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私の読む 「宇津保物語」  菊の宴 ー2

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       またかゝるめは誰かみるらむ
(久しい間悲しみ嘆いた人でなければ涙は目に浮かばないのに。誰がまた私のように苦しい目を見て泣く人があるでしょう)

 そういう人は余りいないと思います。

 兵衛は、実忠に
「この度だけと仰いますから、しっかりと御覧になって下さい。今となっては致し方がないことです。この上私を頼りなさらないでください。入内決定の前でも大変だったのですから。今となってはこの世が逆さになっても思い返すはずがありません。

 実を捨ててと思いなさっても、あて宮の居られる中殿は周囲の簀の子には君達が垣のように並んで、御帳の周りには隙間もないほど大宮、正頼様、北の方になられた姉上達がいらっしゃるので、実忠様や他の方々飛ぶ鳥といえども、飛び掛かることは出来ません。実忠様を見ていますと、本当に愛おしいほどお気の毒に思えますが、良い方策は御座いません。

 このような仲立ちをするようなことをどうして初めにお引き受けをしたのか、後悔いたします」

 実忠は死んだように息もしないで、頭頂から黒い煙を上げて青くなったり赤くなったり、ただ息だけをしている。

 この姿を見て兵衛女房は涙を流してあて宮の許に参った。

 このことを実忠の兄の源中将実頼、この二人の兄民部卿実正、いずれも左大臣季明の息子である、が聞いて、大願を立てた。意識を失った実忠は何も知らない。

 実忠はやっと正常に戻って、息も絶え絶えにものを言う。父親の左大臣季明初め兄達が実忠の前から姿を消すと、その隙に、銀の箱に黄金千両を入れて、兵衛の君にこのように言って渡す。

 死ぬる身を惜しみかねてぞ君にやる
        千々のこがねは命のぶとか
(この事のためにどうせ死ぬに決まっている私です。命を延ばすという黄金千両を貴女にあげましょう) 
 兵衛は悲しみもだえて気絶したあの可哀想な場面を見て、本当に哀れで悲しいこと、と思い、

 雲の上に星の位はのぼるれど
       呼びかへすにはのびずとか聞く
(雲の上の人にはなりましたが、呼び返すために黄金は何の役にも立たないそうで御座います)

 実を言いますと私も本当に悲しいのですよ

 と実忠に言って返す。

 実忠宰相は日が変わるまで思い込んで、赤い涙黒い涙を流し続けて、千両の黄金を三十両づつ銀製の壷に入れて、七大寺(東大寺・興福寺・西大寺・元興寺・大安寺・薬師寺・法隆寺)そして、比叡。高雄に誦経の礼として贈る。その頼み願うことは恋の成就

「天地神仏 与力し給え」 

 のみである。

 実忠は祈願がまだ足りないと思い、比叡山に登り、験あらたかな場所四十九所に四十九人の阿闍梨を選んで、その阿闍梨一人に伴僧六人を付けて、四十九壇に聖天を本尊として修法を布施、供養を豊かにして、僧には美しい絹で作った袈裟を与えて着用させて行を行ってもらった。自分は根本中堂に七日七夜籠もって斎戒、沐浴をして五体投身をして

「我が願い、叶え、成就させたまえ」

 と業をした。

 その様に実忠が業をしていると、あの亡くなった真砂君の母である実忠北方に懸想をする人達が、ある人は北方の住居に入り浸りになろうとして、ある人は北方の身体を盗もうとして、異常な行動をするので、

「なんとかして、この懸想人達が来ないような里遠いところに住みたい」

 と考えて、北方は都より大津に越える途中の山寺志賀山寺の麓に住むことにした。

 人が心を込めて造った住居で、山が近く水も傍を流れる。花も紅葉もそして色々な草木で造園した場所に、今まで住んでいた殿舎を去って、ひっそりと越してきて住んでいた。

 女房達は、大人が一人童が一人、下仕が一人。北方は仏に仕え。時には琴を弾いたりして暮らしているうちに、秋が来て深まるにつれて、夕暮れ、秋風肌に寒く、山の瀧の音が凄まじく聞こえるようになり、鹿の鳴く声が遙か彼方から聞こえてくる。庭の草木も、あるいは色が盛りとなり、あるいは花が散りなどして淋しくなるなか、北方、娘の袖君御簾を揚げて、正殿の母屋と廂の間の客間「出居の座」の簀の子に乳母と合わせて三人が、北方は琴、袖君は琴(七弦琴)、乳母も音を合わせて、詠う

 北方

 秋風の身にさむければつれもなき
        牡鹿の声の遠ざかりゆく
(秋風が寒く身に沁みるので、ふと気がつくと牡鹿がつれなく遠ざかっていくのが聞こえる)

 袖君

 見る人もなくてちりぬる山里の
        千種の花は世をも恨みつ
(見る人もない山里の千種の花は、人に知られずに散っても世を恨みはしないだろう)

 乳母

 ひぐらしのなく山ざとの夕暮れは
        物思ふ袖に露ぞおきそふ
(蜩の悲しく鳴く山里の夕暮れは物思う人の涙を誘って、その重い袖に一層露を加える)

 と、詠って三人が揃って涙にくれているところに、実忠宰相がその様なことも知らないで祈願終わって比叡の山を下る途中、頭中将仲忠も志賀に籠もり祈願が終わってこれも帰ろうと下山の途中、道の辻で二人が出会い実忠が先に見付けて、
「どちらへお出かけの帰りで」
 と、声を掛けると、仲忠は、

 いりぬべき道や/\と足曳きの
      龍華の山をたちならしつる
(悟りに入る筈の道だろうかと、龍華樹のある山を歩き回りましたが、失敗でした)

 実忠は笑って

 露霜の置きそふ枝をなげゝども
       甲斐ある山はわれもまだ見ず
(露や霜が置いて美しくなった紅葉の枝を賞でて歎きはしますが、悟りに入る甲斐のある山は私もまだ見付けません)

 枝の美しい紅葉を折って山の土産にしようと、その辺を見渡すと、ふと北方達が住む隠れ家の屋根に、唐紅に染まった紅葉が錦が掛かったように美しく見えた。

 実忠は、
「風情ある紅葉の枝はあの家にあるだろう」
 と探して一枝折ると、

 こき枝は家づとにせんつねならで
       やみにし人や色に見ゆると
(濃く紅葉をした枝を家への土産にしましょう。異常なことで仲違いして女がそれを見て嬉しい返事をするかどうか)

 中将仲忠

 山づとも見すべき人はなけれども
        わが折る枝に風もよぎなむ
(山の土産を見せたい人はないが、私の折る枝は大事なのだから、風もよけて貰いたい)

 と、枝を折ってなお紅葉を見ていると、この家も趣があって見飽きない家であると、二人は立ち去りがたい、

 源宰相実忠

 里遠みいそぎて帰る秋山に
       しひて心のとゞまるやなぞ
(里が遠いので、急いで帰らなければならない。だのにどうしてこの秋山に心が引かれて離れないのだろう)

 中将仲忠

 ひとりのみ蓬の宿にふするよりは
       錦織りしく山べにをゐん
(ただ一人蓬の宿で寝るよりは、錦の茵の敷いてある山辺にいましょう)

 ということで、この家に入っていき、周りを見渡すと、垣根の尾花が色の濃い袂ででもあるように、折り返って招くのである。

 宰相実忠はあて宮への恋は破れて、見棄てた妻子がどのような境遇にあるかも知らず、世の中総てが哀れに見えるので、       

 夕暮れのまがきに招く袖みれば
       衣縫ひ着せし妹かとぞ思ふ