kyoko
一か月後、僕の始めた商売は順調に軌道に乗り始めていた。
【軽い認知症を患う祖母は、何度も騙されてきましたが、御社のおかげで私たち家族も安心して出かけられるようになりました】これは届いたメールの一部だ。会社はお年寄りたちに「たくわん」という愛称で呼ばれ、感謝の手紙や家族からのメールなどがひっきりなしに届くようになっていた。
雇った五人のメンバーも期待していたよりも良く働いている。だが……予想はしていたがあまり歓迎されない事も同時に起こっていた。
ある日、『タック・ワン』の事務所に電話があった。
「ボス、またあっちの関係者からいやがらせの電話が入ってますが」
「冴子さん。何度も言うけど、ボスって呼ぶのはやめてくれよ」
「ごめんなさい。でも私たちのボスは俊介さんだし。なにかそっちのがしっくり来るんですよ」
「まあ、いいか。それで何て言ってる?」
インテリの吉永冴子はこの仕事を手伝うようになってから、表情や瞳の輝きが目に見えて明るくなったように感じる。
「いつものお叱りです。『余計な装置を作りやがって。俺たちの商売を邪魔してただで済むと思うなよ?』と言うような内容です」
「お決まりのセリフだな。えーっと、高山さんは元警察官の意見として、どう対処したらいいと思います?」
柔道で鍛え上げたのだろうか、広い肩幅を持った高山は、冴子の向かいのデスクでパソコンのキーを叩いていた。取調室で供述書をノートパソコンで打っていた経験から、その打ち込むスピードはなかなかのものだ。彼も冴子と同じく、ここに面接に来た日と比べて顔色が大分良くなってきていた。
「そうですねえ。ああいう輩は暴力団もいますが、ほとんどは不良上がりのいわゆる『半グレ』と呼ばれてるヤツらです。暴力団でしたら暴対法である程度圧力はかけられますが、ヤツらは組を構えているわけじゃないのでフットワークが軽い」
手を止め、太く良く通る声で続ける。
「彼ら半グレの収入源は、詐欺の他に、芸能プロダクションの経営やAVの製作、風俗関係の店の経営などですね。そしてそこから上げた収益は、結局は暴力団に流れていきます」
「つまり、商売を潰されたら本当に何をしてくるか分からないと。逃げ足も速いから警察に通報しても捕まらないって事ですね」
「その通りです。こうなってくると、俊介さんが寮を借りて皆一緒に住むのは正解だったと思いますね。でも……これからもっと気をつけるに越したことはありません」
「そうよ、俊介さん。よく一人で出掛けてるけど、もっと注意しないと」
心配そうな顔でここで理絵が口を挟んだ。
「ありがとう、気を付けるよ。って言うか、待てよ……」
「どうしたんですか?」
冴子の隣に座っている若い男、伊集院拓馬が不思議そうな顔で僕を見上げた。彼は男性モデルになりそうなぐらいの高身長イケメンであるが、先日「実は俺、ゲイなんですよ」とカミングアウトしたばかりだ。笑うと、歯並びのいい白い歯がきらりと光る。彼が自殺しようとした理由は、同棲していた彼女(男)がケンカした次の日にいきなり出て行った事だった。
「伊集院くん。逆にさ、その半グレたちの誰かと接触できないだろうか。と言うのも、高山さん、彼らは危険ドラッグを始め、覚せい剤などにも手を出しているって噂ですが」
「ええ、シノギの一部として当然手を出しているでしょうね。ですが、ドラッグの世界の闇は深すぎます。これに干渉するとしたら、それこそ命がいくつあっても足りませんよ」
「そうよ! あまりにもデンジャラスだわ。ヤクザこわい人たちよ」
身体にピッタリとあったワンピースを着た女性が、お茶のお盆を持ったまま話に割り込んできた。
異国情緒溢れる、顔だちの整った彼女は藤堂レイナだ。ハーフの現役レースクイーンだが、ホストの借金を肩代わりして現在ヤクザに追われていた。当然だが、その男はレイナの前から姿をとっくに消していた。職場にも行けず、逃げ疲れて自殺を考えていた彼女は少し変な日本語を使いながらも、僕たちのチームにだんだんとなじんでいった。
「分かっています。麻薬そのものの流通を止めるなんて事はできっこない。だって国を挙げて全力で努力しているメキシコ警察でさえ歯が立たないんですから。ただ、それに何かをそっと混ぜることはできるかもしれない」
「混ぜるって何をですか?」
その場にいた理絵、そして義眼の村田を含めた六人は、鳴り続ける電話に出ようともしないで僕の答えを待っている。
「それは……特別な『女性ホルモン剤』だよ」
「え? でも、女性ホルモンって簡単に手に入るものじゃないですよ。僕の元彼女――まあ男なんですけど、その注射を打つだけでも病院は二カ月先まで予約で埋まっていて、彼、すごく苦労していましたから」
整った顔の眉間に少し皺を寄せた伊集院が、首を傾げながら質問した。
「日本ではね。今回も兄貴の中国輸入ルートを使う」
「も?」
訝し気な顔をして村田が聞き返す。相変わらず前髪は片目に被せたままだ。
「うん。前にちょっと品物をね。元警察官の高山さんの前で言うのもなんですけど」
このセリフに室内の雰囲気が一気に和んだ。当の高山はふふっと笑うと「続けて下さい」と言うように手で促す。
「でも俊介さん、いや、ボス。それを麻薬に混ぜる目的って何なの?」
「理絵ちゃんまでボスって言うなよ。じゃあこれから説明するから、よく聞いてださい。まず、さっき言ったように、麻薬そのものの流通に干渉することはまず不可能です。でも、麻薬自体に密かに特殊な女性ホルモン剤を混ぜることは可能だと思います。兄が『零式』と名付けたこの無色透明の液体を乾燥させると、ちょうど覚せい剤のような白い粉に……そう、こんな感じに」
ここで僕は鞄からサンプルの入った箱を取り出す。箱の中から砂糖のスティックのように詰められた『零式』の一本を取り出し、みんなの前で軽く振る。
「これは熱にも強く、検出も不可能です。乾燥大麻に対しては溶かしてスプレーをします。一方、覚せい剤に対しては中毒者に流通する注射器および、『パケ』と呼ばれる小分けするためのビニール袋に細工します」
「ちょ、ちょっといいですか? パケの袋に細工するって、大手の会社に干渉するって事ですか?」
不思議そうな顔をした村田くんが僕の言葉を遮る。
「いや、そこでさっき話した半グレ君たちの出番だ。パケの袋に細工する手間と、スプレーや混合物を入れる手間をお金で買うんだよ。それなりの大金が必要になるけれど、これは仕方ない」
「なるほど。例えそれが上手くいったとして、そろそろ肝心な『目的』についてみんな聞きたいと思うんですけど」
伊集院が発したこの言葉に、全員が同時に首を縦に振る。
「そうだね。目的は悪の因子となる『悪人の遺伝子を断ち切ること』だ。この零式というホルモンは、男性ホルモンの一種であるテストステロンなどを主に攻撃する。そして男性の生殖機能に対して壊滅的な被害をもたらす。更に生殖本能そのものもひどく退化してしまうんだ。つまり……一度これを身体に取り込んだ男性は、その瞬間から自分の遺伝子を将来的に残せなくなる」
「え? じゃあ実質的に男性として抹殺されるってことですか? それはあまりにも可哀想な気がしますけど」