私の読む 「宇津保物語」 菊の宴 ー2
「入内のことが近づいたからでしょう。時々遠回しに良いことを述べられた返事も絶えました。私をもの笑いにしないで欲しい。兼雅、子供は多くない。仲忠は放っておいても自然に世に出て行くでしょう。有り難いことに、貴方が私の子供であっても、貴方は私のために零落する事はないでしょう。
人の命を救うと思われて私の思いが遂げられるように取り計らってください。評判がたって、貴方も罪になっても、そのためだとは思わないでください。偏狭な心で物を言って申し訳がない」
「祐純も、どうかして貴方の望みを叶えて差し上げたいと思うのです。しかしながら、両親は大勢の娘の中であて宮を一番可愛い娘として、一時も手放すことは出来ないと思います。
春宮からもしきりに入内を仰せられるのも、一方では畏れおおいことだと申し上げるものの、はきはきと入内させないところを見かけるものですから、あれこれと工作するのは難しいのに、貴方の望みを叶えると、両親が嘆かれるのを思うと、心苦しいのです」
「春宮にと思われているのを、兼雅の妻になれと言うのは、空の雲が高くあるようなもので、春宮に仕える妃・女御の人が必ず皇后の位になられることはない。
この立場に立たれて、兼雅以下を臣として、あて宮が内々に君主としてお振る舞いになるのを、父君は詰まらないものにしてしまったとばかりは、お思いになりますまい。
兼雅以外の男一般について述べているようだが、兼雅はあて宮のことが叶わなかったら、そのまま死んでしまうでしょうから、やがては無駄なこととなってしまうが、祐純に助けていただければ素端しい事であります。男の恋路の辛さを知らないように言わないでください」
などと話しながら、酒を酌み交わして夜明けまで語り明かし、あて宮に
「こうして申し上げるだけなのに、頼りない御返事も、入内が決定した今となっては、仰せをいただけないのが大変辛いことです。そこで、
いにしへのあとを見つゝも惑ひしを
いまゆく末をいかにせよとぞ
(今までは稀には御返事を頂いて、その文を拝見しても心の惑いは収まりませんでしたが、これから先その様なお手紙も頂けなくなったら、一体どうして生きていけと仰るおつもりでしょう)」
と書いて、女の装束一具を祐純にお渡しになった。
中将祐純帰ってあて宮に
「右大将兼雅殿は貴女が返事を差し上げないから、大層恨んでおいでだった。どうして慰めだけの文でいいからお渡しならないのですか。今の貴女には、相手の人に貴女を悪く思わせないことです」
と言うがあて宮は答えもしなかった。
兵部卿宮より
君がためちりとてたつる魂や
つもれば恋の山となるらん
(貴女のためには、大事な魂を塵のように扱いますが、軽蔑は出来ませんよ。積もれば恋の山となるでしょうから)
返事をしない。平中納言から、
うらはへて落つる涙や袖のうへに
潮のみちくる海となるらん
(折り返し袖上に落ちる涙は、潮が満干する海のようになるでしょう)
返事無し。
三の御子、四月頃に、
けぶりたつ頭の雪は夏わかみ
いかでふれるとしる人のなき
(煙の立つように、白い毛が生えて、私の頭は雪のようです。まだ夏に入って間もないので、どうして降ったのか誰も知りません)
他の人には分からなくても。せめて貴女だけはご自分のために白くなったくらいの事はお認め下さらなくては、全く不本意であり悲しいことです。
と文を送られた。
頭中将仲忠は、近いところの社にはことごとく参詣し、越の國の白山に参ろうと出かけたが、知らない道に迷って、歌を詠いあて宮に送る、
なぐさむる神もやあると越路なる
山は知らねばまよふ頃かな
(私の悩ましい心を慰めて下さる神も有ろうかと、北陸の路にさしかかりましたが、山へ行く路を知らないので迷っています)
返事はなかった。
源中将涼は
「久しくお便りを差し上げないので、不安な気持ちが募って参りまして、其れが酷く侘びしゅう御座います。さても将来どういう人間になることでしょう。貴女は酷く私を惑わせなさいますね。
われをかくなどいたづらになしつらん
のちを頼まむ物としる/\
(自分をどうしてこう浅はかな者にしてしまったのでしょう、現世を頼まず後世に希望を持つべきだと分かっていながら)
返事無し。
蔵人源少将仲頼、宇佐神宮への使いを命じられて西に下る途中で、
いは清水宇佐までゆかずあふことを
なほいらへずば神をうらみむ
(宇佐の宮まで行かないうちに、石清水八幡が、貴女に会うことを叶えて下さらなければ、私はいっそ神を恨むでしょう)
返事は無し、侍従仲純、
恋をのみたぎりて落つる涙川
身をうきふねのこがれますかな
(苦しい恋のため涙が堰を切って落ちた、その川に身を投げて浮舟のように宛もなく焦がれる事よ)
兵衛の佐行正
山も野もなほうしといへばしらま弓
いるべき方のおもほえぬかな
(山も野もやはり憂世だとわかったけれど、私は最早行くべき所を知りません)
白真弓・白檀弓(しらまゆみ)
白木のマユミで作った弓。
白巻弓の異称。
「はる」「い」「ひく」などにかかる枕詞。
(広辞苑)
藤英大内記
夏草におく露よりもはかなきは
君にかかれる命なりけり
(夏草に置く露は儚いと言いますが、それよりも儚いものは、私の貴女にかけた命でした)
忠こそ阿闍梨
世の中を行めぐりにし身なれども
恋てふ山をまだぞふみみぬ
(私も若いのに出家して、諸国を遍く修行した身ですが、恋という山にはまだ登った事がありません)
誰にもあて宮からの返事はなかった。
こうしていると春宮から、
うらみつゝむなしくならばわれさへや
庭さらずなく蝉となるべき
(貴女を恨んでそのまま死ぬような事が有れば、私としても庭を去らずに鳴く蝉となるでしょう)
あて宮
まつになく蝉としならば雲の上の
しりへの位なににかはせん
(貴方様が松になく蝉におなりならば、私が後宮に住む身となったところで何になりましょう)
また春宮から
我くだく心のちりは雲となり
落つる涙は海となるかな
(貴女のため故に、悩んで粉々になったわたしの心の塵は集まって雲となり、落ちる涙は海となるほどです)
私に思わせて苦しめる貴女は世に稀な方ですよ。世の中の例にもなる事でしょう。
あて宮
かぜ雲のおどろく亀の甲の上に
いかなるちりか山とつもりし
(風雲の驚く程の大きな亀の甲羅に、どんな塵が山のように積もるのかしら)
あて宮は列子の詩の
「巨亀蓬莱山を負うて海上にあり」を頭において詠った。
春宮より
かめのをの山にはたれもいたりなん
君をまつにぞ老もしぬべき
作品名:私の読む 「宇津保物語」 菊の宴 ー2 作家名:陽高慈雨