事実だろ? 本質的に男性が持っている暴力的な攻撃本能を操作することによって、これらの事件が少しでも減っていけばと思う」
「でも……」
「考えても見ろ。それら悪人による被害者や、その家族に対して日本の法律は十分なケアをしているか? 現実は、犯罪者の人権が守られているのに被害者の人権はおざなりになっている。要はどこまでも『殺され損、やられ損』な世の中なんだ。法律が守ってくれない代わりに、僕たちが犯罪予備軍を少しでも減らす事には大きな意義があると思う」
僕はここで改めて全員の顔を見廻した。村田くんを始め、高山さん、伊集院くんは納得している顔に見える。特に高山さんは、凶悪な犯罪者を今まで見てきたからか、ひときわ大きく頷いている。
「ハナシだいたい分かったよ。あたしも悪い人にさんざん脅されて怖かったもん」
レイナも何となく納得したようだ。しかし……。
「でも、ボス。今は悪い人でも、将来は改心していい人になる可能性だってあるじゃないですか。その人がいつか家族を持つ夢を奪う権利が、私たちに本当にあるんでしょうか」
冴子だけがなおも食い下がる。
「そうだな。例えばいじめという問題を考えてみよう。いじめっ子がさ、大人になって他人をいじめる行為を一切止めたとする。でもな、昔そいつにいじめられていた子は、その心の傷を一生忘れないんだ。例えいじめっ子がその行為を忘れてしまったとしても。なあ、そうだろ? 村田くん」
「はい。も、もし『零式』をそのころ僕が持っていたら、少しも躊躇せずにそいつらに食わせてやったと思います。現在進行形の悪人にはためらわずにそうすべきなんです」
拳を固くにぎり身体をぶるぶる震わせながら、残った片目で冴子をぎっと睨み付ける。
「思い出させて悪かった。許してくれ。ところで、もう一つ計画があるんだ。僕はこの零式を、最終的には全国の刑務所の食事にも混ぜていきたいと思う。その効果は言わなくても想像できるはずだ」
「つまり、出所しても犯罪を再び起こす可能性がすごく低くなるってことね」
じっと聞いていた理絵がここで口を開く。不思議な事にその口元には少し笑みが浮かんでいるように見える。もしかしたら、あの時ヤクザに首に押し付けられた煙草の火の痛みを、今まさに思い出しているのかもしれない。その傷跡はまだ消えないで彼女の首に痛々しく刻み込まれていた。
「そうだ。誰もやらなかったことを僕たちでやる。もちろんこれは合法的な事ではないけれど、世の中のためには必要悪だと思う。さて。ではこの計画に反対なものは今ここで退室してくれ。正義の味方になりたくないもの……その方向性に疑問を持つ者は今すぐにだ」
そのまま彼らに背を向け、しばらく待った。
「やります! 僕はどこまでもついていきます!」
一番に大声を上げたのはやはり村田くんだった。その声にゆっくりと振りかえると、退室した者は結局……一人もいなかった。
二週間後――大阪では、二台の黒塗りの高級外国車が前後を厳重に護衛されながらホテルの車止めに滑り込もうとしていた。
「大庭さんの方もすぐ着くはずです。安全の確認がとれるまでお嬢さんはここで待っていて下さい」
物腰は丁寧だが、有無を言わせぬ眼光だ。藤堂は如月組の若頭という立場でありながら、今回は組長から直々に杏子の監視役を言い渡されていた。隣に座る杏子の眼を念を押すようにもう一度見ると、軽い身のこなしで黒塗りの車から降りていく。
今日は大庭組の実子、大庭一成との結納の日だった。両家のこの結びつきによりこれからの極道界のパワーバランスを懸念しているのか、大阪中の暴力団も密かに注目していた。その証拠にインターナショナルホテル大阪のエントランスには、黒いスーツを着た暴力団員の他に、目つきの鋭い男たちが彼らを監視するようにそこかしこに散らばっている。もしかしたらその中には刑事も数人混ざっているのかもしれない。
「大庭組とのこの結納で、血なまぐさい抗争が落ち着いてくれたらいいんやけどな」
如月組組長の如月金光は、前方の車の中でため息をつくようにつぶやいた。
「はい。ただ、いまだに杏子お嬢様はこの結納に乗り気では無いようです。昨夜も遅くまで起きておられたようで。お顔もかなりやつれたような気がします」
古くから組長に仕える大幹部の一人が答える。
「仕方ない。これは抗争を終わらせるために必要なことなんや。娘には申し訳ないと思うとる」
その言葉が終わるか終らないかの瞬間だった。窓ガラスが外から激しく叩かれた。
「たいへんです! お嬢様が!」
「どうしたんや?」
ドスの効いた声で、駆けつけた組員を大幹部が怒鳴る。
「運転手の鏡と車内に二人きりになった隙に一緒に逃げました。どうもヤツが逃走を手引きしたようです」
みるみる真っ赤になっていく大幹部の顔を、組員の男は恐怖の目で見つめている。
「あほんだら! 逃げましたで済む話か! すぐに二人を探し出せ。もし逃がしたら、あの藤堂が全責任を負うことになるんやぞ! その下に仕えるお前らの首もただじゃすまんぞ」
「はっ!」
坊主頭の組員が飛び上がるようにして走り出した後、組長は自分の手で後部座席のドアを開け外に降り立った。そして振り向きざまに持っていた杖で車の屋根をしたたかに打ちつける。
「そんなにもこの家が気に入らないんか! 杏子」
手を震わせながら立ち尽くす彼に、大幹部が携帯をおそるおそる差し出す。
「親分、税理士の丸山からですが、母屋の金庫が……」
「なんやと? 代われ」
しばらく強い口調でやりとりしていたが、電話を切ったばかりの如月金光の顔はまるで鬼の形相をしていた。
「丸山は何と?」
「まずいことになった。現金と拳銃が持ち出されているのはかまわんが、例のディスクも一緒に持ち出されておる。あれが表に出たら、如月組は……終わりだ」
「まさか鏡とお嬢さんが……。何てことをしてくれたんや! 親分、必ず我々が探し出しますので今日はどうか自宅にお戻りください。このどさくさに紛れて他の組から襲撃があるかもしれませんので」
「うむ。だがひとつ気になる事がある」
「なんでしょうか」
「杏子はあれの内容を『知っていて』持ち出したのだろうか。それとも鏡が『知っていた』のだろうか」
「それは……現時点では何とも」
くるりと大幹部に背を向けると、少し肩を落としながら金光は再び車に乗り込んだ。
程なくして、無線を聞きつけた組員たちがホテルのエントランスからぞろぞろと走り出てくる。先頭に立って組員に指示を出す藤堂の顔は少し青ざめいたが、さすが若頭と言うべきか、しっかりとした声でてきぱきと人員を捌いていた。
「前後を挟まれてるから車は使えんかったというわけか。なに? 駅ビル方面に向かった? よし、電車に乗り込む前にお嬢さんを捕まえろ! 鏡はその場で殺してもかまわんが、お嬢さんには絶対にケガをさせたらあかんぞ!」
「承知しました!」