kyoko
その日の深夜、全ての面接が終わった僕の手元に採用になった五人の資料が並んでいた。
最初の村田を始め、次の吉永冴子、要するに面接した人間を全て採用したということになる。
「俊介さん……本当にこの人たちで大丈夫かしら」
誰もいなくなったオフィスで、ボールペンを鼻と唇で挟みながら理絵ちゃんがつぶやくように言った。夜の帳はとっくに降りて、週末だからか少しほっとしたような背中のサラリーマンたちが駅に吸い込まれて行く様子が見える。
「うん。特に最後に面接した元巡査部長はきっといい仕事をしてくれるぞ」
「高山さんかあ。あの人、思い詰めて拳銃自殺しようとしていたのよね。ていうか現役警察官が来るとは思わなかったわ」
「上と下からサンドイッチにされて、きっとストレスが溜まってたんだろうな。『これから、警察を辞めてきます』って言ってたからやる気は十分だと思う。それに悪を憎む心だけはまだ失っていないようだ。なんてったって彼は警察官だったんだからね」
「そうね。じゃあそろそろ『オレオレ詐欺のやっつけ方』を私にも教えてよ。あ、その前に珈琲を煎れてくるわ」
理絵ちゃんのきゅっとしまったふくらはぎが、電灯の光を浴びながら給湯室に消えて行った。その時間を使って僕はそっとタブレットを開く。そう、杏子さんのページが更新されていないかを見る事がこの頃はもう日課になっていた。
「あれ?」
久しぶりの更新が一行だけあった。日付は昨日の夜中だ。
【結納の件で強引に婚約者が訪ねてきました。私、やっぱりこのひと大嫌いです】
結納だって? 心が早鐘を打つ。やっぱり、時間はあまり残されていないんだ。
「どうしたの? 暗い顔しちゃって。ボスがそんな顔してちゃチーム全体が暗くなっちゃうわよ。はい、どうぞ」
とんっとテーブルに置かれた珈琲の湯気を見て我に返った。
「何でもないよ。じゃあ早速説明するね」
一口珈琲をすすると、僕は【オレオレ詐欺対策事案】と書いてある書類をスーツケースから引っ張り出した。同時にパソコンを立ち上げ理絵ちゃんを隣の席に手招きする。
「まずは会社を立ち上げる。これはちゃんと登記されたまっとうな会社だ。名前は『タック・ワン』にしたよ」
「たっく……わん? たくわん? 何となくお年寄りが好きそうな名前ねえ。でもちょっとカッコ悪くない?」
「いいんだよ、お年寄りが憶えやすければ。さて、この会社だけど、設立したらすぐにコマーシャルをテレビやインターネットで流そうと思う。兄貴の知り合いにこの業界に詳しい人が複数いるし、資金も今のところ潤沢だ」
「そのコマーシャルで何をアピールするの?」
「これを見てくれ」
資料の一部を広げた。それには【オレオレ詐欺対策装置を、限定で無料配布します】と書いてある。
「対策装置って……。いつの間にそんな物作ったの?」
「実はもう発注済みなんだ。なあに仕組みは簡単だよ。僕は、過去オレオレ詐欺の電話に使われたワードを全て抜き出してみた。例えば、『事故、痴漢、振り込み、還付金、示談』などだね。これらを相手の会話から抽出して、それが複数該当した場合、自動で警告音と同時にアナウンスが電話口で流れるようにするんだ」
「確かに、そのワードはオレオレ詐欺に良く使われそうだよね」
資料を手に取ってうんうんと頷く。
「その装置自体は受話器にハメ込むタイプだからコストもあまりかからない。同時にアンケートも募り、過去に詐欺にあって詐欺業者のブラックリストに載っているようなお年寄りには、ワードの抽出を特にアクティブにできるように設定もできる」
「なるほどねえ。このアナウンスって?」
「これこれ」
赤文字になっている部分を指で示す。
【こちらはタック・ワンです。この会話には当社とクライアントが指定した不適切なワードが多数含まれていますので、これより会話を録音させて頂きます。さらに、確認のため三十秒後にこの電話を当社に転送いたします】と書いてある。
「自分が詐欺グループになったつもりで考えてみて。果たして、これを聞いたあと彼らは更に三十秒会話を続けると思う?」
「うーん、私が詐欺師だったら速攻で電話を切るでしょうね。めんどくさそうな相手だって判断したら、すぐ次に行った方が効率いいだろうし」
「だろ? もちろんコストの関係で転送する機能までは付いていないが、録音だけで充分な抑止力になると思う。それにこれの噂が広まれば、将来は装置そのものもいらなくなるだろう。お年寄りが『タック・ワン』の名前を会話に出すだけで相手は当然警戒するだろうから」
「なるほどねえ。でもさ、これって会社は儲かるの?」
「いい所に気づいたね。もちろん最初は無料配布で赤字になるだろう。でも数量限定って所がミソだ。コマーシャルは短期間で打ち切る。でもね、顔ダニの件で口コミの本当の力が分かっただろ? そこからは装置を有料にする」
「となると……大手が参入する前に売りきらないといけないわね。うちよりも安くて高機能のものを出されたらたまらないし」
「だな。これから忙しくなるぞ。でも今日は帰ってゆっくり休まないとね」
「帰る所は同じ、だけどね」
口に手を当てながらくすくすと笑い出す。何気なく「帰る所は同じ」といったつもりなんだろうけど、僕にとってこの言葉は心の中がほんのり暖かくなるのを感じた。
資料をまとめてスーツケースにしまう僕の横顔を、じーっと見つめる理絵ちゃんの視線を感じてふと横を見る。
「なんだよ」
「いや、俊介さんって最初に会った時よりたくましくなってるなあって思ってさ。何かあたし、好きになっちゃいそう」
「やったね! ってダメだよ。僕の好きなのは杏子さんだもん」
「バカね、そんなの分かってるって!」
「いってぇ!」
この時、なぜかは分からないけれど、背中を理不尽なほどの強さで叩かれた。
一方――大阪では一般人が知らない所で、抗争事件が更に激化していた。