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私の読む 「宇津保物語」  菊の宴 ー2

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(夕方垣根に招く袖を見ると、自分の身の回りをこまごまと世話してくれた妻が招くのかと思う)

 実忠は自分の歌を「妹が門」の節で詠ったので、あの声は覚えのある実忠の声と北方は悟って、

「ああ、あの声は出て行かれた夫の声だ。
 ああ恐ろしい。息子を亡くしながら外へ出て行った鬼のような夫の声であったが、この声は人間の声である。その様に夫の声である。本当に似た声であるな」

 そうして悲しみが湧いてきて、

 ふるさとのつらき昔を忘るやと
       かへたる宿も袖はぬれけり
(夫が失踪して以来、最愛の真砂君は死ぬし、悲しい思い出ばかりの故郷の家を、替えたら忘れるかと思って移ったのに、此処も同じ浮き世の涙に袖は濡れることよ)

 袖君

 たちよりし籬をみつゝ慰めし
    やどをかへてぞいとゞかなしき
(父君は御存じなくて、この宿にお立ち寄りになって心を慰めていらっしゃるけれど、此処に移ってから私達は却って一層悲しい思いをしているのです)

 と、北方、袖君、乳母三人が涙を流しているのに、中門を押し開けて、実忠、仲忠二人が並んで立っているのを見て、北方は、

「こんな淋しいところへどうして私達移ったのだろう、見付けられては大変、静かに静かに、誰も話してはいけません」

 と、御簾を下ろして奥に入ってしまった。みんなが近くまで寄っていっても、人が住んでいるものの咎めたてはしない。簀の子近くによって実忠は、

 夕暮のたそがれどきはなかりけり
       かくたちよれどとふ人もなし
(夕方、そこにいる人が誰かも分からない時刻に、こうして立ち寄ったのに、聞きただす人もいない)

 と言って、家の中に入ってしまわれた。北方は実忠の家の者達の声を知っていたので、袖君や乳母に物を言わせないようにした。実忠は、

「どうしてだろう、応える人のいないのは。目が見えない人か、耳の聞こえない人のお住まいかな

 山彦もこたふる物をゆふぐれに
旅の空なる人の声には
(山彦のように心のないものでも、答えるではないか。淋しい夕暮れに旅の途上にある人に答えないのか)

 何かの思いで、世離れしてお住まいなのか。浮き世離れた方々のお住まいであるかな」

 袖君
「夜昼お慕いして泣きます所に稀に見えられて、どう答えたらいいのですか」

 と敷物を出すが、藁の粗末な円座しかない

 旅といへばわれも悲しな世をうしと
       知らぬ山路に入りぬと思へば 
(旅と仰有れば、私も同じように悲しゅう御座います。世の中のつらさに、見たこともない山の中に入ったので御座いますから)

 「同じ山路に」とか申します。

 などと語り出して、暫くして、透かし飾りの透き箱四つに趣のある形で紅葉の枝を折り敷いて、上に、松の実・果物を盛って、椎茸等を炊き込んだ尾花色の強飯などを出した。

 その時雁が泣きながら飛んでいく。北方は土器に書いて渡す。

 秋山にもみぢと散れる旅人を
       さらにもかりとつげて行くかな
(秋山で散った一片の紅葉のように、偶然お立ち寄りになった旅のお方よ。暫く落ち着こうともなさらずに、仮の宿だと仰って、雁のように去っておしまいなのですね)



 実忠が詠う「妹が門」催馬楽

いもがかど せながかど 行過かねて わがゆかば ひぢかさの ひぢかさの 雨もやふらん しでたをさ 雨やどり かさやどり やどりてまからん しでたをさ

 源宰相実忠

 旅といへど雁も紅葉も秋山を
      わすれてすぐすときはなきかな
(いいえ、旅だからと言って、雁にしろ紅葉にしろ秋山を忘れるどころではありません。いつまでも懐かしく思っています)

 北方(実忠の)

 秋はてておつる紅葉とおほ空に
      かりてふ音をばきくもかひなし
(秋も過ぎて散ってきた紅葉も、おお空に鳴く雁も、私にとって何の慰めになりましょう)

 そう詠っても北方は相手に気付かれまいとして、けぶりにもみせない。

「おかしな所だな」
 と実忠は思うが、あて宮を思う心が強いので、そちらに気を取られて、屋敷の中に自分の北方がいるのが分からない。

 実忠は仲忠に、
「どう御覧になる。心ある風情ではありませんか」

「本当に仰るとおりです、心ある宿主ですな。話を付けて時々紅葉観賞に来られては」

「さてさて、それは・・・・・偶然会った女に心が移るようでは、私もただの浮気者になり下がってしまいます。長年連れ添った妻が、今、どうなっているか知りませんし、可愛がっていた真砂君も亡くしましたし、仰る浮気心はもうありません」

 こんな話をしていると、遠くで鹿の鳴く声がした。
 
 実忠、

 鹿の音にこひまさりつゝ惑ひにし
       妻さへそひておもはゆるかな 
(鹿の鳴く音に恋心は一層深まって、昔の妻も一緒に恋しく思われる)

 頭中将仲忠は笑って、
「北方を思い出されるとは珍しいことですね。巧者な鹿じゃありませんか」

 色深き木々のひま/\なく鹿は
       君まつ人におとらざるらむ
(濃い紅葉の木の間をさまよいながら妻を求めて鳴く鹿は、貴方を待って泣く北方に劣らないでしょう)

 などと語らいながら一夜過ごして、明け方に帰ろうとして、実忠・仲忠が家の中に声を掛けるが答える人がない。実忠は、

「私達がこの屋の女主人に執心であったと思うと、このまま帰るのも情がないように思われますね」

 仲忠
「仲忠はその様な気持ちはないですが、

 ものごとに秋ぞ悲しきもみぢつつ
      移ろひゆくをかぎりと思へば
(あらゆる草木につけて秋は悲しく思われる。紅葉し、色あせて散っていくのを、その最後の時と思うと)(古今集187)
 という歌がありますね」

 
 と言って二人はこの屋を去って帰って行った。

 帰宅すると実忠は、比叡の山で四十九壇の修法で祈祷した水を硯の墨として、あて宮に

 ことの葉も身もかぎりにはなりぬれど
       涙はつきぬものにぞありける
(申し上げる言葉も、私の命も今日が最後となりましたが、涙は尽きないものでございます)

 そこで、今までこのように文を差し上げたのでありますが、せめてもう一度だけ、御返事を拝見させていただいてから、死出の旅路にと存じまして、黄泉への道案内と思いなされて。

 兵衛の君に、悲しい言葉を多く述べて文を託した。
 
 兵衛はあて宮の湯殿へ行き、実忠の近況を詳しくあて宮に申し上げて、実忠の文を渡すと、あて宮は、
実忠が自分への恋が成就できなかった悲しみで死んだと騒いだことを悲しく思い、

「一行だけの返事を差し上げよう」

 と、思うのであるが、返事でも書いたら世間が何と評判するかと思って、結局兵衛に何も言わなかった。
(菊の宴終わり)